狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ

2009-01-20 04:37:39 | ★集団自決

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終戦5年後の昭和25年に発行された沖縄タイムス刊『鉄の暴風』は、長い間沖縄戦記のバイブルといわれてきた。

ところが沖縄返還の翌年(昭和48年)に発行された曽野綾子著『ある神話の背景』は、これまで沖縄で言われてきた「軍命による集団自決」という神話に真っ向から異議を唱えた。

「赤松の暴状」を記述しその神話を流布させてていた『鉄の暴風』を初めて批判して、沖縄の言論界に大きな衝撃を与えた。

渡嘉敷島の「集団自決」は、赤松嘉次戦隊長の命令や強制によってなされたものという神話に異議を唱え、赤松隊長が「自決命令」を出したという『鉄の暴風』の記述には一つの証拠もなく、一人の証人も居なかったと主張したのだ。

それ以降、『鉄の暴風』をバイブルとしてきた沖縄の論壇にも変化の兆しが見え始める。

『ある神話の背景』(現在『集団自決の真相』と改題)が1973年に発刊された直後、沖縄の識者の中にも『鉄の暴風』のずさんさな記述を批判し、『ある神話の背景』を評価する学者が出てきたのだ。

仲程昌徳琉球大学助教授(当時)は、『ある神話の背景』を評価する一方、『鉄の暴風』を次のように批判した。

ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつきくずしていくことであった。そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令説」はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改定をせまられたのである(『沖縄の戦記』仲程昌徳著 朝日新聞社 1982)

その後、仲程氏は沖縄の左翼学者たちと論争をしたが、多勢に無勢。

行司役を務めるべき沖縄紙までも敵に回しては勝ち目はなく、最近では沖縄紙の論壇でその名を見ることはない。

 

                  *

『ある神話の背景』は、1973年に単行本として文芸春秋社から刊行された。

曽野綾子氏が同書を出版する2年前の1971年、沖縄在住の作家・星雅彦氏が、

慶良間島で集団自決体験者の聞き取り調査をし、渡嘉敷村の村長や駐在巡査や村民らの証言をまとめて雑誌「潮」(1971年11月号)に発表していた。

 
星氏は地元の雑誌「青い海」にもその結果を寄稿しており、その貴重な聞き取り文は多くの文献に引用されているので、「集団自決」を検証する者なら一度はその名を目にしたことあるだろう。
 
星雅彦氏は沖縄紙を基盤にして、詩歌や美術の評論を発表する他に沖縄将棋連盟の会長も努める沖縄では著名な文化人である。
 
星氏が、地元記者さえおろそかにしていた「集団自決」の聞き取り調査を沖縄返還の前年に行っていたことは、体験者が次々没していく現状を考えれば、その先駆的行動は、その後の「集団自決」の検証にとって極めて貴重な業績として賛辞に値する。
 
ところが、近年「集団自決」問題が訴訟と教科書検定という大きな問題で全国的に関心を持たれるようになると、沖縄の識者の中には連日といっていいほど地元紙で自論を展開する人が目につく。
 
その一方「集団自決」検証のさきがけともいえる星雅彦氏がこの議論に参加することはなかった。
 
『鉄の暴風』の太田良博記者が一度も現地に取材することなく伝聞取材のみで同書を書き上げたのに対し、現地聞き取り調査を行った星氏は『鉄の暴風』のずさんさを身をもって知る稀有な地元作家である。
 
 
だが、地元紙を活動の基盤にする星氏としては、地元では沖縄戦記のバイブルともされている『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)に少しでも異論を唱えることは神に背くに等しいことであり、沖縄在住の作家・評論家にとっては命取りにもなりかねない。
 
それでも時折沖縄紙の文化面などでその名を見ることあるがもっぱら専門の詩歌や美術に関するもので、やはり「集団自決」に関しては沈黙を守っているように思える。
 
星氏が「集団自決」に関しては沈黙を守らざるを得ないのも理解できる。
 
 
ちなみに、星雅彦氏の雑誌『潮』(71年11月号)掲載文はこのエントリーで引用してある。⇒沖縄紙が報じない金城重氏の闇の部分

                    *
 
「集団自決」に関して、マスコミでは沈黙を守っていた星氏が自分の主唱するミニコミ誌で「集団自決訴訟」の判決に絡んで『鉄の暴風』のずさんな記述に批判的な感想文を書いていた。
 
「集団自決訴訟」の大阪地裁判決が言い渡された一か月後に発行されたミニコミ同人誌『うらそえ文藝』13号で、自ら編集長を努める星雅彦氏は本文ではなく「編集後記」という形で大阪地裁判決に疑義を投げかけている。
 
例えミニコミ誌の「編集後記」という遠慮した場とはいえ、沖縄在住の文筆家でこのような意見を述べるのは極めて珍しいことである。
 
「編集後記」にしてはかなり長い記述の中から一部抜粋して引用する。
 
<集団自決(強制集団死)について
 
●「集団自決」訴訟の大阪地裁で3月23日に、深見敏正裁判長はによって判決が言い渡された。 その日は奇しくも渡嘉敷島で集団自決があった命日でもあり、合同慰霊祭の日でもあった。
●大江健三郎氏の「沖縄ノート」については、座間味島の元戦隊長梅澤裕氏と渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次への名誉毀損の成立は認めず、軍の関与を認め、原告側の請求を全面的に棄却した。 
●この事件から、浮上した諸問題がある。 まず当初からの争点であった戦隊長の直接命令の有無であるが、その「伝達経路は判然とせず、自決命令を発したとはただちに判定できない」と判決し、その一方では、軍から自決用に手榴弾を渡された住民証言を根拠にして「隊長の関与も十分に推認できる」としている。
●問題は手榴弾である。 手榴弾は何個あったのだろうか?
証言者達の集計では信じ難い数になる。実際には不発弾を除いたら数発ほどの爆発ではなかったか。 多くの住民は棍棒、鍬、鉈、鎌、小刀、縄などを使用している。 他方、貴重な武器であるはずの手榴弾が厳重に管理されていず、防衛隊が任意に入手したふしもある。 少年兵が併記倉庫から手榴弾を盗み出してきたという証言もある。 
●「鉄の暴風」は援護法の適用が意識される前から発刊され存在していたという事実から、隊長命令説は援護法適用のための「ねつ造」だという主張は、認められないという判断だ。 しかし当時はまだ軍民一体の思想の余韻が通念としてあったはずだ。むしろ、死者数を水増しして、それを援護法に適用するために用いられたとは考えられないか。実際に集団自決の死者たちの人数は、実数と多少食い違いがあると言われている。
●「鉄の暴風」については、50年前の初版は誤謬が余りにも多い。例えば「(省略)梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」(41頁)というくだりは知る人ぞ知るで、明らかな誤りだ。 そのことを梅澤氏は20年ほど前に沖縄タイムス社に抗議している。 その後、版を重ねて決定版を刊行したが、誤謬はまだ幾つかあると言われている。 にも拘わらず裁判では「鉄の暴風」をかなり信頼して、判断基準にしたきらいがある。
●今一つ半信半疑な点は、日本軍の駐留したところに限って集団自決はおきており、その点から推察して、軍命は間違いなくあったという決定判断だ。
●日本軍の駐留地と集団自決の関係は、「密接」ではあるが、必ずしもすべて当てはまるとは限らない。 日本軍の駐留地の阿嘉島では集団自決が起きていないのに、日本軍がいなかった屋嘉島では少数の集団自決が起きている。 これに類した例は他にもある。(略)>
 
掲載された『うらそえ文藝が』が出版されたのは、例の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人」集会)の熱気も覚めやらぬ大会の約7ヶ月後だったためか、「編集後記」の後半部分では、文科省検定意見に対しては批判的な記述がみられる。
 
だが、前半部分の大阪地裁判決に関する記述では、終始判決に批判的で、当日記がこれまで記した疑問とほぼ同じような疑問を呈している。
 
参考リンク

星雅彦氏の『潮』71年11月号

                   ◇

当日記の読者なら周知のことだとは思うが、星氏が地裁判決に抱いた疑念は当日記でも同じように疑問を投げかけてきた。

星氏の疑問を整理すると次のようになる。

①「軍命令」はすべて伝聞。

②「手榴弾=軍命」説。多くの住民は棍棒、鍬、鉈、鎌、小刀、縄などを自決に使用している。

③「鉄の暴風」は援護法の適用が意識される前から発刊され存在していたという事実から、隊長命令説は援護法適用のための「ねつ造」だという主張は、認められないという判断。

④裁判では「鉄の暴風」をかなり信頼して、判断基準にしたきらいがある。

⇒鉄の暴風」については、50年前の初版は誤謬が余りにも多い。

⇒「(省略)梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」(41頁)というくだりは知る人ぞ知るで、明らかな誤りだ。

⑤日本軍の駐留したところに限って集団自決はおきており、その点から推察して、軍命は間違いなくあったという決定判断。

いずれも当日記ではしつこく疑義を呈していたことだが、筆者(狼魔人)が疑義を呈することと星雅彦氏が疑義を提示することでは、その重みに天と地の差がある。

何しろ星氏は曽野綾子氏が『ある神話の背景』を発刊する二年前に渡嘉敷島で集団自決の聞き取り調査をした人物なのだ。

しかも星氏は、沖縄県史の九巻(戦争記録編)の執筆担当者の一人でもある重要人物なのだ。

その頃の沖縄はまだ日本に返還されておらず、米軍統治下でドルが通貨として通用し、道路は車が右側を左ハンドルで(国産車も)で走っていた時代。

例えば④の「梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」というくだりは、最近では誰も触れる人はいない。

だが、沖縄タイムスは人の生死にかかわる記事をウワサのみで記述した『鉄の暴風』を、初版(1950年)以来実に30年もの間事実誤認のまま発刊し続けた。

それが「事実誤認」として削除されるのは、やっと1980年の改訂版になってからである。

この「誤記」をした『鉄の暴風』の執筆者の太田良博氏は、誤記をした理由を、「誤記削除」後の1986念8月15日付「沖縄タイムス」で次のように弁明している。

梅澤隊長の消息については、あの「誤記」のような説明を私はうけたのである。・・・・・「誤記」のようなウワサがあったようである

何と呆れる開き直りではないか。

『鉄の暴風』の執筆者は「(梅澤少佐のごときは・・・といった)ウワサがあった」ので、そのままウワサ話を記述したことになる。

太田良博氏の弁明は「(「鉄の暴風」のデタラメな記述は)ウワサだったが当時は仕方なかった」という論旨で開き直っている。

早い時期に、自ら現地の聞き取り調査をした星氏が指摘するまでもなく、『鉄の暴風』の記述は一事が万事で「噂話の収集本」であり、星氏のような実情を知る人にとって、裁判長が『鉄の暴風』に資料的価値を認める意味が不可解であろう。

もっとも深見裁判長にしても、判決前に『鉄の暴風』の初版本を読み、さらに執筆者の太田氏が「ウワサだったが仕方なかった」と弁明する記事を見ていたら『鉄の暴風』に対する評価も大きく違っていただろう。

今からでも遅くはない。

最高裁判事は、判決を下す前に『鉄の暴風』の初版本と、執筆者・太田良博氏の同書へ「ウワサ話」を記述した弁明文をあわせて是非とも読んで欲しいものである。

被告側弁護団が構築した論拠は、すべてこの『ウワサ話の収集本』から出発していることが分かるだろう。

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3 コメント

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Unknown (涼太)
2009-01-21 00:29:18
狼魔人様

先日は重複コメント大変失礼しました。

裁判で、大江健三郎氏は「「鉄の暴風」を読んで書いた。訴えるなら、「鉄の暴風」を訴えるのが筋。」と逃げ、「鉄の暴風」の太田氏は「ウワサだったが当時は仕方なかった。」と言う。
こんなスタンスで報道されたら、もうマスメディアの価値はないと思います。報道はあくまで真実に基づくべきです。南京、慰安婦問題などでも朝日新聞が同じようなコメントをしていますが、メディアが自らの使命を放棄しているとしか思えません。大阪高裁の判決も「隊長が自決を命じたとは言えないが、真実と信じる理由があった。」と名誉毀損を退けていますが、著作者自身が「ウワサだった。」という、「鉄の暴風」に「真実と信じる理由があった。」とも思えません。
Unknown (狼魔人)
2009-01-21 15:01:30

涼太さん

著者自身がウワサ話を書いたと正直に白状している沖縄タイムス記事、公開を求める声がありますので、明日のエントリーで紹介します。

著者自身が「当時は事実を確かめる余裕はなかった」と言っています。

裁判長に見て欲しい記事です。
Unknown (ni0615)
2009-01-29 13:06:04
狼魔人さん

星雅彦さんの文章、私のサイトにリンクつけていただいてありがとうございました。

星雅彦氏の『潮』71年11月号
集団自決を追って
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/766.html#id_e5f54001

しかし、
同人誌『うらそえ文藝』13号編集後記のつまみ食いは、如何に狼魔人大尽とはいえ、いけませんなあ。

あなたが引用しなかった文章は、あなたが引用した文章と同じぐらいの長さがありましたよ。

そこで星さんは、直接命令であろうがなかろうが命令は命令なのだから大阪地裁の判決は当然である。しかしながら、疑問が残る部分は多いのでやがてそれを特集したい。

名誉毀損裁判では扱われなかった赤松隊長の「処刑命令」のほうがよっぽど罪は重く、村の指導者たちの拘わりも気になる、等が書かれていたように記憶しますが・・・・・。

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