北海道と九州の風来旅とマイ道楽

マイ故郷の北海道観光旅と、毎年春にマイワイフ実家へ帰省ついでの九州観光旅と、マイ道楽「気ままなモクモク工房」のご案内!

国東半島 「昭和の町」豊後高田

2014-09-23 | 大分県 国東半島
「昭和の町」は、昭和の時代を再現した店舗が並ぶ商店街と、展示施設である昭和ロマン蔵とを中心としている。豊後高田市中心部の商店街は、昭和40年代までは国東半島で最も栄えた商店街であったが、その後、大型店の郊外への出店や過疎化のために衰退し、近年では、「犬と猫しか通らない」と言われるほど寂れた状態となっていた。
「昭和の町」は、この商店街に賑わいを取り戻すために2001年(平成13年)に始められた町おこしで、衰退のために建て替えが進まず、昭和30年代以前の古い建物が約7割も残っていることを逆手にとって、中心商店街に昭和30年代の町並みを再現したもの。2001年に、9店の商店が昭和30年代をイメージした外観に戻したことから始まり、2006年には38店に広がりを見せ、27万人の観光客が訪れるまでになって地方都市再生の成功例として全国から注目された。「昭和ノスタルジア」がここにある。
全国の中高年諸氏、昭和の残像を懐かしくご覧ください。説明はいりませんネ!




























国東半島 熊野磨崖仏

2014-09-20 | 大分県 国東半島
磨崖仏(まがいぶつ)とは、そそり立つ岩壁や岩壁を龕状に彫った内側に刻まれるなど、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像を指すとある。
この熊野磨崖仏は豊後磨崖仏の代表的なもので、日本最大級のスケールを誇るもの。入り口は、豊後高田市田染の田原山(鋸山)山麓にある今熊野山胎蔵寺(いまくまのさんたいぞうじ)である。この寺の脇から急な山道を300メートルほど分け入ると、鬼が一夜にして積み上げたという伝説が残る自然石を乱積にした石段に達する。この急峻な石段を登ると左手が開け、岩壁に刻まれた2体の巨大な磨崖仏が現れる。また、石段を登りきると熊野神社があるが、小生の体力が持たなかった。
左方の巨岩壁に不動明王(8m)と大日如来(6m)が刻まれている。不動明王はどこか微笑んだような姿で、引き締まった表情の大日如来とともに、息を切らせて訪れた人たちをその神秘的な姿でやさしく出迎えてくれる。これらは平安時代末期の作といわれ、国の重要文化財に指定されている。鬱蒼とした山中にこれほど巨大なものを刻んだことは、当時の信仰の強さを物語っている。



国の重要文化財である真木大堂の前を通り抜け


昼もなお薄暗い山道を上る






やがて鬼が一夜にして積み上げたとされる石段を登っていくと・・


出た!出た!不動明王と大日如来が!


大きさを比べるとやっぱりでかい。手前の小太りな小生が小さく見える!




北海道には見当たらない文化や歴史の違いがある。


国東半島 大分空港のホバークラフト

2014-09-16 | 大分県 国東半島
夜霧にむせぶ釧路や日本一の大湿原をとりあえず後にし、半熟ゆで卵と半熟ゆで卵の燻製で一服し終え、常に新鮮な感覚を維持できるよう、掲載のマンネリ化防止を目的に小生も暫し気分転換!少しの間、九州の風来旅に戻ってみようかナ。小生は天邪鬼的な目線で見るところもあり、まだ知られていない観光地にも、良いところがたくさんあります。

今回は、ノロッコ号では九州に行けない?ので、空路で大分県の玄関口、大分空港の近くから旅に出てみよう。空港からは、別府・湯布院界隈の観光地への距離も近い。空港に降り立って、まずユニークなのが、手荷物受取コンベアの回る手荷物の中に混じって、大きな「お寿司・・ウニ軍艦巻とエビ握り寿司」が一緒に回っている。大分空港で荷物受け取りのために設置してあるベルトコンベアーを、回転寿司のベルトコンベアーに見立てて、大分の名産品である海の幸をアピールするために乗せられているらしい。
また、今は廃止されたものの日本で唯一、4隻のホーバークラフトが大分空港~大分港の航路を就航していたが、残念ながら2009年10月31日で「運航終了」となった。大分空港に降り立つ楽しみが一つ減ってしまった。当時の様子を紹介しよう。

まずは、空港到着荷物受取ロビーのお寿司から。




数年前まで空港に隣接して「ホーバークラフト」の乗場があった。大きなファンで風を起し地面にたたきつけて車体を浮かせ、前進用のファンで海面を滑るように走ります。・・・が、乗ってはいないが写真撮りの際に、Wファンのでっかい扇風機?音がすごかった。
大分空港に着く度、いつも時間に追われて乗る機会が無かったので、空港内での撮影しかできなかったけど、廃止された今になって悔やまれる。一度は乗ってみたかったナァ・・・
かっこいい斜め後ろからの全景

奥のホバーが出発準備完了

誘導路を海に向かって驀進中

大分市へ


運行終了後、ホーバークラフトは中国企業に売却されたことになっていましたが、なんとそのホーバークラフトの機体が何故か熊本県の八代港で発見。一艇は中国で分解され(噂では技術の軍事転用目的?)残った三艇のうち一艇は客室が焼け落ち、錆びつき野ざらしの状態で保管されているそうです。

国東半島 宇佐市の戦争遺跡

2014-08-15 | 大分県 国東半島
本日8月15日は69回目の終戦記念日ということで、戦争に纏わり現存する施設の一つが宇佐(USA)市にあり、数年前に訪れる機会がありました。日本の中のUSA?・・・と、洒落ている場合ではないですが、このような機会でも無ければ目にすることもないと思い、祈りを込めて掲載します。

宇佐海軍航空隊は昭和14年(1939)10月1日、練習航空隊として開隊。しかし、米軍の空襲をうけるようになった昭和20(1945)年の太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの若者が南の空に飛び立っていった。掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るための施設であり、柳ヶ浦地区を中心とした基地の規模は東西1.2km、南北1.3kmで、184ha。戦後、飛行場などのあとは、水田や道路にかえされており、その面影を残すのは10基のコンクリート製掩体壕などわずかな遺構だけです。掩体壕は全国各地に現存しているが、ほとんどが農業用倉庫や車庫・ごみ置き場・野ざらし状態が多い中で、この城井一号掩体壕は宇佐市指定史跡として、後世に残すために周辺用地を含めて史跡公園として整備されている。





そばにある鎮魂の碑


特別攻撃隊員154名


城井一号掩体壕全景




実物大に合わせた機影と、海底から引き揚げたエンジンを整備し、実際の位置に設置した。


このように格納


入口は飛行機の形になっている


実用的な掩体壕


近くにある「爆弾池」








旧パラシュート工場らしい(現国有地)


弾痕の跡①


弾痕の跡②


弾痕の跡③

エンジン調整室


滑走路跡(現在は道路)


国東半島 伊美別宮社

2014-08-13 | 大分県 国東半島
このブログ初回で案内した姫島に行くフェリーが発着する伊美港の入口近くにある神社、伊美別宮社(いみべつぐうしゃ)は平安末期(886年)に建立された神社だそうで、石清水八幡宮の分霊を祀ったことが始まりとか(石清水八幡宮の別宮でした)。
石清水八幡宮は宇佐神宮から勧請(かんじょう)されて創られたそう。境内には子授け・安産の神として崇められる陰陽神や、国東半島最大の国東塔(国重要文化財に指定)などがある。


歴史を物語る佇まいの伊美別宮社の楼門




伊美別宮社の本殿


国東半島最大の国東塔 高さ4.81m(昭和33年3月に国重要文化財に指定)正応3年(1290年)作


境内の隅にあり、小さな鳥居がの奥にある「陰陽神」





「陰陽神」はりっぱな男根。受け皿は女性器







国東半島 両子寺(ふたごじ)

2014-08-08 | 大分県 国東半島
国東半島に行って、外すことができないほどの重みを持った歴史がこの両子寺である・・・・が、小生にはうまく説明ができるほどの知識を持ち合わせていないので、下記の説明を参考にしながらご覧ください。すごい歴史があるのは間違いないところ。

≪国東六郷満山の概略・・・国東天台寺院の総称≫
 国東半島のほぼ中央に聳える両子山(721m)から放射状にくにさきの谷々は海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷と称し、この地に開かれた天台宗寺院全体を総称しして六郷満山と呼び、奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡〈全国八幡の総本社〉の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含めて約八百の大小の堂、また、石仏・石塔が、点在し、ほとけの里といわれる六郷満山仏教文化圏が開かれてきました。
爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。そしてほとんどの寺院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、AD718年開創以来やがて1300年の節目を迎えんとしています。<養老2年(718年)に仁聞菩薩が開き六郷満山の総持院として栄えた古刹。国東半島の最高峰、 標高721mの両子山の中腹にあり、奥の院、総門、仁王像、苔むした石段などが往時をしのばせる。
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大講堂にある鎌倉末期の阿弥陀如来像






国東半島最大級の石像の仁王像(仁王門)







国東半島 川中不動

2014-08-05 | 大分県 国東半島
無明橋にたどり着く少し手前にある。天念寺前の川には不動明王が彫られている大きな岩があり、この周辺に点在する「磨崖仏」の一つとして知られている。

六郷満山の峰入り修行の寺院であった天念寺の前の長岩屋川の大岩に高さ3.23メートルの不動明王と2童子『制多迦(せいたか)童子 矜羯羅(こんがら)童子』 が彫られている。
水害防除の願いをこめて造られたと言われており、山あいの美しい小川に映る不動明王を見ていると、昔の人の信仰の強さを感じる。
天念寺は長岩屋山天念寺(ながいわやさんてんねんじ)といい、養老二年(718)に仁聞(にんもん)菩薩が開基したと伝えられる古刹。


長岩屋川の大岩に彫られている川中不動と奥は天念寺の講堂

左に天念寺講堂、右に身濯神社(みそそぎじんじゃ) がある。講堂は崖に埋め込まれるように建っている









中央の不動明王、左の制多迦(せいたか)童子、右の矜羯羅(こんがら)童子

石窟には数体の石仏が安置されている




国東半島 天念寺無明橋

2014-08-04 | 大分県 国東半島
前日のUPの際、同一内容で3度も余計にボタンを押してしまいました。まだまだブログ初心者の年寄の手が震えたのか・・・一つ勉強になりました。申し訳ない。気分転換に少し北海道から離れ、また九州の案内に戻ってきました。飽きない程度に日本の南北を少しづつご案内です。九州は歴史があり、北海道にはない古くからの貴重な文化の跡が多く残っています。これを機会に歴史も少し遡ってみるのも良いのかな?

天念寺無明橋(むみょうばし)は、・形式:単一石造アーチ・橋長: 5.7m・橋幅: 1.2m・架設: 大正期(1912~1926年頃)鬼会(おにえ)で有名な天念寺の裏山に架かっています。天念寺のそばに鬼会の里資料館があり、その駐車場から良く見えます。又、川の向かい側高台に車で上ると駐車場があり、ここからも遠くながらよく見えましたが、山の頂上を結ぶ位置に、おおよそ必要性に乏しい小さな石橋がかかっており、修行僧の修行場とか。小生は杖を突いている老体なので登山は無理ですが、望遠付のデジカメで撮ってみました。

鬼会の里資料館奥の山の上に小さな橋があります



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ドアップ!


橋上からの拝借画像