文献によると、街の名前の由来は「にしん」。鰊(にしん)が群来(くき)ると海一面に「かもめ」が飛ぶことから、アイヌ語で「かもめの多いところ」という意味の「マシュキニ」又は「マシュケ」からきている。増毛は都会とは違うノスタルジックな町。
今でこそ寂れた終着駅ながら、道北の開拓を担い、文化を運び続けた始発駅でもあった。 早くから開けた札幌・小樽の文化に ふれるには海路が主な交通手段。 古くは幕末の北方警備に本州から数々の藩が往来した中、秋田藩は本陣を構え、侍文化を遺したそうだ。
留萌本線の終着「ましけ」駅。丘の上には増毛灯台が海を照らす。

表に廻ると、駅の改札横で蕎麦屋さんが営業中。(大正10年建築)

駅前には、共に映画の舞台になった、旧富田屋旅館と風待食堂(旧多田商店:現在は観光案内所として活用) の看板がある古い建物が並んでいます。


昭和6年建築の、珍しい木造3階建ての堂々とした風貌。映画「魚影の群れ」に宿舎として登場とか。現在は営業してません。

昭和8年建築の駅前雑貨屋さん。現在は「観光案内所」。「駅 STATION」では、「風待食堂」として登場。

旅館「増毛館」昭和7年建築(左の風情ある建物)。現在は「ぼちぼちいこか増毛館」

津軽藩陣屋跡

名前は忘れたが味のある建物

旧商家 丸一本間家。観光案内所を出て左手に、増毛を代表する豪商で、ニシン漁全盛の1900~1950年頃の豪華な装飾品の数々が遺産として展示されている(観覧料400円)。明治14年(1881年)から21年間をかけたこの建物は、国の重要文化財に指定。屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫ってあり、壁面や門柱にも細かい飾りがある豪華な造り。






國稀酒造(明治38年建築) 明治15年創業の、日本最北の酒蔵。辛口の美味しい酒だ。



厳島神社(明治34年建築)創建250年で道内有数の歴史を持つ。参道の唐獅子や灯籠は江戸時代のもの。



現存する木造校舎では北海道内最古(昭和11建築)にして最大規模の木造校舎「旧町立増毛小学校」がある。平成24年まで現役だった。



海辺に建つ、民宿と海鮮レストラン 漁師の店「清宝」。本州から移築された蔵風の建物が宿泊棟で、漁船がお風呂だった!ムードは満点ながら、台風並みの大荒れ時の宿泊にて、部屋の仕切りがないので寒かった!風呂は已むなく近くの温泉へ・・・。こんなこともあるさ!!

素朴ムード満点の室内

この風呂に入りたかった!!
今でこそ寂れた終着駅ながら、道北の開拓を担い、文化を運び続けた始発駅でもあった。 早くから開けた札幌・小樽の文化に ふれるには海路が主な交通手段。 古くは幕末の北方警備に本州から数々の藩が往来した中、秋田藩は本陣を構え、侍文化を遺したそうだ。
留萌本線の終着「ましけ」駅。丘の上には増毛灯台が海を照らす。

表に廻ると、駅の改札横で蕎麦屋さんが営業中。(大正10年建築)

駅前には、共に映画の舞台になった、旧富田屋旅館と風待食堂(旧多田商店:現在は観光案内所として活用) の看板がある古い建物が並んでいます。


昭和6年建築の、珍しい木造3階建ての堂々とした風貌。映画「魚影の群れ」に宿舎として登場とか。現在は営業してません。

昭和8年建築の駅前雑貨屋さん。現在は「観光案内所」。「駅 STATION」では、「風待食堂」として登場。

旅館「増毛館」昭和7年建築(左の風情ある建物)。現在は「ぼちぼちいこか増毛館」

津軽藩陣屋跡

名前は忘れたが味のある建物

旧商家 丸一本間家。観光案内所を出て左手に、増毛を代表する豪商で、ニシン漁全盛の1900~1950年頃の豪華な装飾品の数々が遺産として展示されている(観覧料400円)。明治14年(1881年)から21年間をかけたこの建物は、国の重要文化財に指定。屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫ってあり、壁面や門柱にも細かい飾りがある豪華な造り。






國稀酒造(明治38年建築) 明治15年創業の、日本最北の酒蔵。辛口の美味しい酒だ。



厳島神社(明治34年建築)創建250年で道内有数の歴史を持つ。参道の唐獅子や灯籠は江戸時代のもの。



現存する木造校舎では北海道内最古(昭和11建築)にして最大規模の木造校舎「旧町立増毛小学校」がある。平成24年まで現役だった。



海辺に建つ、民宿と海鮮レストラン 漁師の店「清宝」。本州から移築された蔵風の建物が宿泊棟で、漁船がお風呂だった!ムードは満点ながら、台風並みの大荒れ時の宿泊にて、部屋の仕切りがないので寒かった!風呂は已むなく近くの温泉へ・・・。こんなこともあるさ!!

素朴ムード満点の室内

この風呂に入りたかった!!
