タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

究極の認知症?

2012年09月16日 | 日々雑感
 世が世であればタカ長が済州島に向けて出発する日です。

 鳥友は予定通り飛び立ちますが、台風が接近しているので予定通り行くことが出来るか心配しています。

 わが家の皇太后は低いレベルで安定していますが、歳が歳ですからいつ何があってもおかしくありません。そのため出発の決断が出来ませんでした。

    

 これが皇太后の命の綱です。生きるだけがやっとでほとんど骨ばかりになりました。

        

 これまでいろいろあった親と子、嫁と姑ですが、、、そのことがウソのようになって、、、、、

 母の手を握ってとりとめのない会話をしています。正直言ってこれまでの人生でなかったことです。母は性格的には白か黒、両極端の人だったので、いまは家に居た頃と180度違って、素直でおとなしい、、、、普通の、、、
いや、普通よりチョッとだけよい年寄りになっています。

 この状態なら済州島にも行けそうですが、、、、親父の例もあるので、やはりそのときの喪主としては家を空けることが出来ないのです。

     

 その親父ですが満102歳を直前に他界しました。

 病院にはいっていましたが、最後の最後まで、いつもニコニコしながら車椅子で院内を動いていました。認知症は出ていましたが、、そうなってはじめと親父と息子が心を通わせたようにも思います。誰でも同じだと思いますが、明治生まれの親父は息子から見ると何となく煙たいところがあって、その上親父はもともと口数の少ない人でしたから、多くを話した記憶がありませんでした。

 いろいろなことを話したのは認知症になってからです。

 その親父ですが、死の前日も好きだった饅頭を病院の売店で買ってやり、それを食べながら病院のロビーでいろいろ他愛ないことを話し、、、、別れたのが17時頃でした。

 次の日、朝の5時頃病院から「亡くなられました」と言う電話が入りました。あっけないといえばあっけない最期ですが、、、、、

 夜、眠りについて、、、、起きることを永遠に忘れてしまった、、、、、と言うわけです。これって究極の認知症なのでしょうか?

 102歳まで生きて、、、、この最期、、、、、自分もこのような最期を迎えたいと考えさせられる親父の最期でした。

 そのことがあるので、母の容態はよく見えても遠出できないのです。自宅軟禁ならぬ自町軟禁に甘んじているのです。



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