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国東半島 宇佐市の戦争遺跡

2014-08-15 | 大分県 国東半島
本日8月15日は69回目の終戦記念日ということで、戦争に纏わり現存する施設の一つが宇佐(USA)市にあり、数年前に訪れる機会がありました。日本の中のUSA?・・・と、洒落ている場合ではないですが、このような機会でも無ければ目にすることもないと思い、祈りを込めて掲載します。

宇佐海軍航空隊は昭和14年(1939)10月1日、練習航空隊として開隊。しかし、米軍の空襲をうけるようになった昭和20(1945)年の太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの若者が南の空に飛び立っていった。掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るための施設であり、柳ヶ浦地区を中心とした基地の規模は東西1.2km、南北1.3kmで、184ha。戦後、飛行場などのあとは、水田や道路にかえされており、その面影を残すのは10基のコンクリート製掩体壕などわずかな遺構だけです。掩体壕は全国各地に現存しているが、ほとんどが農業用倉庫や車庫・ごみ置き場・野ざらし状態が多い中で、この城井一号掩体壕は宇佐市指定史跡として、後世に残すために周辺用地を含めて史跡公園として整備されている。





そばにある鎮魂の碑


特別攻撃隊員154名


城井一号掩体壕全景




実物大に合わせた機影と、海底から引き揚げたエンジンを整備し、実際の位置に設置した。


このように格納


入口は飛行機の形になっている


実用的な掩体壕


近くにある「爆弾池」








旧パラシュート工場らしい(現国有地)


弾痕の跡①


弾痕の跡②


弾痕の跡③

エンジン調整室


滑走路跡(現在は道路)