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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「11万人」の次は「35万人」? 鳩山民主はエイリアンとの戦い!

2009-05-18 07:54:36 | 県知事選

 

今時一昨年の「11万人集会」を、県民が11万人集結した県民大会と信じる狂信的人間は、沖縄二紙と一部「プロ市民」しかいないとは思うが、

昨日同じ場所の宜野湾海浜公園で行われた「5・15県民大会」の動員数がが注目された。

「5・15県民大会」県外からの参加者1200人を含め、沖縄の西、東、南の三ヶ所からそれぞれ各地の「県民」が三日間にわたり「平和行進」し、最終日の17日には目的地の宜野湾海浜公園で合流し「5.15県民大会」を開催するという壮大なもの。

主催者は沿道から次々参加者が増え、目的地の海浜公園にはかなりの数の県民の参加を期待していたようだが・・・。

「平和」の乱用は「平和インフレ」をきたすと書いたが、「プロ市民集会」にも「県民大会」と称するのはこではさておき、愛読ブログ逆風って気持ちいい!さんの⇒平和行進 に「県民大会」のいかがわしさへの怒りはお任せしよう。

 

で、問題の動員人数だが・・・今朝の沖縄タイムスの一面と社会面トップは「5.15県民大会」の見出しと写真が踊っているが、

注目の参加数は・・・

何と35万人、・・・もとい、3万5千人、・・・じゃなく・・・

な・な・何と3千5百人! そう、3500人が主催者発表の参加人数。

3500人参加の県民大会というと、一昨年の「11万人集会」の三月前に同じく教科書検定意見に抗議する「県民大会」が行われ、そのときの主催者発表が3500人だったことを思い出す。

 同じニュースを共同は1000人、世界日報は900人と報じていたので実数は1000人前後が正しいだろう。

三ヶ月ごとの「県民大会」は多すぎるでしょう

だとすれば、「11万人」の計算の基礎となった12年前の「米兵中学生暴行事件に抗議する県民大会」の85000人も怪しいもので、2万人弱が実数だろう。

以下引用。

県民大会 超党派で/「集団自決」修正 (沖縄タイムス2007年8月9日)

(略)六月に教職員を中心に県民大会を開いた高嶋伸欣・琉球大教授。「中央政府と地方という力関係にひるまない、沖縄県民のゆるがない確信を感じる。主権在民のお手本で、『集団自決』への日本軍関与の記述復活とともに、記述復活のための県民の運動も教科書に掲載させたい」と、県民大会開催に向けた動きを評価した。

                      ◇

六月に教職員を中心に県民大会を開いた高嶋伸欣・琉球大教授。

これを見て、先々月にも「県民大会」が行われていたと知り驚いた沖縄県民もいただろう。 

しかも同じテーマで。

県民が知らない間の「県民大会」。

集団自決に関る教科書検定と言う同じテーマを掲げて三ヶ月ごとに「県民大会」が行われる異常な空間が沖縄の現状である。

地元両紙は動員人数を主催者の発表をそのまま参加者3500人と報じたが、

独自に取材した共同配信は1000人と報じていた。

実際に目撃した人の話では500人程度だったとか。

「県民大会」と称するには余りにも低次元の参加人数で、結局は県民不在の「知られざる県民大会」に終わった。

主催は左翼学者高嶋教授を中心にした教職員各団体だった。

これでは仲井真知事が「大衆運動」と断じ、副知事も「偏った政治運動」と懸念するの当然だ。

この「大衆運動」をオーバーに1面で報じる沖縄タイムス記事。(2007年6月10日 朝刊 1面 )

歴史歪曲 3500人抗議/「集団自決」修正【写真】 
 63団体が県民大会/検定意見撤回求め決議
 文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除、修正されたことに抗議する6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」(主催・同実行委員会)が九日、那覇市の県民広場で開かれた。約三千五百人(主催者発表)が参加。文科省に対し、検定意見の撤回を求める大会決議を採択した。
 六十三団体でつくる実行委員会を代表し、あいさつした高嶋伸欣琉球大学教授は「生徒がこの教科書を使う来年四月までまだ時間がある。県民の声を文科省にぶつけて検定意見を撤回させることは一九八二年の前例もあり、十分可能だ」と強調。「会場の熱気に勇気づけられた。来週予定している伊吹文明大臣との交渉では、過去の経緯などを含めて厳しく追及し、成果につなげたい」と力を込めた。 (略)

                    ◇

「県民大会」の仕掛け人・高嶋教授は、この時の失敗に懲りたのか9月9日の「県民大会」には当初の発起人である高教組と沖教組をを実行委員から外し、大会から日教組のニオイを消し去った。

そして女・子供・年寄りの最強トライアングルを全面に立てて「市民運動」の臭いも消して世論を欺くつもりらしい。

一部のグループを操って「県民の総意」だとか「県民大会」といった言葉を軽々しく使うのは県民にとって迷惑な話だ。(「検定意見書撤回」  県民の総意とは迷惑な

そもそも教科書の記述は高度に専門性を要するもの。

「県民の総意」や「県民大会」で決めるものではないはず。

仲里副知事が言った「専門家や学者らから成る組織を立ち上げ、事実を検証すること」。

これこそ教科書記述の要諦ではないのか。

同じ姓で紛らわしいが、この仲里副知事と、「県民大会」執行委員長の「毒入りおにぎり」の仲里県議議長とが別人であることは言うまでも無い。(毒入りおにぎりを渡された県議会議長

 引用終了。

                   ◆

このときは900人を3500人と発表していた。 この率でいうと実数の約四倍となるので、やはり「11万人」を四分の一の28000人前後が実数に近いのだろう。

例によって地元二紙のウェブ記事の更新は遅いので、琉球朝日放送の記事を引用する。↓動画もあります。

 5.15県民大会 基地撤去で平和訴え

2009年5月17日 17時48分
5・15平和行進が5月17日ゴールを迎え、全参加者が結集しての県民大会が、宜野湾市の宜野湾海浜公園野外劇場で開かれました。大会には、県内3つのコースに分かれ、基地の現状を目の当たりにしてきた平和行進の参加者など、県内外からおよそ3500人が結集しました。

県外からの参加者は「嘉手納なんか本当に基地の中に町があるという感じですね」と話し、また別の参加者は「沖縄のみなさんの声を聞いて、沖縄に平和がやってくるように、本当に心から思っています」と話していました。

県民大会では主催者の沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長が、「全国からの参加者が沖縄の問題を共有してくれることを心強く感じている。基地の島・沖縄という現状から脱却し、平和を発信していきたい」とあいさつ。参加者はシュプレヒコールをあげながら、平和な暮らしを守り日米軍事同盟の強化阻止を訴えました。

                         ◆              

                     

民主党:小沢氏は代表代行 幹事長に岡田氏
民主党の鳩山由紀夫代表は17日、小沢一郎前代表を新設する選挙担当の代表代行に、代表選を戦った岡田克也副代表は幹事長に起用する新執行部の人事を決めた。菅直人代表代行は再任し、これまでの小沢代表・鳩山幹事長・菅代行による「トロイカ体制」に岡田氏を加えた「トロイカプラスワン」(鳩山代表)の体制で同党は再出発する。

 鳩山氏は同日夜、小沢、岡田両氏のほか菅氏と輿石東参院議員会長(代表代行)と党本部で会談。輿石氏の再任も決まり、代表代行は1人増えて3人となる。小沢氏は記者団に「鳩山代表のもとで政権交代へ向け今まで以上に頑張っていきたい」、岡田氏も「政権交代のために、鳩山代表のもと、しっかり支えたい」と抱負を述べた。新執行部人事は19日にも開かれる両院議員総会で了承される。

 鳩山氏は記者団に対し、岡田氏の幹事長起用の理由について「代表選でさわやかな戦いをし、全国に熱烈に支持する人もいる。挙党一致も大事だ」と説明。小沢氏については「党を国政選挙に強い体質に導いてくれた。これからも選挙を担ってほしい」と述べた。両氏の起用には「親小沢」対「非小沢」の構図となった代表選のしこりを解消し、挙党態勢につなげる狙いがある。

 また、鳩山氏は国対委員長などほかの党幹部人事について、衆院選が近いことなどを理由に「基本的に居抜きだ」と述べ、小沢代表時代の体制を継続する考えを示した。【白戸圭一】

 

                      ◇

小沢が去って民主党の代表に鳩山幹事長が決まった。

宇宙人とフランケンの戦いは、宇宙人が勝利したわけだ。

外部からやってきて組織を破壊し内側から食い破って出て行く姿から連想すれば小沢はさだめしエイリアンか。

民意はフランケンの方が宇宙人に勝っていたので、保守陣営では鳩山さんありがとう!と言う声もある。

だが、エイリアンは自分が潜む組織を内部から操り最後は食い破ることを忘れてはいけない。

早速ネット上にはこんな戯れ歌も・・・

<鳩山と書いてオザワとルビを振る>(会津若松のYさん)

これには「所詮変わらぬ民主党代表」と続くが、このような意見も⇒小沢傀儡政権スタート 

 

結局、宇宙人の体内に寄生したエイリアンとフランケンが抗争を始め、再度エイリアンにフランケンが食い殺されるか、その前に逃げ出すかでドタバタ劇は終了するだろう。

これで麻生政権への追い風は益々勢いを増してきたようだ。

 

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦


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コメント (2)

『うらそえ文藝』があばく集団自決の真相

2009-05-16 18:05:17 | ★集団自決

 沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

 

『うらそえ文藝』の論考に蛇足のようなコメントを書き連ねているが、しばらく我慢してお付き合い願いたい。 本来なら同誌を入手して読んで頂くのが一番だが、読者によっては直ぐ手に入りにくい方もおられることと思い、同誌の宣伝の意味もかねてしばらく蛇足エントリーを続けたい。 同誌は書庫に留め置くべき歴史的文献になると筆者は思う。 集団自決問題に関心のある方は右、左の立場に関係なく是非購読してほしい。

ちなみに同誌の入手先はここ。

浦添市文化協会
沖縄県浦添市牧港3丁目40番6号浦添市立中央公民館分館

TEL/FAX 098-878-4553 
価格・1200円(+送料)

                     ◇

『うらそえ文藝』(4号)に掲載の集団自決特集は星雅彦氏執筆の論考「集団自決の断層」と、上原正稔氏執筆の論考「人間の尊厳を取り戻す時ー誰も語れない“集団自殺”の真実ー」そして執筆両氏の対談という三部構成になっている。

前稿で星氏の論考の結論部分を紹介したので、次に進みたいが、星氏は大阪地裁の判決を批判した後、「援護法が出来る前から軍命は鉄の暴風にあったから軍命を援護法は関係ない」という被告側の主張に対して反論しているで、これを追記しておく。

 <大江健三郎は「沖縄ノート」を『沖縄戦記・鉄の暴風』を根拠に執筆したと陳述書で強調している。だが間違いだらけのその『鉄の暴風』の根拠たるや、曖昧な上に脆弱で稀薄なのだ。しかも日本軍の関与が命令の相当性ありとするには、無理な論理があり飛躍がある。問題の接点を考えてみる。
 「軍命」と「援護法」は直接関係ないのに、軍命の記述は援護法が出る前から「鉄の暴風」にあったから、「捏造」が崩れたとしている。しかし援護法は、「戦闘協略者」という規定に当て嵌めて適用したのであって、自決者は戦闘協力者であるとしたので、その視点から方便が使われたということは確かだ
。(「集団自決の断層」ー星雅彦)>


上原正稔氏の「人間の尊厳を取り戻す時ー誰も語れない“集団自殺”の真実ー」は後に譲って、

沖縄戦記の実証的調査の先駆者とも言える沖縄在住の知識人のお二人の対談から要点を抜粋引用する。(太字強調は引用者)

:・・・単刀直入に質問します。
沖縄戦において集団自決は、果たして隊長の命令で行われたものなのかどうか。そのことを簡単明瞭に答えて下さい。

上原: 結論的に言いますと、隊長の命令は全くなかったんです。これが隊長の命令があったと喧伝された背景については、何度も書きましたけれども、読者はほとんど読んでないので、読んでも古いから今改めてこういう質問と問題が提起されているから答えますけれども、とにかく隊長命令はなかった。これはもう動かしがたい事実です。・・・・・

・・・(略)・・・・

それからこの裁判で、証言者たちが前言を翻して、逆な発言をするのも不思議な現象だ。例えば、宮城晴美さんのお母さんの宮城初枝さん、以前は宮平初枝さんだが、その人が軍命について嘘の証言をしたことを告白したのを、娘が証言したことを告白したのを、娘が後でまた裏返してあの告白は嘘だったという経緯がる。その上、戦後生まれの宮城晴美さんは自分の証言の真実性を訴えたりする。また、二重の虚言的な操作をする人が出てきたりして、非常に疑心暗鬼になる。ただ、住民が本当のことを言えなくて、奥歯にものの挟まったような状態で証言するのを、私は数人から何度も感じてきたわけです。
また、四十年ほど前に渡嘉敷島に宿泊して、私は当時の村長と駐在巡査と宮城初枝に会って話を聞いたわけです。そのとき何かしらしっくりせず隠しているなと感じたものです。
隊長命令があったとは誰も言わなかったし、なかったとも言えないふうに、非常に曖昧だった。
「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれど
ある程度の確信はあったが、あの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。

上原:  
集団自決と関係者の発言はまさに援護法というものが作用しているんです。
実は一九五一年九月八日に「サンフランシスコ平和条約」が締結され、それで沖縄は日本から切り離されて、沖縄から抗議の声上がったわけですよ。どこにもこの記録はないんですが、僕の推定では、沖縄の声を日本政府は聞き入れて、沖縄はアメリカに自由に使ってくださいと提供したが、そこで沖縄に申し訳ないという気持ちがあったわけですよ。そのために沖縄にお金を落とすことにしたわけですよ。これが援護法の拡大適用というやつです
それで、この援護法というのは、本来は軍人と軍属だけにしか下されないものなんです。
ヤマトでは東京でも大空襲の被害者にはお金は一銭も下りてません。また、原爆被害者にもお金は一銭も下りていません。それは原爆手帳というかたちの診療を受ける権利しかないわけです。
それなのに、日本政府は自国民には一銭も出してないが、沖縄には集団自決者にも援護法を拡大適用にして給付金を出した。沖縄の人たちはそれを隠し通したわけですよ。

:  一般住民にも遺族年金が支給されたのは、『鉄の暴風』が隊長命令で集団自決が起きたと書きたてたために、後で援護法が適用されるようになっあっと、そんなふうに解釈している人もいる

上原: いや『鉄の暴風』が書かれても書かれなくても援護法は、拡大解釈されたのです。沖縄だけです。

: 「沖縄住民に特別配慮を賜った」わけだ。

上原 :
この援護法というものに、厚生省は条件を付けた。それは軍協力者であるということ。
そうであれば五歳以上の者は受ける権利がるということだった。後年、幼児も含めるようになったようです。

: 隊長の命令とは関係ないが、追いつめられ住民は軍民一体にさせられた…。

上原:  それでね、渡嘉敷村役場でも、それから座間味村役場でも偽の報告書を作ったわけですよ
それぞれ「赤松隊長の命令によって我々は集団自決をしました。」と。
座間味でも、「梅澤隊長命令によって集団自決をしました。」と出して、遺族年金がもらえるようになったわけです。それで、それに立ち会った県援護課の照屋昇雄さんは非常に重要な証人なんですね。まだ那覇には健在の照屋さんは、二〇〇六年の一月の産経新聞インタビューの中で、そのことを証言している。

<「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれどある程度の確信はあったが、あの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。>集団自決を追って


外にも沖縄タイムスの謝花記者が見たら泡を吹いてひっくり返りそうな、沖縄タイムスの「隠蔽された秘密」も話題にでてくるが、これは同誌を購入の上、自分で確かめてほしい。


 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
祥伝社

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コメント (2)

死についての論考ー星雅彦氏が『うらそえ文藝』で

2009-05-16 08:24:48 | ★集団自決

 






 

 

 

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レッテル貼りは左翼の得意戦術であるが、沖縄の新聞は「集団自決」という言葉自体がおかしいとして、現在「強制集団死」と併記している。

「集団自決」は『鉄の暴風』の執筆者太田良博氏が始めて使用したとされているが、これに異議を唱え「強制集団死」とすべきだと主張するのは、石原昌家沖国大教授。⇒連載「消される事実・教科書検定と沖縄戦」(3)http://www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/kesareru_jijitsu03.html

集団自決の「軍命の有無」について議論が分かれているのを承知の上で、問題のキーワードを「強制集団死」と自分の結論を著す言葉に書き換えたら、最初から議論を拒否したことに等しい。

石原教授は「集団自決」問題では、「軍命あり派」の論客の一人だが、「集団自決」の呼称が不適切であるとして、「集団強制死」を使うべきとする論文を書いたと聞く。

当日記が「集団自決」を言いかえるのなら、「集団強制死」よりむしろ、「集団無理心中」と表現した方が、問題の本質をよく言い表していると書いた。⇒タイムス、新報はサヨクの機関紙だ!

 

これまで「集団自決の軍命の有無」に関して当日記は夥しい数のエントリーをしてきた。

そして、たとえ軍の命令であったとしても、別の命令ならともかく、自分や愛する肉親の命を絶てという命令に従い、唯々諾々と殺害する人はいないと書いた。

さらに追いつめられパニックに陥った人間の行動の分析には、歴史学者だけでなく心理学者の解析も必要だとも書いた。

沖縄紙が報じない金城重氏の闇の部分

重栄、重明兄弟は肉親の他に他人も手にかけていたのだ。

しかもそのうちの数人は生き残って島で生活している。

兄弟にとってこれ以上の地獄が他にあろうか。

弟の重明氏が戦後島を出て宗教の道に入った心境も理解できる。

だが、肉親どころか他人まで自分が手にかけた重明氏は自分達の取った行動を自責の念で「家族への愛だった」と弁明する。

その一方、責任転嫁で「軍の強制だった」と言い続けなければ生きてはいけなかった。

「集団自決」とは何だったのか。

追い詰められた末の、閉鎖空間における極限的な状況が生み出した「狂気」のなせる業であり、その「狂気」は元々人間の内部に潜む。

この解明には歴史家はもとより心理学者の検証研究が不可欠と考える

 

詩人であり作家でもある星雅彦氏が『うらそえ文藝」の論文の結論部分で、「集団自決」における死という根源的問題に深い考察を提示している。

さて、「死」に関する考察だがー人は、「死ね」と命令されて、素直に承知して「死ぬ」だろうか。 生きる生命力が優先するはずだ。ほんとうに軍命によって強制集団死したのであるならば、その已む無き自決は、自決そのものが強制であって自らの意志ではないということになる。 無論、わけがわからないまま殺害された老人や幼児らは別として、すべて強制に従ったとすると、殺す側も殺される側も狂気の中にあったにしろ自らの意志に反する行為を選んだことになる。 この場合、逃げ場を失って混乱していたにせよ、鬼畜米英への恐怖だったにせよ、軍の足手まといにならないように願っていたにせよ、何はともあれ戦時の皇民化教育や軍国主義などに洗脳されての自主的な行為ではなかったということになる。
そうすると強制集団死の強制は、天皇陛下に命を捧げるとか、国のために自ら死ぬといった戦時中の浸透していた独特な空気とも次元が異なり、
むしろあの「空気」の存在を否定することになるだろう。 
つまり強制集団死は、現在の視点からの被害者意識に立った解釈に基づいていて、戦中の軍国主義の強制性の存在をも否定したことになるのだ。 そこには善かれ悪しかれ史実としてあったものを無視する強引さがある。 これは逆に史実を捏造したことにはならないか。
 ほんとうは戦中の玉砕精神と命を捧げた実態を認めることによって、過去の時代を真に認識し、死者たちの真相を捉えることになるはずなのに、集団自決を単に「強制集団死」の語彙一色に塗りこめると、折角の政治政治的キャンペーンも逆効果になって隠蔽された史実になりはしないか
老婆心ながら以上のことを痛感する。 裁判も含めて、集団自決問題は厳然たる事実として、その実情を捉えなおすこと。 政治的イデオロギー論争にやたら進展させないで欲しいと思う
。>

ちなみに『うらそえ文義』掲載の上原正稔氏との対談で星氏は「強制集団死」の使用を主張する傾向を厳しく批判している。

この論考は、私がこれ以上何も付け加えることもないほど集団自決の核心を衝いており、同時に沖縄紙をはじめとする識者達への痛烈な批判をも含んでいる。 

蛇足とも思われたが、文中の太字強調は引用者が行った。

蛇足ついでにもう一つ。

上記論考掲載の『うらそえ文藝』のバックナンバーを調べて見ると、「強制集団死」の使用を主張する石原昌家教授が、古い号で「強制集団死」について寄稿している。

この論考は名指しこそしていないが、石原教授へのキツーイ批判でもアル。

                   ◆

 

 

        ■田母神沖縄講演会のお知らせ■

 

 講演会の詳細はここ。

 

講演会後、引き続き食事をしながら田母神さんを囲んで懇親会を催します。

是非お気軽に参加ください。

 

【懇親会】

【日 時】平成21年5月30日(土)        

              午後2時受付 午後2時30分~午後4時閉会

 

【会 場】パシフィックホテル沖縄 珊瑚の間

                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162

 

【会 費】5,000円

【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会

 

連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里

              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037

 

※出来ましたら上記に前もってご予約頂ければ幸いです。

 

 






 

 

 

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コメント (5)

辻元清美の「平和ごっこ」 ピースボートの秀逸なギャグ

2009-05-15 10:09:29 | 県知事選

 






 

 

 

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沖縄の新聞ほど見出しに平和の文字が躍る新聞はないだろう。

今朝も沖縄タイムスの一面と三面の見出しに大きな平和の文字が躍る。

今日は本土復帰(施政権返還)37年目の日ということで、昨日来「平和行進」の結団式が行われ、今日の午前、名護出発の東コース、本部町出発の西コース、那覇市出発の南コース3コースに分かれてスタートし、最終日の17日には宜野湾市海浜公園にて合流し、「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開くという。

あの「11万人集会」の海浜公園である!

県外からも1500人参加すると言うから、さぞや盛会だろうが会場を埋める参加者の人数が全国の注目の的。

毎度の事ながら「プロ市民大会」を勝手に「県民大会」と称するのは止めてほしいもの。

それに「平和」と叫んで行進すれば平和が得られるなら、イラクやアフガニスタンで「平和行進」をすべきだと思うが・・・。

平和については当日記でも過去に数多くエントリーした。

平和運動「家」がいる

「日本海→平和の海」  「平和通り」で想うこと

続・「平和通り」で思うこと  朝日新聞は「奴隷的平和主義者 」

琉球新報の記者さんも内心は平和の多用には辟易しているように思うのだが・・・。

琉球新報 記者の余録


平和の変容

 今年も6月23日の慰霊の日を前に、県内の各学校では平和学習が取り組まれた。わたしが取材したいくつかの小学校の平和集会でも、戦争体験者の話を聞いたり、子どもたちが群読に取り組むなど、工夫した取り組みが行われていたが、ひとつ不思議なことがあった。
 どの学校も、会場の体育館には子どもたちが事前学習のまとめや感想を寄せ書きした掲示物があったが、その多くが“いじめをなくし、友達と仲良くする”“家族を大事にする”というものだったことだ。子どもたちに話を聞いても「これからは周りの人とけんかをしないで仲良くする」と口をそろえた。
 なぜそれが平和学習の感想として出てくるのか、不思議だった。発達段階に応じた平和教育ということかもしれないと思う一方、“平和”の中身が、変わりつつあるような気もした。
 ある教諭によると「10年ほど前から学校現場で、平和教育といっても何も沖縄戦のことだけでなく、いじめなど身近な問題もある、という考え方が出始めた」という。それだけでなく、すべての教職員が戦争を知らない世代となった今、子どもたちに平和をどう伝えていくか、その力が問われているという問題かもしれない。それは、報道に携わる者の課題でもある。
 ある学校で戦争体験を語った男性が帰り際「わたしの話は子どもたちに伝わったでしょうか」と不安そうにつぶやかれたが、わたしにも分からなかった。
(大崎志保、中部報道部)(12/21 10:00)≫

 平和の海」に「平和省」、・・そう、「平和船」があった!

「平和」を冠した「平和の船」。

そう、平和を旗印にしたあの辻元女史の「ピースボート」が自衛隊に助けを求めたニュースは、吉本も真っ青の「大爆笑劇」である。

「反対…でも守って」 海自がピースボートを護衛 ソマリア沖
2009.5.14 01:38
  海賊対策のためアフリカ・ソマリア沖に展開中の海上自衛隊の護衛艦が、民間国際交流団体「ピースボート」の船旅の旅客船を護衛したことが13日、分かった。ピースボートは海賊対策での海自派遣に反対しており、主張とのギャップは議論を呼びそうだ。

 海自の護衛艦2隻は11日から13日にかけ、ソマリア沖・アデン湾を航行する日本関係船舶7隻を護衛。うち1隻がピースボートの船旅の旅客船だった。ピースボートは社民党の辻元清美衆院議員が早稲田大在学中の昭和58年に設立。船旅は寄港地のNGO(非政府組織)や学生らと交流を図ることなどを目的としている。

 66回目となる今回の船旅は約3カ月半に及ぶ地球一周で、北欧5カ国とフィヨルドを巡るのが目玉。約600人が参加し、4月23日に横浜港を出発後、中国とシンガポールに寄港。ピースボートのホームページには船旅の最新リポートとして、デッキで催されたフルーツパーティーの様子が掲載されている。

 ピースボート事務局によると、船旅の企画・実施会社が護衛任務を調整する国土交通省海賊対策連絡調整室と安全対策を協議し、海自が護衛する船団に入ることが決まったという

 ピースボートは市民団体による海自派遣反対の共同声明にも名を連ねている。事務局の担当者は「海上保安庁ではなく海自が派遣されているのは残念だが、主張とは別に参加者の安全が第一。(企画・実施会社が)護衛を依頼した判断を尊重する」と話している

                  ◇

「差別だ!」と声高に叫ぶ者に実は差別主義者が多いと書いた。

一方、「平和主義」を声高に叫ぶものに暴力主義者がが多いというと、シャレがキツイと誰も相手にしてくれない。

その意味でいえば「太平洋戦争」とは「大きな平和の海の戦争」と言うギャグになる。

平和主義を唱える太田昌秀元沖縄知事の暴力癖は前に書いたが、「ピースボート(平和の船)」の創設者辻元清美氏が暴力組織の赤軍派のシンパであることはつとに知られたこと。

その一方、平和ブリッコで「ソマリア沖に海上自衛艦を出すな! 海賊問題に名を借りた海外派兵新法に反対する!」
と共同声明を出す左翼集団の中に「ピースボート」も名を連ねている。↓
 
「ヒロさん日記」にピースボートの内情が詳しい。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/idx/?mycategory_id=31023
日本郵船や商船三井が「ビジネスクラス」だとすれば、ピースボートの旅は「格安エコノミー」である。いかに格安とはいえ、3ヵ月の基本料が145万(早期入金割引で125万)、各寄港地でのツアーが30~60万、有料の英会話・パソコン講座などに申し込むとさらに10万、パブ・屋台・カラオケで遊ぶと2~3万はかかってしまう。まあ、なんやかんや言っても、楽しく過ごすには200万はないとダメなんだな、これが。
 
それにしても、200万円の船旅に参加する学生とは、一体どんな連中なんだ!

 これで3ヶ月の間世界中を航行するのだから、本来だったら200万に加えて警備保障に予算を組むべきだろうが、そこはピースボート、

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」建前上、警備に予算を使うわけには行かない。

その結果、自分が否定する自衛隊に助けを求めたという。

今回自衛隊に護衛された経緯を国会で詳しく説明しますか、辻元さん?

もう、世界に通用しない「平和ごっこ」はやめようよ、辻元さん!

 

それにしても、「平和行進」に「平和の船」・・・。

「平和」の乱用は平和インフレだね。

 






 

 

 

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「うらそえ文藝」による証言と手榴弾の論考

2009-05-14 08:05:19 | ★集団自決

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筆者の知人・友人の中にも『うらそえ文藝』を購読した人がおり、宜野湾市に在住のNさんから、次のようなメールを頂いた。

私はこれまで、沖縄県民の中でも名の通った言論人が、これほどメディアと左翼運動を赤裸々に批判した出版物を読んだ事がありません。星氏の心境に大きな変化を与えた出来事が有ったように読み取りました。
新聞社が急激な経営難になっている事も関わりがあるかも知れません。書庫に残すべき一冊です。S・N  

沖縄の閉ざされた言論空間に、大きな動きを感じ取るような感動が滲み出る一文です。 同誌を読んだ多くの県民が同じ感動を覚えることだろう。

 

以下引用は「うらそえ文藝」(2009年号)に掲載の「星雅彦ー集団自決の断層」よりの抜粋です。

大江・岩波沖縄戦裁判は、さらに教科書検定問題に連係していて、「検定意見撤回・軍関与事実の復活」などの決議案が全県民的運動として出ている。 それにケチをつけるつもりはないし、単に軍の「関与」であれば納得できる。 そこで、「集団自決」命令説への決め手とも言うべき「証言」と「手榴弾」について、筆者の見解を簡略に述べておきたい。 (略)

そこで証言について、証言は事実をことばで証明することであり、重要なポイントになる。 その事実がくせもので、どの事実がどこから出たかが問題だ。 今回の幾人かの証言者たちは、現場にいたわけではなく、二世三世的存在であり、その証言はすべて伝聞と推測で自分の都合のよい発言で占められている。 また、どんな記憶力のある当事者でも、60年も経過すると、発言が同じ言葉になるとは限らない。 (略)

(座間味村の場合ー引用者注)
要は村の幹部たちが30分もねばって手榴弾の要求をしたことに対して、堅く断った事実があるだけであり、彼らの懐にはその時点まで弾薬や手榴弾はまだなかったことを意味する。
それから証言の性質上、訊く人の立場やその雰囲気に証言者の反応は影響されやすいし誘導されやすい。 そうした諸事情から証人が前言を覆したり、張本人の発言を第三者が「虚言」と断言したりする。

星氏がいみじくも指摘するように、「集団自決訴訟」の証人は一審二審を通してほとんどが二世三世的存在であり、その証言の全てが伝聞と推定であることは論を待たない。

裁判に登場する体験者としての重要証言者を挙げれば被告側証人である金城重明氏と、原告側の知念朝睦、皆本義博両証人と控訴審で陳述書を提出した宮平秀幸氏ぐらいで他は全てが伝聞である。

時代は戦後になるが、照屋昇雄氏も別の意味で直接体験した証言者である。

そのうち金城氏は、直接に軍命を聞いていないし、手榴弾の支給も受けていない。

複数の被告側証人が裁判となって急遽前言を翻すのがこの裁判の特徴であるが、一審二審を通して裁判長が被告側の証言は全て受け入れて原告側証言を全て一方的に「虚言」と断言する態度も不可解である。

少なくとも体験者としての唯一の被告側証人である金城重明氏は軍命を直接聞いていないし、軍命の根拠とされる手榴弾も受給されていない。

一方、数多くの体験者がいる原告側の証言は全て「虚言」として退けられている。

秦郁彦氏が指摘するように裁判長が大江健三郎の虚名に怯えたか、被告側の「沖縄県民を敵に廻す」といったイメージ作戦に怯えたというのが正鵠を射ているのだろう。(『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』php研究所刊)

座間味村で村の幹部が本部壕を訪ねて梅澤隊長に「手榴弾等の武器を支給をせよ」と談判する有名な場面が論議の的になっているが、

この場面の唯一の生存者(後に宮平秀幸氏が名乗り出る)と思われていた宮城(当時宮平)初枝氏の証言を娘晴美氏が出版物で公表し、

裁判直前に前言を翻したことは有名だが、これに関連し、『うらそえ文藝』で星氏と上原氏は各々見事な表現で軍命説を否定している。

上原氏の論考は後に譲るとして、星氏は例の有名な場面の余分な修飾表現を削り取って次のように論考している。

要は村の幹部たちが30分もねばって手榴弾の要求をしたことに対して、堅く断った事実があるだけであり、彼らの懐にはその時点まで弾薬や手榴弾はまだなかったことを意味する。>

このシンプルな表現は次の二点に凝縮される。

①梅澤隊長は手榴弾支給の要求を拒否した。

②村の幹部達は手榴弾を持たずに談判に来て、梅澤隊長に拒否され手ぶらで帰った。

何とか「梅澤軍命説」を造り上げようとする被告側もこの2点は否定することは出来ない。

だが、たったこれだけの事実から、被告側の言う「手榴弾を二つ支給され一つは自決用だといわれた」⇒「手榴弾支給が自決命令だ」という論理は脆くも崩れ去ってしまう。

星氏の「手榴弾軍命説」に対する反論は次のように続く。

手榴弾について裁判では、日本軍から受け取ったということで「軍の関与」ということになっている。 日本兵と言うが現地召集の防衛隊員であることは、筆者が40年前に調査したときに判明している。 防衛隊員たちは軍から貴重な軍から貴重な武器を受け取ったときに、一個は敵に一個は自決用と提示したとか。当時15、6歳だった男性二人は、弾薬庫から数個の手榴弾を盗んできた話をしていた。 しかし一個しか爆発せず後は不発だったという。 彼等は数少ない手榴弾を家族の自決に採用したのだ。 注意すべきことは、手榴弾は自決に使用できるが、即自決命令の実現に連係するとは限らないということだ。 もう一つ、住民が防衛隊に誘導されながら、死ぬ覚悟で玉砕場を探して移動したそのとき、住民の中にはそれぞれ風呂敷などの中に、小刀、カミソリ、猫いらず、帯や紐など、手には手榴弾、棍棒、鎌、鉈、斧など農具とはいえ自決の道具になるものを持参していた。偶然とは思えない。 出発のときから住民は、混乱状態の中でも潜在的に死ぬつもりであったと考えられる

「軍命令」を示す証拠が一つもない被告側が、唯一軍命の根拠にしている「証拠らしきもの」が手榴弾の存在である。

「手榴弾軍命説」は再三論破されつくしているし、当日記でも別の角度で取り上げてあるので詳しくはそこに譲るが、

手榴弾軍命説を最初に言い出した富山眞順氏も上記文で星氏が指摘する防衛隊員であった。

「手りゅう弾軍命説」の破綻!兵事主任富山真順の悲しい嘘

防衛隊員たちは軍から貴重な軍から貴重な武器を受け取ったときに、一個は敵に一個は自決用と提示したとか。当時15、6歳だった男性二人は、弾薬庫から数個の手榴弾を盗んできた話をしていた。>(「うらそえ文藝」)

これだけでも「手榴弾軍命説」が強引なこじつけであることが明白であり、手榴弾で死んだ住民の理由の全てである。

筆者(狼魔人)も梅沢隊長の伝令をしていた座間味在住の宮平秀幸氏に当時の状況を何度か話を聞く機会があったが、

住民の壕の近くに弾薬保管庫があり、その気になれば誰でも手榴弾を盗むことが出来る状況だったと証言している。 

これは星氏が40年前に聞き取りした「手榴弾を盗んだ」という二人少年の話と符合する。

梅澤隊長は弾薬保管の不備の責任を問われることがあったとしても、それが自決命令とは関係なく、全ては後付の強引なこじつけ論であることがこれら「手榴弾窃盗証言」で証明される。

手榴弾は防衛隊員として受給したり、弾薬庫から盗んだりしたが、彼等は数少ない手榴弾を家族の自決に採用したのだ。

これが集団自決における手榴弾使用の真相である。

                  ◆

沖縄の言論界は左翼勢力に占拠されていることは再三書いた。

沖縄では活字のあるところに左翼が集うと言われるとおり、これまでの『うらそえ文藝』もご多分にもれず「左翼文士」が数多く寄稿している。

今年の号でも、琉球新報の会長や左翼の巣窟「1フィート運動の会」の会長が寄稿しているが、

何より興味深いのは左翼詩人・石川為丸氏が「樹の宿題・詩を書くということ」という小論を寄稿していること。 同論は「集団自決」には関係ないが、石川氏は曽野綾子さんが『ある神話の背景』を発刊した後、【「集団自決」論争】にかこつけて、曽野氏を批判というより感情的に罵倒するような文を『EDGE』という左翼雑誌に発表していた。

それが、これ↓

『ある神話の背景』の背景  〈神話〉を作る身振りと〈事実〉へ向かう姿勢

石川氏が『うらそえ文藝』の「集団自決特集」を読んだらさぞや驚天動地の感にうたれたであろう。

沖縄には石川氏の論調を掲載するメディアは数多くあるが、出来たら新聞か少なくとも『うらそえ文藝』で発表して欲しいものである。

関連エントリー:

コメント欄がオモシロイ⇒【「集団自決」論争】

旧軍人と住民の交流 続々・たかじんの「集団自決」

                   ◆

 

        ■田母神沖縄講演会のお知らせ■

 

 講演会の詳細はここ。

 

講演会後、引き続き食事をしながら田母神さんを囲んで懇親会を催します。

是非お気軽に参加ください。

 

【懇親会】

【日 時】平成21年5月30日(土)        

              午後2時受付 午後2時30分~午後4時閉会

 

【会 場】パシフィックホテル沖縄 珊瑚の間

                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162

 

【会 費】5,000円

【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会

 

連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里

              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037

 

※出来ましたら上記に前もってご予約頂ければ幸いです。

 

 






 

 

 

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沖縄戦「集団自決」とサイパン玉砕ーその根本的相違

2009-05-13 07:50:38 | ★集団自決

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慰霊へ参加者続々 南洋群島帰還者会(2009.5.9) カメラ

今月下旬の慰霊墓参に参加する南洋群島帰還者会の(前列左から)宜野座朝憲会長、平良善一副会長(後列左から)安里嗣淳事務局長、宜野座朝美幹事=琉球新報社

 今月26日にサイパン島へ向けて出発する南洋群島帰還者会(宜野座朝憲会長)の慰霊墓参団への参加者が例年以上に増えている。40回の節目となる今年が最後の慰霊墓参団となるためで、当初はチャーター機1機の予定を2機に増やした。帰還者会の役員は「公式な墓参団としての訪問は最後。サイパンは初めてという関心のある人もぜひ参加してほしい」と呼び掛けている。
 慰霊墓参団への参加者は会員の高齢化で年々減少している。昨年は過去最小の90人しか集まらず、名古屋経由などの定期便を利用した。
 今回は節目のため、現在までに220―230人が参加の意向を示している。チャーター機2機での訪問は「33回忌」の1976年以来。
 20年以上会長職を務めた宜野座会長(78)も6月23日の総会で会長職を退き、名誉会長に就く。宜野座会長は「サイパンにいた当時は10代だったわれわれも80代を迎えようとしている。41回目はない。来年から訪問、観光メーンの『南洋の旅』になる」と話した。
 27日はサイパン島、28日にはテニアン島で慰霊祭を行う。墓参団には人間国宝の照喜名朝一さん、玉城流翔節会家元の玉城節子さんらも参加し、歌、三線、舞踊を奉納することになっている。
 問い合わせは帰還者会事務局(電話)098(879)1810。

                                            ◇

写真で見るサイパンなど南方戦線の生存者や遺族の表情は、皆にこやかに見える。

穏やかなその表情からは、「恨みつらみ」とは縁遠い、人生を送ってきたことが伺える。

渡嘉敷島埠頭で慰霊のため訪れた旧日本兵と並んで写真に写る住民の遺族の表情と共通する穏やかさだ。

一方、自分の手で肉親を殺傷し、しかもその「援護金」を長年受給していながら、

「(肉親殺傷は)軍の命令であった」と責任転嫁を今も続ける証言者たちは「恨みつらみ」がその表情に滲み出して微塵の穏やかさも見出せない。

                     *

では、サイパン陥落の生存者たちは沖縄戦の生存者ほど悲惨な体験をしていなかったのか。

いや、そうではない。

沖縄戦以上に過酷な体験をした体験者は数多くいた。

その様子を 『我ら降服せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』 (立風書房 1983年)の著者で、サイパン陥落を生きのびた田中徳祐陸軍大尉は、次のように語っている。

 ①「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台 のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。

 ②滑走路に集った老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火がつけられた。忽ち阿鼻叫喚の巷と化した 滑走路。我慢ならず我兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。

 ③火から逃れようとする老人や子供を、米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で 突き飛ばして火の中へ投げ入れる。二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を 持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂き にされた日本の赤ん坊とそれを見て笑ふ鬼畜の米兵士。

 ④こんなに優勢な戦闘にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。

 ⑤マッピ岬に辿り付いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串さしにされた婦人を見た。 更に自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れてゐるのを眼前に見た。  米軍の残忍非道から名誉と身を守るために「天皇陛下万歳」を奉唱してマッピ岬から太平洋に見を 躍らせた老人、婦女子や、左腕に注射針を刺し、君が代と従軍歌「砲筒の響遠ざかる・・・」を斉唱 しつつ自らの命を断った十余名の従軍看護婦達の最期を田中は見てゐる。(ウィキペディア)

サイパン陥落の直前、多くの在留日本人が集団自決し、その多くが沖縄出身者であることが知られている。

その後1年足らずで沖縄を襲った米軍の猛攻で、沖縄住民がサイパンの悪夢が自分達を襲うことを予感したことは想像に難くない。

 

うらそえ文藝』(2009年)に掲載の「集団自決の断層」と題する論文で星雅彦氏は、沖縄戦直前、沖縄県民がサイパンの玉砕を新聞その他の情報で知っており、

「鬼畜米軍」を単なるスローガンではなく身に迫る現実と捉えていたとして、次のように述べている。

当時住民は、新聞や口コミで、1年余り前のサイパン島の玉砕(昭和19年7月7日)や数日前の硫黄島の玉砕(昭和20年3月16日)等の情報を聞いたいて、すでに緊迫した恐怖の波がじわじわ胸に迫ってくる思いを抱いていたという。米軍の艦砲射撃の音が鳴り止んだ合間に、ここに至っては死ぬしかないと各自は密かに思っていたに違いない。
太平洋戦争(大東亜戦争)勃発から1年余り経つと、「ガダルカナル撤退」から「アッツ島玉砕」「マキン・タラワ島玉砕」と、日本の敗北が続く。それまで大本営も軍司令部も玉砕命令を下部へ出していたわけではない。 その逆で、「最後の一兵まで戦え!」であった。 ところが次々玉砕があったわけだ。 昭和18年以降、「硫黄島玉砕」直前の頃から、軍の作戦は持久戦であり、米軍の本土上陸を長引かせることだった。 (略)

しかし、実際に言い得ることは、軍部が住民に自決を命令するということはまずあり得ないということである。

そこで冒頭の判決で、「自決命令を発した事実について、合理的資料、根拠がある」とは、ありそうでない結論に思える。

最後の部分の冒頭の判決とは、2008年3月28日の大阪地裁における「集団自決」訴訟の深見敏正裁判長の判決骨子の文言である。

 

■沖縄戦「集団自決」とサイパン玉砕ーその根本的相違■

ここでサイパンと沖縄、両地域で起きた集団自決について、大きな疑問が生じてくる。

同じように沖縄県民が被った戦史上も稀な過酷な「集団自決」という体験をしたにも関わらず、

サイパンの生存者たちは「恨みつらみ」を叫ぶことなく、穏やかに戦後を過ごしてきた。

では、何故サイパンの生存者の間では、「強制集団死だった」とか「軍命で自決した」という日本軍に対する怨嗟の声が戦後起きてこなかったのか。

米軍に追いつめられ、パニック状態になった住民が集団自決したことは、サイパンと沖縄と場所の違いはあっても、同じ沖縄人の取った行動として共通するものがあったはずだ。

戦後、サイパン戦没者の遺族の中から「集団自決は軍の命令だった」と言う大合唱が起きなかった理由はただ一つ。

サイパンでの戦没者には「援護法」が適用されなかったからである。

つまり、戦後「沖縄の特殊事情」を考慮して「援護法」を拡大解釈し、本来なら適用されない人にまで援護金を支給した。

一方サイパンの戦没者には「援護法」の拡大解釈は適用されていない。

政府からお金を貰った方が、責任転嫁で「軍命で自決した」と叫んで日本軍を恨み続け、

貰わなかった方が日本軍への恨みとは縁遠い穏やかな人生を過ごしてきた。

これが歴史の皮肉でなくて何であろう。

サイパンの戦闘終了後アメリカ軍は非戦闘員14949人を保護収容(日本人10424人・朝鮮半島出身者1300人・チャモロ族2350人・カナカ族875人)した。逆算すると8000人~10000人の在留邦人が 死亡したとみられる。>(ウィキ)

                    ◇

以下は再掲です。

「サイパンの悲劇」と「集団自決」

「鬼畜米英の捕虜になったら男と子供は八つ裂きにされ、女は強姦された後焼き殺される」

戦時中の沖縄でこのような話が住民の間に流布していたことは事実である。

この事実には次のような話がもっともらしく連なる。

「このようなデマで住民をパニックに追い込み「集団自決」を引き起こした責任は日本軍にある」

だがこの説には大きな事実の歪曲がある。

沖縄の住民は単なるデマで「鬼畜米英の残虐行為」に脅えていたわけではない。

彼らは信頼できる情報を得て、米兵の残虐行為に脅えていたのである。

鬼畜と思った米兵が住民に食料を与えたり、けがの手当てをしてくれた事実であるが、

米兵が住民に対して蛮行を行わなかったというのはサヨク勢力が捏造した神話である。

大陸で起きた通州事件等の中国兵の日本寄留民への残虐行為の情報が沖縄出身の大陸帰りの帰還兵や従軍看護婦によって伝えられ、これが敵の捕虜になる恐怖を増幅させた。

通州事件と「集団自決」の重大な関係

これに対して、

「大陸で民間人に残虐行為を行ったのは中国兵であり、沖縄戦での米兵はやはり人道的であった」

このようなイメージは『鉄の暴風』を主とする沖縄マスコミによって作られていくが、

米軍による残虐行為は、恥を知る被害者達が固く口を閉ざし続けたため沖縄側の記録に残っていないだけに過ぎない。

県立沖縄史料編集所専門員・大城将保氏の著書『改訂版 沖縄戦』には次のような記述がある。

≪本部半島のあるでは、米海兵隊が上陸した直後に、じゅうの婦人が手あたりしだいに米兵の毒牙にかかっている≫

≪戦闘中の婦女暴行事件は地域の例外なくいたるところで多発しているが、真相はおそらく永久に秘密の闇に葬りさられることだろう≫

 

恥を知らないどこかの国の元売春婦の婆さんたちは今でも理不尽な補償要求で金をくれと騒いでいるが、

恥を知る沖縄の被害者たちのほとんどが「事実」を墓の中まで持ち込んだ。

だが皮肉なことに「事実」はアメリカ人の書いた戦記に登場する。

アメリカ人ジョージ・ファイファーが書いた『天王山』(早川書房)によると沖縄本島の本部半島の運天界隈では本島上陸の20日後にはもう既に兵士の強姦事件防止のため海兵隊長公認の「売春宿」が設置されていた。

「キャット・ハウス」と呼ばれたその売春宿では13歳くらいの女の子まで三十セントで米兵の相手をさせられていた。(「天王山」(上)258ページ)

さらに同じくアメリカ人のヘレン・ミアーズが書いた『アメリカの鏡・日本』にも沖縄戦で壕から出てくる住民を米兵が焼き殺す残酷な記述があり、GHQによりその日本語訳版の出版が禁じられるというおまけまで付いた。

沖縄人が書いた米軍賛美の『鉄の暴風』が米軍の推薦を受け、

その一方アメリカ人が米軍の残虐性を記述した『アメリカの鏡・日本』がGHGの発禁処分になった。

当日記はこの事実をかつて「歴史の皮肉」と嘲笑した。

続々『鉄の暴風』のいかがわしさ◆渡嘉敷女子青年団 匿名座談会

 

参考エントリー:

米兵蛮行の象徴 「ボンベの鐘」 

 

 






 

 

 

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パンドラの箱は遂に開いた!『うらそえ文藝』の英断!

2009-05-12 07:00:07 | ★集団自決

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
祥伝社

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沖縄紙の卑劣な言論封殺によって真実を封じ込まれたパンドラの箱が遂にこじ開けられた。

沖縄でも比較的マイナーな総合文芸誌『うらそえ文藝』誌上で、集団自決の真相を最も詳しく知る二人の識者が重い口を開いたのだ。

「集団自決」研究者の間で、今、総合文芸誌『うらそえ文藝』が注目の的である。

文筆で生活の糧を得る者が沖縄に在住しながら沖縄ニ紙の論調に逆らっては生きてはいけないと何度も書いてきた。

沖縄紙に登場する「識者」は沖縄戦に関していえば、一斉に横並び論調で新聞論調に揉み手をして「沖縄タイムス史観」を大合唱する。 

軍命なくして集団自決は有り得ない」と。

このような卑屈な生き様を、文筆家としての良心が許さない識者も沖縄にはいる。

だが、残念ながら異論を書く代わり沈黙を守るのが沖縄では公然たるルールであった。

沖縄戦の中でも特に議論の分かれる慶良間島の「集団自決」に関しては、地元研究者の中でも先駆的に現地聞き取り調査をしていた代表的二人の識者が、やはり問題の核心部分については長い沈黙を守っていた。

この二人の識者が遂に長い沈黙を破って今まで語ることのなかった真実を語ったのだ。

しかも発表の場所は、沖縄言論界の支配者である沖縄タイムスでもなければ琉球新報でもない。

『うらそえ文藝』という沖縄でも比較的マイナーな雑誌においてである。

文学愛好家の同人誌のような『うらそえ文藝』は、年に一度の出版だが、

編集長の星雅彦氏が30数年前の曽野綾子氏の現地取材の前に既に現地取材をしており、それを雑誌『潮』(1971年)に発表していることは周知のことである。

そして昨年の5月発刊の同誌で近く「集団自決特集」を組むと予告していたが、一年間の間をおいて満を持して今回特集を組んだわけだ。

その経緯は次のエントリーで書いた。

星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ

地団太を踏む沖縄タイムス!教科書から軍命削除!

同書で星氏は「集団自決の断層」と題する論考のほかに、上原正稔氏との対談も行っている。

さらに同書で「人間の尊厳を取り戻すときー誰も語れない“集団自殺”の真実」と題する上原正稔氏の論考は、圧巻である。

上原氏は、一昨年、琉球新報に連載中の沖縄戦戦記を前日になって突然中止させられた経験を持つドキュメンタリー作家である。

琉球新報の上原氏に対する言論封殺に関しては、次のリンクに詳述。

【再掲】琉球新報の言論封殺に抗議します

そして琉球新報は四ヶ月の言論封殺の後、読者には何の説明もなく恥知らずにも連載を再開した。⇒再開された上原正稔氏の特集  パンドラの箱は開くか?

                   ◇

うらそえ文藝」は昨日(11日)発売され、早速購入してただ今読み終わったところ。


 特集 集団自決  
          対談  上原正稔VS星雅彦
           人間の尊厳を取り戻す時


         ―誰も語れない”集団自殺”の真実― 上原正稔

 

 

(写真は2008年号)

 

 

集団自決の真実を最も知る二人の識者の発言は大変興味のあるところだが、詳しい内容については「うらそえ文藝」を購入して読んで欲しい。

読者の関心が集中すると思われる「軍命の有無」については、お二人は「隊長命令も軍命も無かった」と明確に否定している。

「軍命の有無」に関するお二人の結論と、それに対して予想される新聞など沖縄左翼の攻撃については、対談の次のくだりで想像して欲しい。

(徹底的沖縄紙の批判をした後)

:今度の裁判から幾つかの教訓みたいなものが出てきていると思う。しかし、まだ活かされてないようです。そしてキャンペーンのゆきすぎは、止めてほしいね。

上原:・・・(略)・・・今の対談の内容も本来は新聞に発表すべきものですけどそれがそれが許されない。 しかしそのかわり『うらそえ文藝』で発表してくれるということになったんだけど、『うらそえ文藝』は歴史的に重要な役割りを果たすことになるわけです。

:・・・・そのために恨みつらみを私はみんなから受けて非難されるかもしれない。

上原:・・・・、こういう連中を恐れないことですよ。

私はある程度覚悟しています。 それに今の沖縄の状況については、これでよいのかという疑問を抱いているのでやらざるを得ない気持ちです。

高裁裁判長が評価した『鉄の暴雨風』も二人の識者は徹底的に批判している。

興味深いのは上原氏が自分の構想を乗っ取られたと激しく批判する「1フィート運動」の会長の福地曠昭氏が『沖縄 誰も書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一著)に関する文を寄稿していること。

福地氏は「1フィート運動」乗っ取りの元凶である太田元知事の乗っ取り劇の片棒を担いだと言うことは「ハーバービューの決闘」で詳述した。

更に,上原氏が言論封殺を被ったとして激しく糾弾する琉球新報社の会長であり大株主でもある宮里昭也氏が『沖縄戦 誰も書かれたくなかった戦後史』の書評を同誌に寄稿していること興味深い。

外にも、沖縄の言論界では帝王とも言える沖縄二紙を徹底的に批判しているが、

お二人とも文筆で生業とする沖縄の識者として、今後の活動は大丈夫だろうかと、老婆心が疼くような勇気ある発言が満載である。

随時、当日記でも取り上げて論評したいと思うが、とにかく『うらそえ文藝』(2009年)は、慶良間島の「集団自決」に関心のある人なら右も左も関係なく下記の2冊と並んで必読の書である。

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
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「当たり屋詐欺」だろが!糸満市の不発弾事故

2009-05-11 06:45:44 | 未分類

 

 






 

 

 

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国、支援金増で合意 糸満不発弾事故/重機など加え8000万円【政治】

2009年05月09日 政治 

見舞金も3倍に


 【東京】糸満市で1月に起きた不発弾爆発事故で、政府が重傷を負った重機オペレーターの男性への見舞金として750万円、爆発で損害を受けた老人福祉施設や重機、農業施設などに対する支援金として約8000万円を支払うことで被害者側と合意していたことが8日、分かった。見舞金は当初想定の3倍に増額。支援金の対象は老人施設だけとした当初の方針から適用範囲が拡大された。近く支払われる見込み。

 沖縄特別振興対策調整費を財源として県に設置された不発弾等対策安全基金から出される。政府が不発弾爆発事故の被害者へ見舞金を支払うのは、1974年に4人が死亡した那覇市小禄での事故以来2度目。

 内閣府は4月末に県、糸満市に見舞金と支援金の適用範囲と額を提示。今月に入り、同市が被害者の男性に政府の方針を伝えたという。

 政府は当初、自然災害による人的・物的損害に対する既存の国内法や災害復旧制度に準じて対応する方針を示し、見舞金は250万円を想定。支援金の支給は爆発を受けて窓ガラス100枚を破損した老人福祉施設だけを対象としていた。

 しかし、県や市が救済枠拡充を要望したことや、不発弾埋蔵量が多い沖縄の特殊事情を重視し、見舞金を引き上げた。支援金は老人施設に加え、隣接する駐車場にあった車両十数台、近くの農業施設、被害現場で男性が運転していた重機などの損害分の計約8000万円を対象に含める方針に変更した。最終額は今後精査して決定する。

 不発弾事故の被害救済をめぐっては、県内から国の責任による被害救済を求める声が根強くある一方、政府は、ほかの戦争被害への波及を懸念し、補償制度化に難色を示している。

 那覇市での事故では見舞金として一般会計から死亡した4人に対し計約1億2824万円が支払われた。糸満市の事故では労災が適用されているが、那覇市の事故は適用されず、労災分も含めて支給された。

                                                 ◇

糸満市の不発弾被害者に対して、国が予想の三倍の見舞金を出し、かつ適用範囲も広げたというのだから、とりあえず沖縄県民としてはメデタシメデタシというべきところだが・・・。

この報道を見て一瞬脳裏を過ぎった言葉が、

「当たり屋」・・・最近の言葉で言えば「当たり屋詐欺」。

被害にあった方々には申し訳ないが、これは事故の責任当事者の糸満市と沖縄県が共謀した「不発弾詐欺」といわれても仕方がない。

県民の生命と財産を守るのは、一義的には県や市町村の責任であるという観点に立てば、今回の事故は工事を発注した当事者の糸満市が事前に磁気探査をする予算をケチったために起きた事故である。 

県民の生命と財産のことを考えれば、糸満市は事前探査費用をケチるべきではなかったのだ。

糸満市は責任逃れに、事故は予測できなかったと弁明しているようだが、糸満市は沖縄でも最も苛烈な激戦のあった地域であることは糸満市が一番承知しているはずだ。

糸満市で不発弾事故が予測できなかったら、一体どの地域なら予測できるのだ。

⇒ 不発弾事故の責任は糸満市にある!

麻生首相がこの事故の問題の本質を次のように言い当てているではないか。

「(不発弾の探査には)かなりの金がかかり、工事費がかなり高くなる。
したがってそれをしない。そうなると、とたんに不発弾に当たってユンボ(パワーショベル)が
いきなり吹っ飛ぶというような話になっている」


麻生首相の不発弾発言は正しい!

この事故は本来は糸満市が自己の判断ミスを謝罪し、その上で国になり県になり被害者への賠償支援をお願いするのが筋ではないか。

ところが県は自分の方へ支払いのお鉢が廻ってくるのを恐れて、糸満市と共謀して国を脅しに掛かったわけだ。

共犯者はもう一人いる。

問題の本質を最も知るはずの地元メディアは責任論には頬被りして、ひたすら「国の戦争の被害だから」と糸満市と県の「当たり屋詐欺」を後押しをした。

国は戦争被害の補償では整合性を欠くのを承知しながら、

国はここでも「沖縄の特殊事情」という「超法規カード」で「予想の三倍の見舞金」を支給したわけだ。

糸満市、県それにメディアが共謀した「ゆすりたかり」が成功したわけだが、被害にあった方々にとっては責任論の経緯はともかくよい結果となった。

しかし事故で重症を負った方は、見舞金を多く貰ったからといって受けた損害をカバーできるわけではない。 当然、責任の張本人というべき糸満市は被害者に事故責任の本質を話して謝罪すべきだろう。 

反省がなければ同じような事故は必ず再発する。

又共犯者とも言うべき県やメディアは事故の責任の本質を県民に詳しく説明する必要がある。

このような事実隠蔽のわい曲報道を続ける限り、県民の新聞離れは続く。

それにしてもである。

結果的に糸満市らの「当たり屋詐欺」の強請りのネタにさせられた被害者の方々こそとんだ大迷惑な話である。

 

【追記】

昨日のタイムスにはこんな記事があった。

糸満市も県も謝罪どころか政府の支援を「評価する」だって。 

偉そうに! 盗人猛々しいとはこのことだろう。

いや、詐欺師が猛々しいか・・・。

これも沖縄タイムスの完全なわい曲記事だね。

 

政府の支援拡充 評価/糸満不発弾事故【政治】 2009年05月10日 政治 

政府の支援拡充 評価/糸満不発弾事故
市長 探査要請は継続


 【糸満】糸満市内で1月に起きた不発弾爆発事故で、政府が被害者への見舞金増額や物的損害に関する支援対象の拡充を認めたことを受け、上原裕常糸満市長は9日、同市役所で記者会見し、政府の対応に一定の評価を示した。しかし、国による磁気探査の全額負担などについては、「十分に対応できているとは考えていない」と指摘。県などと連携して粘り強く求めていく方針を強調した。

 上原市長は、麻生太郎首相や佐藤勉沖縄担当相の尽力に感謝しつつ、不発弾処理の残された課題について「戦後処理の一環としてしっかり対応してもらうために、粘り強く要望するしかない」と述べた。

 市は、「県不発弾等対策安全基金」から補助金交付を受ける形で被害者側に支給する。見舞金と支援金を合わせて1億1000万円の補正予算案を、13日の市議会臨時会に提案する。

 重傷を負った男性への見舞金は臨時会終了後、来週中にも支払う予定。支援金については第三者機関が査定中だが、総額1億250万円が上限とみられている。減価償却などを踏まえて確定した後、6月中旬をめどに支給する方針だ。

 政府は当初、自然災害による災害障害見舞金制度に準じ、重傷を負った男性の見舞金を250万円、物損への支援金は老人福祉施設に限定していた。だが被害者側との合意では、見舞金を当初の3倍の750万円に増額。支援金対象も重機や近隣の農業施設、被害車両、墓にまで拡充した。

早期支援へ連携
仲井真知事

 糸満市での不発弾爆発事故に対する国の支援金について、仲井真弘多県知事は9日、「支給対象について、糸満市の要望がほぼ全面的に認められたことを高く評価したい」とのコメントを発表した。その上で、「何より大切なのは被害者にできるだけ早い支援を行うことであり、今後も国や市と連携し、早期の支援金支給を行っていきたい」とした。

 



 

 






 

 

 

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沖縄タイムスのわい曲報道 田母神講演会のお知らせ

2009-05-10 17:49:03 | 未分類

 

 

 






 

 

 

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沖縄の書店には地元出版社刊による夥しい数の沖縄本が大きなコーナーを占拠し、「沖縄戦ビジネス」が大繁盛していると書いた。

沖縄戦モノは最近では出版物だけでは飽き足らず、映画やビデヲ制作がこれに加わってきた。

「1フィート運動の会」主催で「集団自決訴訟」の被告側支援の法廷外活動の上映会が行われているが、それとは別の団体が被告側応援の映画を作り上映会を始めた模様。

来月23日の「慰霊の日」、そして「集団自決訴訟」上告審の判決を前にして、まさに「沖縄戦ビジネス」は花盛りといったところか。

映画と体験談で読谷の激動を知る 「ゆんたんざ沖縄」ー上映会

日の丸掲揚の強制と「集団自決(強制集団死)」が起きたチビチリガマの「平和の像」の制作など、1987年の読谷村の激動を記録した映画「ゆんたんざ沖縄」(西川正啓監督)の上映会が8日、那覇市牧志のギャラリー「土」で開かれた。 若者を中心に約20人が来場。平和の像をチビチリガマの遺族らと完成させた彫刻家・金城実さんや西山監督、知花昌一読谷村議の体験談を聞き入った。 映画は、平和の像の原型に遺族がしっくいを塗り固めていく制作風景や読谷高校の女子生徒が日の丸掲揚に反対し、卒業式の舞台から旗を奪い捨てるシーンなど、当時の出来事を克明に記録。
上映会のトークでは、日の丸掲揚の圧力が強まった背景や海邦国体の「日の丸焼き捨て事件」に至る経緯が語られた。 序幕から7ヵ月後に右翼構成員によって破壊された平和の像の映像も上映。 当時の心境について、金城さんは「像は又作ることができる。遺族の感情がこわされないか心配だった」と語った。(沖縄タイムス 2009年5月10日 ウェブ記事にはない)

                  

さすがの沖縄タイムスも20名と人数が少ない集会だと、参加人数の水増し発表も難しいと見える。

だが、スタッフの数を入れたら10名前後というのが実数だろう。

それにしても保守系の集会は100~200名集まっても黙殺を決めこむタイムスが、

わずか10数名の左翼集会を写真入で報ずる態度にはただただ感服するばかり。

女子高校生を扇動して卒業式の国旗を引きずり捨てさせたり、国の行事である国体の国旗を焼き捨てるような左翼集団の犯罪行為を、あたかも英雄的行動のように報ずる姿勢にも再度感服する。

ちなみに記事中「集団自決」(強制集団死)があったとするチビチリガマには日本兵は一人もいなかった。

たまたま婚約のため帰郷していた看護婦が病院から持ち出した毒薬を住民の要望により配布したのであり、自決には強制もなければ命令も無かったことは周知のことである。

読谷村史には、そのとき子供であったため毒薬配布を断られて残念がっている少年の手記があったと記憶している。

壕の周辺を米軍に包囲され、パニック状態になった住民にとって毒薬は奪い合いするほどの貴重品だった。

チビチリガマでも(軍の)「強制集団死」があったような記述は明らかな捏造記事である。

そのとき日本軍は読谷村にはおらず南部に向かっていた。

このようなわい曲記事をまだ書いているようでは、タイムスは又しても読者を失うことになる。

 

                  ◆


   前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

 

「大東亜戦争が終わりを告げてから、60年以上もの歳月が流れました。戦争によって犠牲となられた方々に、あらためて哀悼の意を表します。同時に、戦死された方々のおかげで私たちの今日があることに深く感謝の意を表します。
沖縄を含め日本は戦後、人類が歴史上経験したことのない占領政策を受けました。戦争に負けた日本は、自分たちの歴史観を奪われ、戦勝国の歴史を強制的に押し付けられてしまいました。自虐史観に基づいた日本の歴史教育は、国民から自信と希望を失わせていくものでしかありません。日本は、かつて戦勝国から奪われた歴史観を取り戻し、かつて我が国がもっていた誇りを取り戻すべきです。」
(『田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)より抜粋)

                    *

昨年10月、民間の懸賞論文へ応募した作品が日本の過去の侵略行為を正当化する内容で政府見解と対立するものであったとして航空幕僚長を更迭され、空将として定年退職した田母神俊雄氏がいよいよ沖縄にやってきます。論文の意図したものは何だったのか。今、日本にとって何が必要なのか。将来の日本と日本人はどうあるべきなのか。前航空幕僚長の田母神俊雄氏が沖縄県民の皆様に直接語りかけます。
ご多忙とは存じますが、県民の皆様方には万障お繰り合わせの上、多数ご参加くださいますようお願い申し上げます。          

演 題 『日本は本当に侵略国家だったのか』
    ~日本の歴史をもう一度見直そう~
【日 時】平成21年5月30日(土)        
              午前11時30分受付 正午開会~午後2時閉会
【会 場】パシフィックホテル沖縄 万座の間
                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162
【会 費】1000円
【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会 
【連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里
              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037

 

★懇親会(14:30~16:30)

講師を囲んで食事を含めた懇親会を行います。
お時間の許す限り、お気軽にご参加ください。

【会場】 パシフィックホテル沖縄

【会費】 5000円 (70名限定)

田母神塾―これが誇りある日本の教科書だ
田母神 俊雄
双葉社

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ひまつぶしにひつまぶしを食す

2009-05-10 07:43:12 | 食文化

 

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ネット上のコピペで見たある記事から

「ひつまぶし(櫃まぶし)を「ひまつぶし(暇潰し)」と読み間違え己の老化を嘆いていた友人を想い出した。

以下は関連エントリーに加筆したものです。

                  ◆

汁かけ御飯その2

突然汁物を御飯にぶっ掛けたら下品に見える。
 
それを上品な食べ物に演出したのが沖縄の宮廷料理といわれる采飯(セーファン)だ。http://www.wonder-okinawa.jp/026/recipe/sefan.html
 
菜飯は、シイタケ、薄焼き卵、シマナー、ニンジン、キクラゲなどを細切りにし、白いご飯の上に並べ、
 
ひつまぶしと同じくだし汁をかけて食する。
 
采飯はあくまで白い御飯に具をのせだし汁をかけて食べるところに上品さを辛うじて保っているが、沖縄料理の特徴である豚肉は入っていない。
 
豚肉の入った炊き込みご飯、(ジューシー)にだし汁をかけると別の料理になる。
 
豚飯と書いてとぅんふぁんと読む。
 
炊き込みご飯だが、かつおだしをかけて食べるところが特徴だ。
 
だが品格において采飯に劣る。
 
何しろジューシーに汁をかけて食べるのだ。
 
娘夫婦が名護に住むようになってドライブがてらヤンバルに良く出かける。
 
途中、恩納村の国道右側「なかむらそば」があり二度ほど立ち寄った。(http://www.ii-okinawa.ne.jp/people/menmen/
 
そこで三度美味しさを楽しめる「謎の料理」を発見した。
 
といっても店のメニューに載っているわけではない。
 
したがって、「三度楽しめる料理」を発明したと言うほうが正確か。
 
さて「謎の料理」だが、これがそば、ジューシーとあわせて600円だから安くて満腹も同時に保証できる。
 
勿体ぶらずに謎を解き明かそう。
 
先ず、メニューのソバ・ジューシーセット600円を注文する。
 
普通どおり、ソバとジューシーを賞味する。 
 
これで二度美味しさが味わえる。
 
ここで注意することは空腹に任せて、ソバとジューシーを一気に食べつくさないこと。
 
ソバは麺のみを食べて汁は半分ほど残す。
 
汁は鰹だしが効いてサッパリタイプで美味しいのでつい一気飲みしそうになるが、ここはグッとこらえてもらう。 
 
次にジューシーだがこれもグッとこらえて茶碗の半分ほどを残す。
 
そして次の行動には勇気が要る。 
 
半分残したジューシーを丸ごとソバ丼に移し変えても良いが、食事に品格を求める向きにはソバ丼の汁を少量ずつジューシー椀にかけて食する方が見た目には良い。
 
ソバ汁が脂ぎってなくサッパリタイプなのでジューシーには良く合う。
 
これで店員にスプーンか「れんげ」を要求して食べる勇気さえあればこの料理は完璧だ。
 
これは采飯というより豚飯といった方がその名に相応しいだろう。http://blog.mbc.co.jp/sunsun/2004/11/post_0932.html
 
くれぐれも注意して欲しいのは、店が立て込んできて相席になった場合は、この下品なな行動、もとい、勇気ある行動をしないこと。
 
野蛮人としてヒンシュクの的となり、冷ややかな視線を浴びること間違いから。
 
昨今は沖縄料理ブームと言いながら、不思議なことに沖縄で采飯や豚飯を供する店は少ない。
 
個人的感想だが、沖縄ではむしろ名古屋名物ひつまぶしを供する店の方が多いのではないか。
 
“ひつまぶし”を“ひまつぶし”と間違えた友人がいたが、ひまつぶしに私が沖縄でひつまぶしを食べた店を二軒下記にリンクしておく。
 
なお、沖縄そばの汁をジューシーにかけて食するには両品の相性がある。

沖縄そばのスープも脂の浮いた味クータータイプからカツオだしを利かせたさっぱりタイプまであるが、ジューシーにも豚肉などの油脂が混ざっているので、さっぱりタイプの方が相性はよい。

もっともアンダケーボウジャー(油食い坊主)のように、油分が好きな向きには話が別だが。

その点なかむらそばの汁はさっぱりタイプなのでジューシーとの相性はよい。

浦添市近郊では「あがり屋」のそばが相性がよい。

絶品の沖縄そば
 
ひつまぶしに話を戻す。

参考までに私が沖縄でひつまぶしを食べた店を念のためリンクしておく。






 
◆彦本店http://r.gnavi.co.jp/f061400/menu2.htm 2400円
 
 
ここでは「うなぎまぶし」と称して1280円でお手軽に楽しめる。
 

                   ◆

ところで、ひつまぶしのことを友人のサイトにメールしたら、ひつまぶしをひまつぶし(暇潰し)に読み違えたと、己の老化を嘆くレスがあった。

ところがひらがなやカタカナで書かれた単語は、老化に関係なく脳の持つ予測能力のせいだという。 この予測能力を持つが故に漢字、ひらがな、カタカナの入り混じった文章を「斜め読み」などして速読ができるということになる。

予測をせずひらがなを一文字一文字追っていたら読書もはかどらないことになるわけだ。

                   ◆

 
以下はネットから拾ったコピペです。

これまでは長~い前奏曲で、次から本論に入ります。
 
まず読破してください。
 
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえあいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく



確かに“読めてしまう”コピペに2ch住人が「人間すげー」と驚く

「なんだこりゃ」と思ってよく“読んで”みると「へー」となる
コピペ文章が「2ちゃんねる」に登場し、「人間の脳すげー」と驚く住人が続出。

スレッド(スレ)の本題そっちのけでコピペに関する
考察レスが交わされる……なんてことも起きている。

コピペ文はひらがなとカタカナだけで書かれており、
一見すると2chでたまに見かけるうわごとにしか見えない。
だがよくよく“読んで”みると、「確かに読める」と、ちょっと驚く。
どうして「読める」のかは、コピペ文自体が説明してくれている。

 「【ネット】「ウィキペディアが与える影響を調べるため」
学生がもっともらしい嘘の書き込み 多数の欧米大手紙がだまされて引用」では、
このコピペが2レス目に登場。
「読めた」「人間の脳すげー」といったレスが相次ぎ、
本題へのレスと入り交じって何のスレなのか分からない状態になっていた。

 コピペが登場したスレには、人の記憶と認識に仕組みについて考察や、
読める人と読めない人の違い、現象学的な視点など、さまざまなレスが付いており、
日常にちょっとした「ふーん」を持ち込むネットらしい話題になっている。

 読めば分かります。そのコピペは以下の通り。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

(ITmediaNews 2009年05月08日 09時19分)

 

                   ◆

ひまつぶしにひまなのぶしがひまなまむしをつかまえてひつまぶしにしたら美味しかった!



 

 






 

 

 

 

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異論は抹殺せよ!沖縄の言論空間

2009-05-09 07:29:35 | 未分類

沖縄の言論空間が異論を認めない「同調圧力」の下にあるとは、よく言われること。

常に異論を吐き続ける筆者のようなへそ曲がりにとって、確かに新聞メディアを中心にした沖縄の「言論空間」は、事ほど左様に、物言えば唇が寒いことが多々ある。

だが、物言わぬ「サイレントマジョリティ」とも言うべきほとんどの県民はどうなのか。

実態はむしろ「テーゲー主義」といわれる何事にも無関心な県民性に、マスコミを中心とした左翼勢力が上手く取り入って「同調圧力」の風潮を作っている点も大きい。

大部分の県民は「同調圧力」というより、「何も考えないで、ただ人と同じ行動をする」といった方が正しい。

別の言葉で言えば「事大主義」とか「長いものに巻かれろ」とも言い換えられる。

従って沖縄県民が全て沖縄メディアが伝えるような思考パターンを持っているわけではなく、

異論を持つ人はメディアと異なる意見を反映する場がないので新聞論調が沖縄の民意であるかのように錯覚しているに過ぎない。

全国紙でありながら沖縄に詳しい「世界日報」が、沖縄の学力低下の原因を取材した連載特集記事『「組合教師」の特権 こうして学力は低下した 沖縄編』を書いた。

そして沖縄紙が決して伝えない沖縄の教育事情に深く切り込んだ。

その最終編で、沖縄県民の「テーゲー主義」を「優しい県民性」と表現を置き換えて、

そこに取り入る「組合教師」に学力低下の原因を求めている。

子供の教育はほったらかして違法ストに走る「組合教師」を糾弾する沖縄の良心的教師・金城テルさんの意見が沖縄紙の紙面を飾ることはない

議会で追及する政治家不在

優しい県民性が裏目に

picture
沖教組との闘いを振り返る金城テルさん
 元自民党沖縄県連会長の西田健次郎氏は、県議時代の一九八〇(昭和五十五)年九月、沖縄県議会の定例議会で、「違法ストで子供たちの教育権を奪っている犯罪集団まがいの沖教組、高教組」と断罪した上で、「沖教組は違法ストなどの行為で犯罪者となっている組合員の支援に全組合費の83%を充てている」と批判、当時の県教育長に見解を迫った。

 この発言が原因で、議会は三日間空転。西田氏は「(自衛官子弟の入学拒否など)沖教組のやり方は明らかに憲法違反だ。『犯罪集団まがい』ではなく『犯罪集団』と断言しておけばよかった」と当時を振り返った。

 八人の子供を育てた金城テルさん(82)は、生涯をかけて沖教組の違法ストと闘った。沖教組には「母と女性教職員の会」という組織がある。九三年、栄養学の特別講師として同会に参加した金城さんは、ストライキなどの政治活動方針が確認されるのを目の当たりにした。金城さん曰く、実情は「母親を洗脳する会」だった。

 それ以前に金城さんは、七四年の家庭訪問で信じられない体験をしている。

 「四人の子供が小学校に通っていたころ、受け持ちの四人の教師が一緒に家庭訪問に訪れた。だが、誰一人として、学校での子供の様子を伝えなかった。その代わりに、先輩格の教師が、伝統を否定する日教組の左翼的な教育方針を話し始めた」

 さらに、四女(小四)の担任からは「教育方針が違うならばお子さんを受け持ちませんよ」とまで言われた。それに対し、「思想信条が違うからと言って、子供を受け持たないのは憲法違反だ」と反論。担任教師は不承不承受け入れた、という。

 七〇年、小学校教師だった仲村俊子さんは、上原義夫氏ら六人と共に、沖教組の前身である沖縄教職員会(五二年設立)を脱退し、「沖縄県教職員連盟」を結成した。沖教組結成(七一年九月)間近の沖縄教職員会は、組合主導になりつつあり、こうした違法行為を繰り返し始めていたからだ。

 仲村さんらは教育研究会を開催し、組合主導の教育に疑問を持つ校長など学校関係者ら約四百人が参加した。しかし、「当時の屋良朝苗知事は教職員会長を経験しており、多くの教師らは鉄の結束を誇る組合一万二千人からの村八分を恐れたため、追従してくれなかった」。

 ただ仲村さんは「非組合員であっても執拗なイジメはなかったのは、優しい県民性故だ」と指摘する。一方で「その優しさが沖縄をダメにした」とキッパリ。

 「沖縄は何事もなあなあで、毅然としたところがない。組合に対しては間違ったことでも黙ってしまう雰囲気があった」と言う。それは、一昨年の「何も考えないで、ただ人と同じ行動をして生まれた」(仲村さん)教科書検定撤回を求める県民大会に表れている。

 西田氏は、十三年前の平成八年の県議会の定例議会でも、「教育の荒廃をもたらしたのは日教組の倫理綱領である」と述べ、沖教組の違法ストや日の丸・君が代に対する見解など、二十二項目にわたる質問を提示した。

 仲里長和教育長(当時)は「かつてはいろんな対立抗争からストが行われた時代もありますが、ストは当然公務員の争議行為の禁止等によってこれができないことになっておりますので、これからも教組のストはあってはならないもの」と答弁。沖教組の政治活動を批判した。

 ここ数年、議会などで沖教組や県教育委員会を厳しく追及する政治家がいなくなっているため、地元マスコミと連携した沖教組の巧妙な教育支配が続いている。

 だが、組合による違法行為や反日自虐教育が改められない限り、沖縄県が「学力テスト最下位」という汚名を雪ぐ日は、まず訪れないと言えよう。

(豊田 剛)(世界日報 2009年5月6日)

                    ◇

「集団自決」訴訟で、沖縄県内の平和・人権などの運動をしている7団体が大江氏らを支援する組織「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」を結成しているが、その共同代表は、

福地曠昭氏(1フート運動の会会長)と高嶋伸欣氏(平和ネットワーク代表)の2人であった。

参加したのは1フィート運動の会、沖教祖、高教組、沖縄人権協会、沖縄平和ネットワーク、沖縄県憲法普及協会、沖縄人権協会の7団体と「プロ市民有志」。

特に「1フィート運動の会」は「草の根運動」といった仮面で県民をたぶらかしながら、その実左翼イデオロギーで県民を洗脳するだけに、より悪質ともいえる。

連日紙面に登場するこれら左翼団体と異なる意見には「同調圧力」が加わることになる。

そしてこれら左翼集団のプロパガンダをあたかも「民意」であるかのように歪めて報道するのが沖縄メディアである。

沖縄において未だにこのような歪んだ報道が為されている沖縄の「言論空間」を、35年前の著書『ある神話の背景』で曽野綾子氏が述べる次の状況は、現在も少しも変わっていない。

「このあたりで、私はそろそろ沖縄のあらゆる問題を取り上げる場合の一つの根源的な不幸に出くわす筈である。
それは、常に沖縄は正しく、本土は悪く、本土を少しでもよく言うものは、すなわち沖縄を裏切ったのだ、というまことに単純な論理である。沖縄をいためつけた赤松隊の人々に。一分でも論理を見出そうとする行為自体が裏切りであり、ファッショだという考え方である。
或る人間には一分の理由も見つけられないとする思考形態こそ、私はファシズムの一つの特色だと考えている。」

 

このような曽野氏の指摘は正鵠を射ているだけに沖縄の「識者」たちは、事実無根だとして否定するのに必死だが、

沖縄にも曽野氏の指摘を素直に受け入れる良心的な識者がいる。

一昨年の「11万人集会」直後、沖縄在住の芥川賞作家、大城立裕氏氏は西日本新聞で「異論を許さない雰囲気に危うさを感じる」とコメントしていた。

10月10日付西日本新聞朝刊より
教科書検定県民集会その後…
「政治介入やめろ」「参加者数でっちあげ」沖縄県庁に批判メール
県民側にも感情的意見 非寛容な地域対立に懸念
 沖縄戦の住民集団自決の記述から「日本軍の強制」を削除した文部科学省の教科書検定に抗議する沖縄県民大会後、同県庁に「沖縄バッシング」の電子メールや電話が相次いでいる。一方、沖縄側にも「政府」ではなく「本土」への感情的な批判が交じる。歴史認識をめぐる、「本土」と「沖縄」という二つのナショナリズムの対立に危ぐの念を抱かずにいられない。
 沖縄県知事公室によると、九月二十九日の大会直後は批判の電子メールや電話が一日に三十件以上あった。その後も連日十件以上寄せられている。大半が匿名で県外からと見られるという。
 主催者発表の参加者数十一万人は「でっち上げた数字だ」との指摘や、大会に参加した仲井真弘多知事に対し「政治介入はやめよ」という批判、「予算の六割を国の補助金に頼っている分際で」「沖縄のクズども」などのひぼう中傷もある。
 また、インターネット掲示板「2ちゃんねる」では「即刻、沖縄を米国に返還し『生かさず殺さず』活用すべきだ」など、さらに感情的な書き込みが目立つ。県幹部は『集団自決のことをもっと勉強して欲しい、心ない批判が多い」と嘆く。
 確かに大会参加者数は、政府関係者によると沖縄県警調べで約四万人という情報(県警は公表を拒否)もある。四万人だったとしても、県民の怒りの大きさを示す数字の意味は揺らがない。むしろ気になるのは、沖縄社会を包む一様な空気だ。
 県民大会では、仲井真知事が職員に参加を促し、県教育長も県立学校長らに呼び掛けた。那覇市は公費(約四十万円)で参加者の送迎バス十台を借り切った。
 沖縄在住の芥川賞作家、大城立裕氏(八二)は「異論を許さない雰囲気に危うさを感じる」と指摘する。
 そして、大会前、地元紙の一面に地元ライターのこんなインタビューが載った。
 〈日本(政府とそれを「支える」日本人)には謝罪と「もう二度と『集団自決』を強要しない」との約束、実現、保障を求めていく〉
 本土も沖縄も、互いを挑発するかのような過激な主張は若い世代に多いようだ。ナショナリズムの対立はとかくエスカレートしがちだ。今回の検定問題の本質を見据えた冷静な議論が求められる。
(那覇支局・中島邦之)

曽野氏がいみじくも沖縄の言論空間の極端な排他性を指摘した30年後、「集団自決訴訟」が提訴されたが、

沖縄メディアに異論を吐き続ける筆者などは「沖縄人がこんな意見を述べるはずがない」とか「裏切り者だ、ファッショだ」といった曽野氏の指摘した通りの苔むした文言でバッシングされたのには、苦笑させられた。 

彼らの思考は35年前から停止して化石になっているのだろう。

そして曽野氏の指摘の約35年後に出版された佐野眞一氏の「沖縄 誰にも書かれなかった戦後史」にも曽野氏の指摘と共通する沖縄メディアを中心とした左翼勢力の閉鎖的思考の解説がある。

大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。
 沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄することとほぼ同義だと私は考えている。そこには、沖縄の歴史を一九四五(昭和二十)年六月二十三日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、この島にその後六十年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、それにともなう精神の弛緩が垣間見えるからである。
 大江や、これに同調する筑紫哲也の話題が出るたび、心ある沖縄人たちから「われわれを“褒め殺し”するのも、もういいかげんにしてくれ」という台詞が出る場面に、私は幾度となく遭遇した。
 こうした跪拝意識に“大文字言葉”が加わって、沖縄は米軍に占領された被支配者の島である、といった左翼宣伝ビラでもいまどき書かないようなプロパガンダ本が、うんざりするほど生産されることになった。

 

【追記】
 沖縄から戦後日本を照射する……佐野眞一出版記念講演会
これまでの沖縄本の限界
 沖縄についてこれまで多くの本が書かれてきたが、そのほとんどは被害者意識、あるいは大江健三郎的沖縄論(沖縄に謝罪する)であり、昭和20年6月23日で終わっている。戦後63年の分厚い沖縄の歴史を検証する必要があると思い、予備取材を含め7年間をかけて取材した。

 

 






 

 

 

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コメント (4)

ブラックジョークだろう 中国が核軍縮に不快感

2009-05-08 21:40:45 | 普天間移設

田母神塾―これが誇りある日本の教科書だ
田母神 俊雄
双葉社

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麻生首相の核軍縮言及に不快感=中国
  【北京7日時事】中国外務省の馬朝旭報道局長は7日の記者会見で、麻生太郎首相がドイツ訪問中の演説で中国の核軍備近代化に言及したことについて「中国の核政策と核戦略は極めて透明で、核軍縮問題の主張も理解されている。日本の指導者が現下の情勢で中国の核問題に言及するのはどのような目的があるのか」と不快感を表明した。 
 麻生首相は演説で、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の核軍備の近代化などに触れ「このような状況にあるからこそ、核軍縮を進め、不拡散体制を強化することが重要だ」と述べた。(2009/05/07-18:10)

                                            ◇

「相手の嫌がることはやらない」を政治信条とする前首相が、ひたすら恭順の姿勢を示したので、麻生首相にもそれを要求したのであろうが、日本は中国の属国ではない。

主張すべきところは主張して当然である。

中国の国防費は20年連続して前年比2けたの伸びを示し、内容も極めて透明性を欠く。

麻生首相は隣国のこの異常な軍拡に対して当然の牽制をかけたのであり、隣国の首相としては極めて当然の発言である。

麻生首相:ベルリン・フンボルト大学での演説要旨
 【ベルリン田中成之】麻生太郎首相が5日午前(日本時間同日午後)、ベルリンで行ったスピーチの要旨は次の通り。

 世界は四つの大きな挑戦を受けている。(1)金融・経済危機(2)気候変動(3)テロとの闘い(4)核軍縮と大量破壊兵器の不拡散だ。

軍拡に最も不透明な国が、「中国の核政策と核戦略は極めて透明」と反論するのはブラックジョーク以外の何ものでもない。

世界で唯一の核爆弾投下国アメリカの大統領が核兵器のない世界に進む方向を示し、核軍縮への動きを示した。

核加害国アメリカに対しては黙して語らず、

その一方で唯一の核被害国日本の首相が核軍縮を演説したら、日本に核ミサイルの照準を合わしている中国が不快を示す・・・これもブラックジョークだろう。

 

     前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

 

「大東亜戦争が終わりを告げてから、60年以上もの歳月が流れました。戦争によって犠牲となられた方々に、あらためて哀悼の意を表します。同時に、戦死された方々のおかげで私たちの今日があることに深く感謝の意を表します。
沖縄を含め日本は戦後、人類が歴史上経験したことのない占領政策を受けました。戦争に負けた日本は、自分たちの歴史観を奪われ、戦勝国の歴史を強制的に押し付けられてしまいました。自虐史観に基づいた日本の歴史教育は、国民から自信と希望を失わせていくものでしかありません。日本は、かつて戦勝国から奪われた歴史観を取り戻し、かつて我が国がもっていた誇りを取り戻すべきです。」
(『田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)より抜粋)

                    *

昨年10月、民間の懸賞論文へ応募した作品が日本の過去の侵略行為を正当化する内容で政府見解と対立するものであったとして航空幕僚長を更迭され、空将として定年退職した田母神俊雄氏がいよいよ沖縄にやってきます。論文の意図したものは何だったのか。今、日本にとって何が必要なのか。将来の日本と日本人はどうあるべきなのか。前航空幕僚長の田母神俊雄氏が沖縄県民の皆様に直接語りかけます。
ご多忙とは存じますが、県民の皆様方には万障お繰り合わせの上、多数ご参加くださいますようお願い申し上げます。          

演 題 『日本は本当に侵略国家だったのか』
    ~日本の歴史をもう一度見直そう~
【日 時】平成21年5月30日(土)        
              午前11時30分受付 正午開会~午後2時閉会
【会 場】パシフィックホテル沖縄 万座の間
                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162
【会 費】1000円
【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会 
【連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里
              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037

 

★懇親会(14:30~16:30)

講師を囲んで食事を含めた懇親会を行います。
お時間の許す限り、お気軽にご参加ください。

【会場】 パシフィックホテル沖縄

【会費】 5000円 (70名限定)

田母神塾―これが誇りある日本の教科書だ
田母神 俊雄
双葉社

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独裁国に囲まれた日本

2009-05-08 07:40:03 | 普天間移設

 【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 恥ずかしい国に住んでないか

2009.5.8 03:41

≪日本の世界史的役割に目を≫

 もういいかげんに覚悟を決めたらどうだろうか。中国には海を奪われ、油田をかすめ取られ、毒食を送りこまれて知らぬ顔の半兵衛を決めこまれ、国連で常に妨害され、韓国には島を占拠され、野球のWBCのマウンドに太極旗を立てて侮辱され、北朝鮮には人さらいをされ、ミサイルを発射され、これら特定アジアからそろって偽史まで強要されている。そのような恥ずかしい国に住んでいくという覚悟を、もう決めた方がよいのではないか。

 海の向こうには三種一様の国がある。日本軍と戦わずしてアメリカに解放してもらった国(韓国)、少しゲリラ戦をしたが大負けに負けてソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国(北朝鮮)、別の人たちが日本軍と戦っている間に山で英気を養い、戦後、前に戦っていた人々を追い出して独立した国(中国)。これらは日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない国々であり、これからも絶えず日本と戦っていると国民にアピールするために、日本の主権をおかし、侵略をしつづけることであろう。

 日本がかつて彼らに悪辣(あくらつ)なことばかりしてきた、などという進歩的文化人や良心的知識人のウソを、いつまでご託宣のように信じているのだろうか。日本は彼の地を征服し、近代の民法典や私有財産制を移植した。仏人にそういうと、「なんだ。ナポレオン・ボナパルトではないか」との答えが返ってきた。日本の世界史的役割とは、案外そんなものだったのかもしれない。日本が敗れてからは、それらの遺産を活用した韓国は栄え、払拭(ふっしょく)して社会主義を始めた中国や北朝鮮は、あるいは遅れ、あるいは衰えていったのであろう。

 

≪独裁国家同士による大団円≫

 時代は変わって、いまや世界は四つの国家群に分けることができるようになった。進歩主義は幻想となり、静的に四群が並存するだけの世界である。いわく、資本主義も民主主義もできる国、資本主義はできるが民主主義ができない国、資本主義も民主主義もできない国、何もできない国、以上である。後ろの三つは大体独裁国であるから、いかに人間存在が独裁好きかということがよく分かると思う。独裁国家は民主主義を排除するために、陰に陽に協力し合う。

 4月5日の昼、北朝鮮のミサイルの脅威が日本列島に躍りかかった。ミサイル実験のデモンストレーションは武器の販路を広げ、北朝鮮製の装甲車やロケット弾を積んだ偽装船舶はさらにインド洋を北上することであろう。結局、国連での事後処理は民主主義国家に脅威を与えたい中国やロシアにまかされ、独裁国家同士の大団円となって終わった。なぜ我が国民は怒り、立ち上がろうとはしないのだろうか。

 今年からグーグル地図が一部更新され、北朝鮮の火力発電所が盛大に煙を上げているのが上から見られるようになった。プルトニウム開発の寧辺から河をはさんだ南方に北倉火力発電所がある。そもそもソ連の技術援助で1982年に完成したもので、出力が150万キロワットもあるが、長い年月で老朽化していた。2007年6月、ここに国家科学院と、機械工学研究所の研究員が入り、再開発の意図がはじめて明らかになった。

≪良好な北のエネルギー事情≫

 7月には、電力工業省傘下の火力発電局の担当が降りていき、8月には灰処理基本工事を完成、11月からはボイラーとタービンの大々的な補修が報じられた。12月には、北倉郡の近隣で各出力20万キロワットと推定される安州市の清川江と、順川の火力発電所のボイラー並びに発電設備の補修が同時進行中であることも報じられた。

 以後、北倉は手厚い支援を受け、08年3月にはボイラーに重油が入っていることが確認され、4月には「工業試験所の技術者たちはボイラーに新しい重油供給装置を全面的に取り入れ燃料効率を高めた」と労働新聞(4月29日付)に載る。

 のみならず、先の火力発電所群と同じ北緯39度から40度の間で、元山、金野江、水洞区、寧遠などに、水力発電所が次々に建設された。元山では4基計8万キロワットの水力発電所が、金野江では写真から30メートル級のダムが建設され、寧遠では発電機、タービン、変圧器など新しいものが次々と搬入されていると去年の6月に報じられたが、いまグーグル地図を見ると、中型のダムをそこに認めることができる。目下、北朝鮮のエネルギー事情は良好であり、ウラン濃縮のためには万全の体制が整ったと言えよう。

 現在中国は、外貨備蓄を米国債の購入に充てアメリカに無言の圧力をかけるとともに、北朝鮮のエネルギー開発を援助することにより、日本に有形の脅威を間接的に与えている。資本主義はできるが民主主義ができない国々がテロ国家を番犬のように使い、影響力を世界に拡大しようとする戦略は、かつては社会主義で貧乏だった大国が、昔の野望を実現できるようになったということだけなのかもしれない。(ふるた ひろし

                    ◇

おぼろげながら理解していたつもりのことを、明快に論理立てで知らされると思考の霞が取り去られたようにすっきりとする場合がある。

久し振りにある意味で目からウロコの記事である。

「隣の芝はきれい」の例えどおり、特亜三国を褒め称える「識者」は多い。 いや、さすがに北朝鮮に関しては「多かった」と言った方が正しいかもしれない。

北朝鮮を故郷と憧れたノーベル賞作家や、地上の楽園と褒め称えた大新聞は論外としても、とかく未知の国は良く見えるもの。

一方、生半可の知識でこれらの国を批判するのではなく、知りすぎた故にかつては愛着を感じていたが遂には匙を投げたた人物が上記筆者の古田博司教授。

 

情報戦も戦争の一部と考えれば国内の反政府情報を弾圧する独裁国家と反政府放送局を公共放送と称して野放しにする民主主義国家では勝負にならない。

「スパイ防止法」さえ具備しない我が国は連戦連敗の体たらく。

民主主義と資本主義という二つの概念を用いた四つの国の分類によると、日本の隣国は全て独裁国だといえる。

このまま独裁国家の大同団結を拱手傍観している恥ずかしい国に日本は甘んじてよいのか。

「もういいかげんに覚悟を決めたらどうだろうか。」

 

 日本には120年前にも「覚悟を決めた」偉人がいた。

 シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。

この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。 

、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。

すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。

これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。

実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。

  もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。

日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。

ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。

この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。

悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。

私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治18年3月16日)≫福沢諭吉 「脱亜論」抜粋

 

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最終章「ハーバービューホテルの決闘」 沖縄をダメにした面々

2009-05-07 06:30:04 | 未分類

 

 

 

佐野眞一氏のいう沖縄の愛すべき妖怪・キジムナーこと上原正稔氏と、アンダケーボージャー(油食い坊主)とも言うべき太田昌秀氏の「沖縄ハーバービューホテルの決闘」を書いていたら、止め処もなく脱線して9回も続いてしまった。

さて、長いシリーズもいよいよ今回で最終章だが、途中から読む読者は、次ぎのリンクの順で読むと少しは分かりやすい・・・かも。

勿論通して読んで頂いている方はスルーを。

 沖縄を語る“大文字言葉”-『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』感想文

ハーバービューホテルの決闘!太田元知事vs上原正稔

続・ハーバービューホテルの決闘!太田元知事vs上原正稔

第三章ハーバービューホテルの決闘

第四章「ハーバービューホテルの決闘」

第五章「ハーバービューホテルの決闘」 「1フィート運動」の正体

「ハーバービューホテルの決闘」第六章 沖縄戦メモリアル構想

「ハーバービューホテルの決闘」第七章 メディアの驕りが雲仙・普賢岳災害をもたらした

「ハーバービューホテルの決闘」第八章

 

<恵子夫人と入れ違いに太田昌秀県知事が会場に登場した。 上機嫌にフィアリー氏や総領事と話し、酒に手をつけた。 ぼくの存在に気がついた太田の秘書官桑高は顔色を変えて会場から出て行った。 何か、危険を察知したらしい。>

<だが、ぼくは気付かない。 ようやく、フィアリー氏と総領事に挨拶し沖縄タイムスの大山哲らと談笑している時だった。 会場の奥から顔を上気させ、目を吊り上げ、恐ろしい形相をした酒乱男が、「おい、上原、お前は県議会でよくも俺の悪口を言ったな」と叫びながら、掴みかかってきて、組んずほぐれつの大喧嘩が始まった。 その男が太田知事だった。 会場の「文化人」らは、呆気に、仰天している。 誰も太田を止める者はいない。 やがて、太田の罵り声を聞いた太田の一の子分である宮城悦二郎教授が青い顔をして、駆けつけてきて、太田を押さえようとするが、「キレた」太田を押さえることができない。三人がかりでようやく押さえつけたが、太田は「誰がアイツをここに入れたんだ」と喚いている。何という醜態だ。 ぼくはその時、怒りがこみ上げてきて、「知事たる者がなんだ。 貴様は知事じゃない。 沖縄の恥だ。 知事を辞めろ。」と叫んだ。 ぼくは憤然として、会場を出ようとした。 出口には20人ほどの琉球大学の女学生たちが茫然と立ちすくしていた。 泣いている少女もいる。 ぼくはそこで我にかえり、惨劇の場所を後にした。 だが、この事件が報道されることはなかった。

同じ酒のせいでも、太田知事のご乱行に比べれば、草なぎ剛君の全裸騒動なんて可愛いもの。

現役の沖縄県知事が外国の賓客を迎えた「文化人」たちが集まる高級ホテルのパーティ会場で、来客の一人に襲い掛かり、組んずほつれずの大乱闘劇えを演じる醜態に比べれば、

人目のない深夜の公園で全裸になって逮捕され、全国的に報道された草なぎ剛君の方がよっぽど罪が軽いと思うのだが・・・。

何しろ当日参加した「文化人」たちのほとんどが、太田氏の息の掛かった者であり、太田氏を支援するマスコミも、本来なら逮捕されてもおかしくない乱闘劇を報道さえしないのだ。 

まるで島ぐるみで太田氏のご乱行を隠蔽しているとしか思えない。

太田氏のご乱行といえば、太田氏は知事時代、国が行うべき外交を「直接交渉」を口実に、毎年のように大名行列を組んでアメリカへ行くのを常としていた。 

同行の沖縄タイムス、琉球新報社が報じない知事のアメリカでの素行を産経新聞がすっぱ抜いたことがあった。 予定では米国政府の要人と面会するはずだが、当の知事は二日酔いでホテルの部屋で昼まから寝ていたとか。

地元紙には大々的に報じられた現地での太田氏の講演会には同行スタッフの方が聴衆より多く、知事本人は参加もしていなかったとか・・・。

いずれも太田氏の「身内」ともいえる同行の地元紙は、太田氏の現地での素行を読者に伝えようとはしなかった。

なお、上原氏が太田氏に襲われる前に談笑していた大山哲氏とは、元沖縄タイムス記者で、今では左翼の巣窟と化した「1フィート運動の会」の役員として太田昌秀氏や安仁屋政昭沖国大名誉教授等と名を連ねている。

上原氏が事務局長として若い仲間たちの協力で始めた「1フィート運動」が太田昌秀氏に乗っ取られたことを書いたが、

事務局長の椅子を巡って太田氏の周辺でも醜い椅子取りゲームが行われていたようだ。 

先ず事務局長の椅子を「上原氏は若い」という理由で奪った福地氏一派。 

次に女性運動の手に「1フィート運動」の実権を握ろうとして中村文子氏を事務局長に推した故宮里悦女史一派。(宮里女史亡き後は中村女子が継ぐ) 

そして「1フィート運動」乗っ取り劇の元凶である太田昌秀氏一派。

だが、左翼勢力の団結は見事なもので、最近の「1フィート運動の会」の名簿は太田、福地、中村の三氏が仲良く名を連ねている。

沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会 役員名簿

◆顧問  太田昌秀

       中村文子

◆代表  福地曠昭

◆運営委員 

 安仁屋政昭

 新崎盛暉

 石原昌家

  大山哲

 (以下略) 

                   ◇   

上原氏が純粋な気持ちで創設した「1フィート運動」は、太田氏に乗っ取られた後は、沖縄戦記録の発掘という地道なイメージを隠れ蓑に左翼イデオロギーの宣伝の巣窟と化したことは再三述べた。

ところが上原氏が太田氏の盗作されたという沖縄戦メモリアル構想は現在「平和の礎」として太田県政の成果として評価をうけている。

ところが沖縄のマスコミは決して報じることはない多くのデタラメがその石碑の裏には隠されていると上原氏はいう。

「平和の礎」の戦没者の刻銘に関しても、太田氏は自分の名誉欲達成のため多くのデタラメを行っているという。

これでは顕彰された戦没者も浮かばれないと思うのだが、これについて上原氏自身が記した文を著書より引用する。(太字強調は引用者)

今、摩文仁の公園に平和の石ころが乱立している。 24万余の氏名が刻まれている。 だが、この中で何人が沖縄戦で死んだのか。 誰も知らない。 なぜなら、この石碑は1931年の満州事変から1946年9月までに自然死したものも含む戦没者の氏名を刻んだものだから。 しかも、生きている人の名も刻まれているのだ。  特に、沖縄住民の戦没者が10万3千を越えることはないことを肝に銘じておこう。 なぜなら、これ以上の数字だと、戦前の人口を増やさねばならないからだ。 功名心の塊であるおおたは50周年の記念事業に合わせ、わずか2ヶ月で沖縄住民戦没者のリストを掻き集めたのである。 どこで死んでいようと構わなかったのだ。 しかも政教分離を謳う憲法を無視して、
15億円の国費が投じられている。 だから、平和の礎の入り口には「これは慰霊碑ではありません」と断り書きがある。
ここまで、ぼくは自分の体験した沖縄の堕落を書いてきた。 だが、太田のやりたい放題の悪政乱政によって、今、沖縄は海の底へ沈没しようとしていることを指摘しておこう。 読者の皆さんもひしひしと実感しているはずだ。 税収わずか800億円の沖縄県は今、6000億円の借金を抱え、事実上、「死に体」の状態だ。やりたい放題にやらせたのは、権力に盲従する「文化人」、太田とつるんで税金を湯水のようにせしめている悪徳企業、「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいるメディア、太田に裏切られて初めて太田の正体を知り、右往左往している中央の政治家だ。 
沖縄は死んだ。  あの「人が平和に生き、平和にしんでゆく島」は滅びた。 沖縄戦が終わった時、ぼくらは皆、地獄から甦ったかのように活き活きとしていた。 だが、太田が知事の座を下りても、生気が甦ることはない。

最後に上原氏の太田氏とその取り巻きの「文化人」、そして太田氏の悪行を隠蔽するマスコミを激しく糾弾するのであるが、上原氏の文からこれら沖縄をダメにした連中を抜き出すとこうなる。

①功名心の塊⇒太田昌秀元県知事

②権力に盲従する⇒「文化人」

太田とつるんで税金を湯水のようにせしめている⇒悪徳企業

「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいる⇒メディア

太田に裏切られて初めて太田の正体を知り、右往左往している⇒中央の政治家

これまで長々と引用してきた上原氏の文は『茶柱が倒れる』(神山吉光編 閣文社 1998年)の中の「怒りを込めて振り返れ-そこのけ、そこのけ、裸の王様が通るー」よりの抜粋だが、同文の冒頭部分で上原氏は太田氏を想定してこう書いている。

ー ひとりの人間を知ることは世界を知ることより難しい。 
だが、裸の王様の正体を知ることは真昼の太陽を拝むことより易しい。 ただ、ぼくのように率直であればよいのだ ー ひとりぼっちの反逆者、上原正稔

そして文の最後を次のように結んでいる。

ソドムとゴモラの悪徳の都では、今日も裸の王様の行列が通る。 愚民が「王様の衣装は見事だ」「王様万歳」と歓声をを挙げる。 「あ、王様は裸だ」と叫ぶ少年の声は届かない。>

【完】

 

【付記】

上原正稔氏の著書を基に書き綴ってきたが、引用元の『茶柱が倒れる』の編者である神山吉光氏は、太田氏の夫人がDV(家庭内暴力)を逃れハワイで長年別居生活をしていることに関連して、太田氏の酒乱と暴力癖を次のように批判している。

太田知事は国家的暴力である戦争を嫌い、いろいろな書物を通して人々に平和を訴えた知事であり、又、第一級の平和主義者として自他共にそれを認めているはずだ。 ところが、この太田知事が家庭では夫人が同居出来ないくらいに暴力を振るっていたとは、正に天地がひっくり返ったような驚きであった。 いまがどうあれ、このような反社会的暴力を肯定し、これを日常行動とした太田知事は、側近がどのように弁明しようが、太田昌秀は県知事としても学者としても大失格であった。 私は暴力追放と社会正義の立場から、このことを太田知事本人に強く指しておきたい。>(「茶柱が倒れる」 神山吉光編 1998年)

 

 

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どんなことがあっても、真相を突き止めるよ!金武被弾事件

2009-05-06 06:49:37 | 金武町流弾事件

 

 
沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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 今朝の沖縄タイムスにも「米軍流弾事件」は一行の記事もない。

社説やコラムは勿論、読者の投稿にも「米軍流弾事件」の記事は一件も見当たらなくなって久しい。

「疑惑の銃弾」は益々その疑惑の度合いを深めてきた。

 

金口木舌     2009年5月3日

 「どんなことがあっても、真相を突き止めるよ」。今年初め、旧知の朝日新聞記者と会った。阪神支局襲撃事件に触れた瞬間、取材班に籍を置いていた彼の穏やかな表情に怒りが宿った
▼記者2人が銃撃され、死傷した事件から満22年を迎えた。週刊新潮が「実行犯」という男性の手記を誤りと認めてから2週間余。発行元の新潮社がようやく関係者を処分した
▼社長、前編集長ら全9役員が減棒となったが、言論の自由を暴力で押しつぶそうとした事件をもてあそび、遺族らを傷つけた大誤報のけじめとして、納得する人は少ないだろう
▼週刊新潮元副編集長の亀井淳さんは「処分は甘く、遅すぎる。世論の反発を様子見し、主体性もない。誤りの真相は何も分からない」と一刀両断にした
▼「ニセ実行犯に騙(だま)された」という検証記事で、前編集長は「週刊誌の使命は、真偽がはっきりしない段階にある『事象』や『疑惑』にまで踏み込んで報道すること」と書いた。検証を欠いても、語った事実のまま報じることを正当化する「裏付け取材不要論」とも読める。騙されたと開き直ったこの号は完売だった
▼今回の問題を「売らんかな」の商業主義の影響と指摘し、ジャーナリズム全体に警鐘を鳴らす市民や学者の声がある。きょうは憲法記念日。「足で稼ぐ記事」で言論の自由を守る決意を胸に刻みたい。

                   ◇

「どんなことがあっても、真相を突き止めるよ」。

朝日新聞記者の言葉というが、いまだに「珊瑚記念日を語られる」朝日新聞にだけは言われたくない言葉だ。

またそれに感心する琉球新報記者だが、「不都合な事実は弾圧する」琉球新報にも言われたくない言葉でもある。

琉球新報は、沖縄タイムスとタッグを組んで一昨年の「11万人」集会、昨年の「米兵女子中学生事件」、「比女性暴行事件」などの歪曲記事を書き連ねている。

昨年の12月から今年の4月に至る四ヶ月の間は金武町伊芸区で起きた「米軍流弾事件」で、抗議の大キャンペーンを張っていたのは琉球新報、沖縄タイムスのタッグチームではなかったのか。

琉球新報の記事だけでもこの通り。

金武被弾事件一覧、 琉球新報記事

3月31日の米軍側に「米軍には関係ない」と断定されて以来、先月中旬以来、突然の沈黙はこれまでの2紙の激しい論調からいって不可解ではないか。

琉球新報の「米軍流弾事件」に関する最後の記事はこれ。

伊芸被弾、第三者の「破壊」と指摘 2009年4月11日
 3月31日に発表された金武町伊芸被弾事件に対する米軍の最終報告で、米軍はレンジ内から発射された弾が駐車場の車両に突き刺さった証拠は一切ないとした上で、「道路上の危険」や第三者による「故意による破壊」といったほかの可能性を指摘していることが10日、分かった。「50口径弾は沖縄本島のほぼ全域で土中から発見されるもの」との記述もあり、米軍以外の第三者がどこからか弾を入手し、犯行に及んだ可能性があるとの見方を強く示している。米軍から県警に提出された最終報告文書で明らかになった。
 石川署の初動捜査報告書を基にした事実として、被害者は11日正午ごろに駐車場に駐車し、同日午後4時ごろ女性が「バン」という音と白煙を確認したことを記述しているが、併せて「(女性)以外の目撃者が存在しない」と証言の信憑(しんぴょう)性を疑う記述もある。県警は「音」と「白煙」の確認は10日だったとしており、大きく食い違っている。
 9、10日にレンジ7で実施された射撃は、7トントラックの砲塔に搭載されたM2重機関銃を使い、縦、横方向とも固定された位置で使用したことを強調。
 レンジ7の安全対策では、50口径弾が「跳弾」した上で訓練場内から伊芸区に飛び出す確率は極めて低い、としている。結論として、問題の弾芯は「訓練場内で行われたどんな武器訓練とも関係がない」と断定している。

                                             

沖縄タイムスの最後の記事はこれ。

沖縄タイムス 2009年04月14日 社会 

県警の指摘検証/伊芸区流弾 発生日のずれで米軍
 金武町伊芸区の流弾事件の発生日の特定が県警と米海兵隊で異なっている件で、県警が認識の違いを指摘したことに対し、在沖米海兵隊報道部は13日、沖縄タイムスに対し、「現在、県警から受け取った最新の書簡を検証しており、現段階で今月1日に発表した以上公開できる情報は持ち合わせていない」と回答した。

 県警は事件は昨年12月10日に発生したとして捜査を進めている。だが、米海兵隊は石川署から12月19日に受け取った報告書を基に事件発生は12月11日とし「11~13日は実弾射撃演習は行われていない」などとして、事件と訓練の関連を否定している。

 県警は米側に発生日は10日と再三通報したと説明しており、今月9日、あらためて発生日のずれなどを指摘する書簡を送っていた。

                   ◇

米軍の最終回答によると、「疑惑の銃弾」は第三者の何ものかが工作して米軍の事件に見せかけたのだと断定している。

冒頭のコラムでニセ実行犯に騙(だま)されたと書いているが、これはひょっとして「米軍流弾事件」にも当てはまるのではないか。

更に米軍回答書は、ただ一人の目撃者がウソをついているともほのめかしている。

 

県警の聞き取捜査による事件特定日と、米軍側がいう日が異なるのは、県警の捜査がずさんであったと、暗に指摘した米軍の回答だ。

これに疑問を持つなら、冒頭のコラムで言う足で稼ぐ記事」でも書いて米軍の鼻を明かしてみてはどうか。

米軍の捜査に対し「泥棒に泥棒の捜査を頼むようなもの」と激しく批判していた沖縄マスコミではなかったか。

それが突然おとなしくなったというのはのは米軍の結論を認めたということか。

そうならそうと、新聞は真相を読者に伝える義務があるのではないか。

米軍の結論を認めるのなら、民家に侵入して乗用車のナンバープレイトに銃弾の細工をした人物は刑事罰に相当するのではないか。

沖縄選出の国会議員が沖縄県警に告発したのはどうなっているのか。

冒頭に引用した朝日記者の言葉を琉球新報と沖縄タイムスにそっくり返したい。

「どんなことがあっても、真相を突き止めるよ」。

 

 

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秦 郁彦
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