梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

登場人物の<伝説>その弐~崇徳院~

2005年10月09日 | 芝居
先日はネズミに化けた頼豪阿闍梨を御紹介しましたが、『貞操花鳥羽恋塚』にはもう一人、生きながら天狗となる崇徳院が登場いたします。
すでに<宙乗り>のお話の時にもとりあげましたが、この人物、日本の怪奇説話の中でも、特異な地位を占めている存在です。
崇徳院は第七十五代の天皇で、崇徳は諡号(死後贈られる名)、名を顕仁。鳥羽天皇の第一皇子として元永ニ(一一一九)年に生まれ、五歳にして天皇に即位。しかし、父との不和(実は血がつながっていなかったといわれている)のため、二十二歳で義理の弟(なんと三歳!)に譲位を強要されてしまいます。この義理の弟、後の近衛天皇が、即位して十四年後、十七歳で夭折すると、自らの皇子を帝位につけようとしますが、これも邪魔され、結局もう一人の義理の弟、後の後白河天皇に決められてしまいました。自らの権力をことごとく奪われてしまった恨みの念は強く、鳥羽上皇の死を契機に、ついに皇位奪還を目指し、藤原頼長とともに挙兵しますが、手勢は少ない、戦略は甘いで、あっけなく後白河側に敗北、その身は讃岐の国に流罪となってしまいます。これが世にいう「保元の乱」です。
さて、ここからは多分に伝説という名のフィクションが入りますが、讃岐の国に流された後は、ひたすら都へ帰ることを望み続け、神仏への祈誓に明け暮れ、最後には、憎しと思っていた父鳥羽上皇の菩提を弔うため、大乗経を筆写し、都へ納めようとしましたが、朝廷から拒絶されてしまいます。これにはとうとう我慢ができず、髪も切らず、爪も切らず、食を断ち、恐ろしい形相になりながら、恨みの念を一心に凝り固まらせ、ついには、「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし、民を皇となさん(クーデターを起こしてやる! ということですね)」と宣言、舌を噛み切り、迸る血潮で呪いの誓文を書き、長寛ニ(一一六四)年、四十六歳で死んでしまったということです。死後、御陵は白峰山に作られましたが、遺体を納めた棺からはとめどなく血潮があふれ、石の台座を深紅に染め、また遺体を焼いた煙りは、望郷の念のためなのか、常に都の方角へ流れていたとのこと。さらには都では政治的混乱、二条天皇の死、飢饉、大火が頻発し、これも怨念のなせる業かと、朝廷はあわてて、死後十九年も贈らずにいた院号を「崇徳」と定め、崇徳院の霊を、厚く祀りあげることになったのでした。しかしその後も崇徳院の霊は消え去ることなく、源平の争乱や、南北朝の動乱も、この崇徳院の霊が引き起こしたのだという伝説が残されておりまして、それくらい、この不運の上皇の怨念に人々が畏敬の念を抱いていたかがわかります。江戸時代にも、白峰山を領内に持つ高松藩の藩主は、陵墓がある白峰寺を代々厚く保護したそうですし、明治元(一八六八)年になりますと、京都に白峰神宮が建立され、明治天皇からの勅使が讃岐へ急行、陵墓の前で「崇徳院の御霊を京都の新しい社へ奉還するので、なにとぞ日本と朝廷を守って下さい」という内容の勅状を読み上げるという祭事まで行い、ここに没後七百余年の歳月を経て、ついに故郷へ帰ることができたのです。


恨みを残して死んだ霊、いわゆる<御霊>にたいする信仰は日本ではさかんにみられるもので、『保元物語』『太平記』などに、この崇徳院の霊の凄まじさを読むことができます。崇徳院が自らならんとした「日本の大魔縁」が、だんだんと天狗のこととして解釈されるようになりましたが、江戸時代には、これらの崇徳院伝説を再構築して、上田秋成の筆により『雨月物語』の中の「白峰」が書かれ、ここでは白峰山を訪れた、西行法師の前に崇徳院の霊が天狗の姿で現れ、恨みを述べるという設定になっております。私も現代語訳で読みましたが、日本そのものを覆そうとする、スケールの大きな怨念を吐き出す崇徳院の姿が印象的でした。
歌舞伎でも、いわゆる<保元の乱の世界>を扱った芝居はいくつか書かれ、そのほとんどが、崇徳院が天狗になる場面を描いております。また、頼豪上人伝説を読本化した滝沢馬琴も、やはりこの崇徳院を物語にしておりまして、『椿説弓張月』に、主人公にこそなりませんが、物語の発端となる重要な局面で登場いたします。昭和になって三島由紀夫が執筆した歌舞伎の『椿説弓張月』でも、上の巻に崇徳院の霊が登場しますね。そして幕末の浮世絵師歌川国芳は、『椿説~』をモチーフにした『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』のなかで、讃岐院、つまり崇徳院の下部となった天狗達を、いわゆる<烏天狗>の造型で描いております。
それから崇徳院といえば、百人一首の歌詠みとしても、庶民には馴染み深いものでした。『瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わんとぞ思う』がそれで、岩によって別れ別れになった流れも、いつかは再び一つになるだろう、同じように、私とあなたの仲だって、今は離ればなれでも、かならずまた会えることができるだろう。という意味の恋歌で、これがあの天狗になった人の歌かと思ってしまいますね。
…この歌がキーワードになって巻き起こる、若旦那の一目惚れの相手探しのドタバタが、落語『崇徳院』です。この噺の中では、天狗だの怨念だのは一切関係ありません。しかし、崇徳院という人物が、後世に残ったのも、ひとえに<天狗伝説>があってこそなせるわざ。それを考えれば、やはり伝説は、確かに今も、息づいているのですね。

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1 コメント

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初めまして☆ (fortheday)
2005-12-18 11:12:51
TBさせていただきます。

また以前からブックマークしてます。

最近観始めたものには勉強になってます。



崇徳院はそんな負のイメージがあるなんて知りませんでした。

どうしても、落語の「崇徳院」のイメージでドタバタしている気がしてしまいます。

この落語も上野の地理が分かって、結構勉強になったきがします。

また、寄らせてもらいますね。
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