北海道と九州の風来旅とマイ道楽

マイ故郷の北海道観光旅と、毎年春にマイワイフ実家へ帰省ついでの九州観光旅と、マイ道楽「気ままなモクモク工房」のご案内!

寄り道旅 「大和ミュージアムVol2」 「零戦・ 回天 他 」 から九州へ

2015-08-14 | 広島市周辺
大和ミュージアムの多岐にわたる展示物に、目を丸くして見入っていたら、昔々、小さい頃にプラモデルを作って遊んだ頃の記憶がよみがえってくる。
あのころは戦艦や飛行機の名前をほとんど覚えていたものだが・・。
零式艦上戦闘機=ゼロ戦の展示がこれ。






















特殊潜航艇「海龍」










徳山周南港から、九州の国東半島への竹田津航路と、徳山湾に浮かぶ回天の島(大津島)へのフェリーと2航路が出ていた。大和ミュージアムにも本物が展示されていたが、ここのフェリー乗場前にはレプリカが展示されていた。回天は、いわば、魚雷型単座式兵器の、魚雷そのものに一人で乗って敵艦に向って行き、自爆するというもの。ある青年士官から提案されたもので、100人もの、平均年齢21歳の若い命が失われたそうである。これからも未来永劫にわたりあってはならないこと。
「回天の島」大津島のポスターがこれ。




フェリー乗場の「回天」展示がこれ。








徳山湾に浮かぶ謎の島??


国東半島の「姫島」が見えてきた。もうすぐ到着。

寄り道旅 呉市 「(戦艦)大和ミュージアム・てつのくじら館」

2015-08-11 | 広島市周辺
原爆ドームを一回りしてから、雨の中を皆で呉に向かった。小生の我儘で、ぜひ大和ミュージアムを見たい・・・と、無理やり旅程に組み込んでしまった! 原爆ドームからは小1時間で到着。海のそばのそれらしき場所に近づくと、いきなり、ビルの陰から空中に巨大な鉄の塊が姿を現す。「てつのくじら館」に現物展示されている退役潜水艦「あきしお」だった。ド迫力!長さは76.2m、幅は9.9m、そして深さは10.2m。ここへの壮大な陸揚げ作業は、多くの注目を集めたそうだ。内部も入れるが、時間の都合で外観だけに・・・。






呉を訪れた大本命は向いの「大和ミュージアム」。入口への横には「戦艦陸奥」の主砲である41インチ砲とスクリューが鎮座している。人の大きさと比べれば、デッカさがわかる。






これは主錨「⚓」!デカい!


ミュージアム内では、呉海軍工廠で建造された最大の船であった戦艦大和を中心とした展示を行っている。館内には10分の1スケールに縮小された戦艦「大和」をはじめ、零式艦上戦闘機62型、人間魚雷「回天」などの実物資料を展示。中でも戦艦大和はやはり圧巻である。一回りしてみよう。




























ゼロ戦や回天も掲載したいが、制限画数オーバーのようで、残りは次回に・・。

寄り道旅 広島市 「原爆ドーム(世界文化遺産)を接写 VOL2」

2015-08-06 | 広島市周辺
・・8月6日” 原爆の日”あらためて黙とう・・
原爆ドームの世界文化遺産への正式登録名は「ヒロシマ・ピース・メモリアル」。もとはチェコの建築家が設計した広島県産業奨励館で、大正時代に完成しモダンな表情を漂わせていた。
世界遺産の登録基準となる、文明や芸術、景観にかかわるものはないが、「二度と同じような悲劇が起こらないように」という戒めや願いを込め、人類共通の平和記念碑として登録されたそうだ。
今回は、季節の花の向うで小雨の中にけぶるドームの周囲を廻りながら撮った、5月の表情を見てみよう。
もはや説明は要らないだろう・・。今回は特別に8月6日の記念日に合わせてUPしよう。








































寄り道旅 広島市 「 原爆ドーム(世界文化遺産)を接写 VOL1」

2015-08-04 | 広島市周辺
8月6日は戦後70年の「原爆記念日」。この日に向けて、二回にわたり原爆ドームを案内しよう。
(以下は今年5月GWに広島に訪れた際の画像です)


昭和20年8月6日午前8時15分17秒 アメリカ軍によって原子爆弾が広島市に投下された。熱線と衝撃波、放射能により広島市は焦土と化し、同年12月まで14万人の人が被爆死し、その惨劇の象徴が原爆ドーム。人類史上初めて使用された大量殺戮兵器の惨禍を後世に伝える「負の遺産」。原爆ドームは、もともと大正3年に建造された広島県産業奨励館だったが、爆心地から北西約160mという至近距離にあったこの建物は爆風と熱線を浴びて大破した。今は国民の平和への願いの象徴となっている。・・黙とう・・

街なかのビルの一角にこの碑があった。このポイント上空で原子爆弾が爆発したとある・・・爆心地点である。


たまたま、宿泊した和風ホテル(広島の宿 相生)が原爆ドームの目の前にあった。
上階の展望風呂脱衣室からは、下からは見えない最上階部分やドームの破壊部分が、同じ目線の高さで見ることができた。






夜はライトアップで浮き上がる。










原爆記念日にはN放送局が借り切るそうである。小生も散歩方々、小雨の中ドームを一周しながらシャッターを押して回ったが、
出発のドタバタに追われ「平和記念公園」には行けなかったのが残念である。














次回は原爆ドームを一回りしてみます。

寄り道旅 広島市 「安芸の宮島・厳島神社(世界文化遺産)」

2015-07-31 | 広島市周辺
宮島口はGW等の超繁忙期には午前7時ぐらいには混雑が始まるそうで、渋滞のピークは正午前後とか。道路は大渋滞、駐車場はどこも満車。・との事前情報で覚悟して行ったが、先に錦帯橋を周ったので宮島口到着が、ピークを過ぎたPM2時頃だった。
ラッキーにもフェリー乗場から徒歩5分の海側にすんなり駐車場を確保!JRフェリーの方が大鳥居の近くを通ると聞いていたので、情報通りに乗船し、船上からの見物が身近に出来た。海上からの眺めも感動的である・・が、さすがにGW、人が多い。

以下3枚はフェリーから撮った厳島神社の望遠映像






宮島で最も賑やかな表参道商店街が、名物「もみじまんじゅう」の看板を掲げ、ほぼ一直線に続く。大鳥居がみえてくる石鳥居まで約350m、日本三景の一つで世界文化遺産に登録され、海を敷地とした大胆・ユニークな構成と寝殿造りの粋を極めた荘厳で華麗な建築美。海を境内にした厳島神社は潮の干満や昼夜で、その姿を変える。朱塗りの社殿は、背後の弥山の緑、瀬戸の青い海とのコントラストでさらに美しさを増し、潮が満ちてくると海に浮かんで見えるだろう。朱塗りの大鳥居は、奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、重量は約60tあるそうで、内部に石が多数詰め込まれており、その重みによって大鳥居は自立し、風や波に耐えるようになっていると、説明書きに書いてあった。

宮島に到着し、桟橋からの眺め。下船してからの距離はこんな感じ・・左側から海伝いに普通に歩いて約15分程。


人に馴れた鹿が何頭もお出迎え。




我々一行が到着した頃は、ちょうど引き潮の時だったので、境内の砂地が露出して、社殿から大鳥居まで歩いて渡れた。社殿まで歩きたかったが、暑さと足の疲れでギブアップ!満潮時の海面に浮かぶ大鳥居も見てみたいが、満潮まで何時間もの時間差があるのであきらめた。








干潮時の社殿から大鳥居までの境内(海底部分)パノラマ撮影。


すれ違いのフェリーの向うに大鳥居




本土に上陸して今宵の宿に向かう。

寄り道旅 岩国市 「緑に映える 錦帯橋」

2015-07-28 | 広島市周辺
今回は、今年5月GWに九州へ帰省した際に足を延ばした広島周辺にワープして、一緒に楽しんでみよう。
5月2日に札幌から福岡への直行便で無事に到着し、空港前レンタカーで豊後高田へ。最近のTVニュースで「東九州自動車道」高速道路の計画路線上で途切れていた豊前付近の「ミカン畑収用問題」が解決されたようで、来年のGWには帰省時間も短縮されそうだ。早く全面開通して、九州を外回り一周の風来旅を楽しんでみたいものである。来年以降の帰省が非常に楽しみだ。
さて今回は、雪解け早々の計画段階から、「国東半島竹田津港からフェリーで徳山➡岩国の錦帯橋➡安芸の宮島➡原爆ドーム➡呉の戦艦ヤマトミュージアム・鉄のくじら館➡広島焼き・本場のもみじまんじゅうを堪能➡九州へ再上陸!」の周遊コースを計画。
広島周辺には北海道からは単発旅行で行く機会がないので、帰省ついでにコレ幸い!とばかり、瀬戸内海を横断して広島方面へ、90歳の義母を含め身内縁者家族6人の皆で楽しんできた。

一日目の一番目の行程目標は、日本三名橋のひとつ「錦帯橋」。他に例を見ない特異な姿の木造五連の反り橋。




正面の丘の上には「岩国城」が見える(望遠にて)。山すそからロープウェーが運行している。


錦川に架かる長さ193.3m幅5mの五連反り橋の往復昇降は、杖を突きながらの歩行障害ジジイには結構キツかった・・・






木造橋の構造を下から覗いてみよう






276年間流されなかった錦帯橋が、1950年(昭和25年)9月14日、折からのキジア台風により第四橋の橋脚から崩壊し、錦帯橋はほぼ完全に流失してしまう。向う岸の小さなソフトクリーム屋さんで、当時の貴重な写真が飾ってあったので、店主了解のもと掲示しよう。




店の前にある「槍倒し松(やりこかしのまつ」から見た錦帯橋。この横には「佐々木小次郎が、錦帯橋畔で柳の枝が燕を打つのを見て「燕返し」の術を得た」といわれる「巌流ゆかりの柳」がある。また、この一帯はサクラの名所でもあるそう。