タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

神々の山を歩く

2013年06月05日 | 山歩きから
好天に恵まれた昨6月4日、仲間たちと比婆山を歩きました。その比婆山の位置は、、、、、

    

この画像の真ん中、県境の山ですが広島側は庄原市になるのでしょうか?



このあたりの山は個人的にも、私たちのグループでも何度も行っているのですが、今回は60年ぶりに拓かれたと言う「比婆山古道」を登るのが第一の目的でした。タカ長にとっても初めて上るルートです。

この画像の中央下、旗のマークのところがその「比婆山古道」の登山口です。右上の稜線までが「比婆山古道」です。

ついでにこの画像の説明をすると、、、、

   登山口から登っている軌跡図が稜線近くで大きく左におれているところに「飛越岩」があります。

   稜線の軌跡が右側に尻尾のように伸びていますが、その先端が「御陵」です。ここを比婆山と言っているので、その先のほうに比婆山と書かれているのは、チョッとおかしいように思います。

   右上にある旗マークのところが昼食を採った「出雲烏帽子山」の山頂です。展望は良いのですが、山頂としては平凡です。

   その左に見える旗マークのところが「大膳原」です。

   その左のピークが「吾妻山」です。そしてその左に見えているのが吾妻山の国民休暇村です。

   国民休暇村と登山口のあいだは車道なので、この間は歩かないで済むよう休暇村に車を1台置いておきました。

    

比婆山古道のルートは最初は人工林の中を登ることになりますが、、、、、

    

歩き始めの、超スローペースで登っても、20分も登るとブナの森に入ります。特別な急登もなく、だらだらと登って行くと「飛越岩」(とびこいわ)が見えてきます。

この岩には、、、、イザナミノミコトが火の神様を生んだあと火よけの穴に入っていて、その火傷した姿を見たイザナギノミコトがびっくりして、この大岩を飛び越えて吾妻山に行った、、、、と言うような説明が書かれていました。

稜線に登って右に行くと「御陵」につきます。

    

ここは日本神話でイザナミノミコトが葬られたと記されている所で、イチイの巨木にかこまれた巨石があります。

    

    

タカ長など日本神話にも、、、、古事記などにもまったくうといのですが、そのあたりの世界に詳しい人と歩くと、いろいろなことが聞けそうな神の山なのです。そのような山なので県の史跡にもなっており「日本三百名山」にも名を連ねています。

    

出雲烏帽子山頂で昼食を採ったあと、この「大膳原」に下りて、、、、、本当はここでのんびりするつもりでしたが、昨日は暑くて、、、この原っぱの中を花めぐりする気になれませんでした。この北側にはキャンプ場もあり、山小屋もありました。青春のころには利用したところですが、、、、、わずか100mばかり歩いてそのあたりの様子を見に行く気にもなれなくて、、、、、、

    

ウツギなど多くの花が咲いている道を吾妻山を目指して登りました。それほど長い登ではないのですが、、、、、、最初から想定していたように、、、、気温の上がった午後の、チョッときつい登りになりました。

    

その吾妻山に立ってみるとあの雲が、、、、、。積乱雲と言って良さそうに思えますが、どうなのでしょうか?

この吾妻山はイザナギノミコトが、比婆山に眠る妻イザナミノミコトを「あぁ、吾が妻よ」とこの山頂に立って生前を偲んだことが山名の由来とされているようです。

    

イザナギノミコトが見たのはこのような風景だったのでしょうか?

中央に二つ見えるずんぐりとしたピークの右側がイザナミノミコトの眠る御陵、比婆山です。左側は出雲烏帽子山ですが、ここから見ると「烏帽子」と言う山名がついた意味が分からない形をしています。

この日の歩数は15,000歩くらい、わが裏山を半日で歩く歩数と同程度です。しかし、気温が上がったためか、、大膳原から国民休暇村まで木陰を歩くことが少なかったからか、正直言って歩数以上に疲れを感じました。

これから暑い日が続きますが、、、、、私たちが北海道に上陸する日は11℃とか12℃とか言う予報が出ています。その北海道へ行くと寒く感じるのだろうなぁ、、、、、、。