狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「柳沢失言」 女性を敵にまわす怖さ

2007-01-31 16:51:10 | 県知事選

女性を敵にまわすと怖い!

柳沢厚生労働大臣が無謀にも虎の尾を踏んでしまった。

安倍首相の足を引っ張ってやろうと待機していたメディアにとっては絶好のネタ。 副え膳食わぬ筈は無い。

テレビワイドショーは朝から晩まで「柳沢やめろ」の大合唱。

小沢民主党代表は、辞めなければ審議拒否するという。

そこで二つの疑問。

◆先ず「柳沢発言」。

確かに批判されても仕方がない・・・が、大臣を辞めなければ行かないほどなのか。

失言もその後の対応によって責任の程度が自ずと異なる。

①本人が気が付かず指摘されて初めて知った場合。

②本人が気が付いている場合。

さらに①の場合も失言を撤回しなかったら確信犯となる。

柳沢大臣の場合は②のケースで、それもい失言直後、表現が適当でない事に気がつき途中で訂正、謝罪している。

その後も公式に何度も謝罪をしている。

してみると失言の分類上は程度の軽いものという見方も出来る。

一方、一番重大な失言は、本人が意識して発言し、しかも指摘されても開き直って訂正も謝罪もない場合だ。

だが柳沢大臣の場合、失言の種類で他と大きく違うところが一つある。

それは、

女性を敵にまわした・・・。

この一言に尽きる。

今朝のみのもんた「朝ズバ!」も女性議員を朝からゲストに呼んで「柳沢、やめろ!」を連発している。

参院選挙を睨んだら、女性票に媚びて安倍首相自ら柳沢大臣に引導を渡せば安倍人気が回復するかも知れない。(田中真紀子外相に引導を渡した小泉首相の例)

だが、柳沢失言は本来大臣の首を取るほどの失言ではない。

◆次に失言を盾に審議拒否って?

いやしくも国会議員たるもの「審議すること」が仕事ではなかったのか。

これを拒否する事は、民間会社なら「職務拒否」にあたり首になっても文句が言えないはずだ。

小沢党首よ、議員を辞める覚悟で審議拒否を煽っているのか。

でも、・・・やはり女は怖い!

その怖さについては、

◆参考:女性を敵に廻すことは・・・・

 【付記】8:15

「愛する祖国 日本」さんからの孫引きで、「柳沢機械発言」の比喩についての加藤重彦氏の文を下記引用。

あなたは植物、私は天気? - 日本語の「比喩」表現を考えるく - 加藤 重広【週刊読書人】(2006年11月3日号)

籾山 洋介著
日本語は人間をどう見ているか

 あなたは植物です。それから、私は天気です。などと言われたらどうお感じになるだろうか。

 もちろん言うまでもなく、あなたもわたしも人間だから、「植物」や「天気」などではない。ばかげたことを言わないでほしいという反応が大半かもしれない。

 しかし、「あなたは芽が出るまでずいぶん時間がかかりましたね」とか、「あなたも遅咲きだけれど、やっと花が開いてよかったね」とか、「長年の努力がやっと実を結びましたね」などという言い方を耳にしたことはあると思う。この場合、あなたは「芽が出る植物」であり、あなたは「花が咲く植物」なのである。

 「あなたの努力が実を結ぶ」ことや、「アイディアが枯れる」ことだってあるわけである。

 私は「お天気屋」で、すぐ表情が「くもる」ことがあるし、ひいきの東京ヤクルトスワローズが快勝して「晴れ晴れ」とした気分になることもある。なるほど、私は「天気」なのかもしれないな、と思ってしまう。

 実は、これらの例は、籾山洋介著『日本語は人間をどう見ているか』(研究社)で取り上げられているものである。この本では、日本語では人間を何に「たとえて」見ているかという点について、植物・鳥・天気・機械・想像上の存在などタイプごとに章をたてて、文学作品などの実例を示しながら説明している。同業者としてシャッポを脱いでしまうのは、専門用語を一切使わずに書いてあることだ。これは逆に豊富な専門知識の裏打ちがなければとてもできない芸当だと思う。

 「学校を卒業する」ことを「まなびやを巣立つ」ということがあるが、確かに「巣立つ」ものは「鳥」だ。私もずいぶん昔に学校を出て社会にはばたいたつもりなのだが、未だに低空飛行のままだから、ツバメのように速く遠くまで飛べる鳥ではないようだ。昔は「金の卵」ともてはやされたお父さんだって、卵がかえってみれば、金のガチョウではなく、ふつうのアヒルだったということも珍しくないだろう。

 人間が機械だと言われると、少々面食らってしまうけれど、ひいきの選手が「故障」することはあるし、故障しないまでも調子が悪くて「ブレーキ」になることはある。昔は「社会の歯車」などと言われたが、いまならリストラされないだけましと腹をくくるべきだろうか。私も、ときどき深酒が過ぎて「こわれる」ことがあるし、ひどいことを言われて「へこむ」こともあるけれど、組織のいいなりの「ロボット」にはならないつもりだ。なるほど、人間も表現上は「機械」扱いされることがあるとよくわかる。

 私たちは、日常的にこのような「たとえ」をよく使う。全く使わない日はないというほどよく使う。しかし、立ち止まって考えてみることはあまりないものだ。「たとえ」とは「比喩」、専門的には「隠喩」と呼ばれるものである。近年、私たちがことばを通じて身の回りの世界を捉えるときに、比喩が重要な役割をしていることがわかってきた。もちろん、日本語だけでなく、英語も中国語もイタリア語もアラビア語も比喩のしくみは持っている。どの言語にも見られる比喩もあるが、逆に決まった言語にしかない比喩もあるだろう。いろいろな言語の比喩をくらべたら面白いだろうし、日本各地の方言の微妙な違いも調べたら面白いだろう、と読んでいてどんどん夢がふくらんでしまった。普段の自分のことばにどんな見方が隠れているのかを考えてみるのも悪くない。

(かとう・しげひろ氏=北海道大学大学院助教授・言語学専攻)

★もみやま・ようすけ氏は名古屋大学教授。東大大学院博士課程中退。著書に「認知意味論のしくみ」「認知意味論」「よくわかる言語学入門」「日本語意味と文法の風景」(共著)など。一九六一(昭和36)年生。

                   ◇

 ━━━━━━━━━━
中国残留孤児訴訟判決
━━━━━━━━━━


                        石岡荘十

 主文

「原告らの請求をいずれも棄却する」

中国残留孤児(原告40人)が国を相手取って起こしていた損害賠償事
件に対する東京地裁の判決である。

中国残留孤児による訴訟は、全国15ヶ所。原告は残留孤児2500人の9割、
合わせて2200人。これまで、昨年夏の大阪地裁判決、原告敗訴、控訴。
先月1日神戸地裁、原告勝訴、国が控訴。 1勝1敗で、東京での判決が注
目されていた。

主文朗読直後、「不当判決」の速報を聞いて、法廷に入りきれず裁判所
前で待っていた原告や支援者の間から悲鳴にも似た声が上がった。

103号法廷では、主文に続いて理由の朗読があったが、それは一瞬わが耳
を疑う文言の連発だった。

原告の主張は「満州国の建国、国策としての大量移民政策、ソ連軍の侵
攻、関東軍による“棄民”が孤児を生んだ。日中国交回復後も早期帰国
をさせる義務を国は怠った。帰国後も十分な自立支援を怠った」という
ものだ。

先月の神戸地裁判決は、ほぼこの主張を受け入れて賠償を命じただけで
なく、早期帰国促進を怠ったという理由での賠償支払請求にも応えた。

ところが、東京地裁の加藤謙一裁判長の判断はこうだ。

例えば、

満州国の建国(昭和7年)と原告が孤児になったという事実の間には
(15年5ヶ月という期間が経過しているので)法的な因果関係がある
と断定することには躊躇を感じる」

「数十万の日本人を、どの時期にどのように避難させるべきだったとい
う具体的な主張がない」

数十万人を一斉に避難させることなんて無理だった。そんな無理なこと
を言うなら、例えばこうやって避難をさせるべきだったと具体的に主張
しろ、と裁判長は求めている。誰がやっても無理だったのだから、だれ
にも責任はないそうだ。

「関東軍はソ連軍の侵攻で敗走したのは事実だが、軍は軍隊組織を維持
することが最優先事項だから、民間人の保護を期待することは不可能で
ある。従って、関東軍の行動が原因となって民間人の犠牲を増やしたと
はいえない」

日中国交回復後も

「孤児を1人ひとり探し出して、養父母を説得し、帰国させることは現実
的には無理」

だから、仕方がなかった。そもそも

「旧憲法下における国の国家政策を、現行憲法の国家観・価値観で評価
して法的判断することは差し控えるべきだ」

そんな昔の古証文を今頃持ち出されても-----と言う。

「国に早期帰国実現義務があるとは言えない。

国に孤児の自立を支援する義務もあるとはいえない。(これは)人道上
必要かつ実行可能なものとして考えられる」

お情けで支援しているのだから文句を言うなというわけだ。

そして、

「国家賠償法は現行憲法が施行された後である昭和22年10月の施行
で、原告の被害はそれ以前に受けたものだし、確かに原告が受けた被害
は特殊な形の被害だが、国民がひとしく受忍しなければならない程度を
超えてはいない」
みんないろいろ大変だったのだから、特別扱いはできない、と切り捨て
ている。中国残留孤児の帰国事業は、国交回復後も9年も経った81年
だった。

しかし判決は「日中国交回復後の両国の外交交渉については司法判断の
対象となるかどうかは疑問だが------」と逃げ、神戸判決が認めた「帰
国促進を怠ったという」判断についても「日本政府の帰国妨害があった
との主張を認める証拠はない」としている。

原告の1人は、「こんな裁判官が日本にいるなんて、恥ずかしい」と悔し
涙を流していた。

判決後安倍総理は、判決とは別に中国残留孤児の支援対策を見直すよう、
厚生労働省に指示したと語った。

今年前半、徳島、広島、高知でも判決が出る。(20070130)

 

━━━━━━━━━━━
首相が孤児支援策を指示
━━━━━━━━━━━


残留孤児の支援策拡充へ 政府、新たな給付金検討

安倍首相は30日、日本に永住帰国した中国残留孤児が国に賠償を求め
ている問題に関し、「いままでも支援してきたが支援の仕方を含め、や
はり不十分なところがある。誠意をもって対応するよう、与党とも相談
するよう厚労大臣に指示を出した」と語り、政府・与党で残留孤児の支
援策の拡充を検討する考えを明らかにした。首相官邸で記者団に語った。

30日の東京地裁の判決では国が勝訴したが、首相は「法律問題や裁判の
結果は別」と強調。高齢化する残留孤児への給付金制度創設を求めてき
た与党の意向も踏まえ、首相としても前向きな姿勢を示したものだ。

ただ、首相は具体的な支援策には触れず、「高齢で日本語が不自由な中
で、仕事を持つといっても大変な困難があることも勘案をしていかなけ
ればならない。きめ細かな対応が大切だろう」と述べるにとどめた。

与党の「中国残留邦人支援に関するプロジェクトチーム(PT)」は、
 (1)60歳に達した翌月から単身者には月額13万円支給

 (2)配偶者加算として5万円支給などを柱とする新たな給付金制度
の創設を提案している。

首相の指示を受け、政府・与党は今後、法案提出の可能性を検討する。

ただ、政府はこれまで戦争被害者であっても、生活が苦しい場合には生
活保護で対応している。厚生労働省は中国残留孤児を特別視すれば、シ
ベリア抑留者や空襲被害者などへの支援とのバランスを欠くとして政府
案提出に難色を示している。

政府は新年度予算案で従来の帰国支援や肉親調査に加え、孤児や子供、
孫の日本語教育や就労支援、生活相談を強化することを盛り込んでいる。
しかし、与党が求める給付金制度を創設するには新たな法整備が必要だ。

首相は新たな法整備については「法律で処置をするのであれば、そのよ
うなことも考えなければいけない。しかし、実際に残留孤児の方々が生
活する上で、きめ細かな対応になっていくことが大切だろう」と語った。
(Asahi Com 2007年01月30日22時09分)

渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第697
              平成19(2007)年01月31日(水)

 


 

コメント

消え行く「無礼講」 酒席の暴言で降格は適法

2007-01-31 11:27:44 | 県知事選

 「無礼講」と言う言葉が酒席から消えつつある。

30日札幌高裁が「酒席の暴言で降格は適法」という判決を出したのだ。

今までのように酔った勢いでの「無礼講」を享受する訳には行かなくなった。

日経コラムが忘年会をはじめ酒席についてのウンチクを傾けていた。

春秋(12/10)

 酒飲みは酒の理由など必要としないとはいえ、飲む名目があるに越したことはない。で、左党が楽しみな忘年会の季節だ。先ごろ刊行された園田英弘著『忘年会』によると、文献に残る最古の忘年会、1430年12月の連歌会も「酒盛り乱舞に及」んでいる。

▼以来450年を経て明治20年代に現代の忘年会の特色を備えた「近代忘年会」が確立されるが、その本質を当時の言葉で表すと「充分(じゅうぶん)に飲み無礼講と云(い)う無茶苦茶主義を執り、充分に愉快を尽くす」ことにあるという。やがて無茶苦茶主義は1980年代半ばから衰退が始まり……と『忘年会』の分析は進む。

▼街中で酔いつぶれた人を収容する警察の施設には署に設けた保護室と、トラ箱と呼ばれる専用の保護センターがあり、全国合わせて約1140カ所を数える。ご厄介になった酔いどれの数をここ10年で見ると、99年を底に増加に転じて昨年は6万8500人余り、6年間に34%も増えた。

▼無茶苦茶主義が衰退に向かう前の70年代後半に比べれば、例えば東京都内では泥酔保護者数は3分の1程度だから、まだ心配する事態ではないけれど、無茶苦茶主義が息を吹き返してきたかと気掛かりでもある。『史記』にいわく「酒極まれば則(すなわ)ち乱れ、楽しみ極まれば則ち悲し」。何事もほどほどがよろしい。

                 ◇ 

◆古来「無礼講」は「抵抗勢力抹殺の手段」であった。

常日頃ワンマン的な言動で知られる部長が乾杯の音頭を取った。

「諸君は真面目すぎて会議の時はあまり自分の意見を述べない」。

「それでは有能な諸君の意見が宝の持ち腐れになる。 これは会社にとって大きな損失だ」。

社員親睦会の二次会の席だった。

そろそろ酔いが回り始めた一同だったがこのワンマン部長の話を緊張して聞き入った。

誰もこの人には睨まれたくはなかった。

しかしこの男の次の言葉でその場の緊張が解け始めた。

「こう言う親睦会の席でも遠慮せず日頃の意見をドンドン言って欲しい」。

「私は諸君が思う以上に人の話を聞く耳を持っている」。

「さー飲みたまえ。 今夜は上司も部下もない」。

「無礼講だ!」。

それから酒が進み座が乱れて来た。

色んな意見が飛び交った。

この会社にしては近年見たことの無い活気が会場に漲っていた。

部長は本音で真剣に意見を吐く社員に頷きながら時々手帳に何かをメモした。

手帳には熱く意見を吐いた社員の名が列記されていた。

そしてその添え書きに「無礼講」・・いや「無礼者」と書かれていた。

その月の人事異動で手帳の「無礼者」達が閑職へ左遷されたのは言うまでも無い。

                    *

酒席の暴言で降格は適法 「節度必要」と札幌高裁

 酒席で上司を批判したことで管理職から4階級降格となった処分が適法かが争われた裁判で、降格された北海道滝川市の空知土地改良区元総務部長の男性(58)が30日までに、逆転敗訴を言い渡した札幌高裁判決を不服として上告した。1審判決は「降格は裁量権の逸脱」として地位確認を求めた元部長の請求を認めたが、2審で札幌高裁は「管理職は酒席でも節度ある言動が必要」として、1審判決を取り消していた。

 今月19日の高裁判決によると、男性は総務部長だった2004年7月と8月、職場の懇親会で上司の理事らに「あんたは世間からどうにもならんやつだと言われている」「おまえなんか理事を辞めろ」などと発言。同年12月、管理係長への4階級降格処分を受けた。 (共同) (2007年01月30日 16時47分)
 

                   ◇

古来「無礼講」は敵対勢力あぶり出しの手段だった・・・・【百家斉放】

その時空はあくまで青く澄み切っていた。

1949年10月1日、中華人民共和国の建国の日だった。

広場に集まった大群衆は静まり返ってその人の第一声を待った。

「我々は平和と自由を愛する世界諸民族の一員となり、民主と平和そして統一の為に奮闘する」。

毛沢東は群集で埋まった天安門広場において、「中国の自由と民主、平和、統一のために奮闘する」ことを宣言したのだ。

あまり知られてはいないことだが 中国憲法の第35条には、「中華人民共和国公民は言論、出版、集会、結社、行進、デモの自由を有する」と明確に規定されている。(日本 と 中国 の 言論空 間

中国における「民主、自由」は、公式には建国の時から、立派に存在していた。

しかし実際は建国の英雄毛沢東に反対の意見を述べる自由も民主も存在しなかった。

毛沢東は革命遂行にあたって「内部矛盾」という問題を特に重視した。

そして「無礼講作戦」を密かに練った。

彼はこの必殺技を「百家斉放運動」と称して知識人達を煽った。

革命の進め方について広く知識人たちに意見を求め、その中から「内部矛盾」と「敵性矛盾」をえり分け、敵対勢力にレッテルを貼り、それらに総攻撃を加えるという手法である。

この必殺技に炙り出された敵対勢力は一斉に粛清された。

新しい中国の建国の父であった毛沢東自身、「百家斉放」とか「造反有理」とか口では良いことを言ったが、実際には、毛沢東思想に反する人々を全ての人々を「整風」の名の下に粛清してきた。

その被害者の1人が小平である。

しかしその小平自身も権力の座についたとき、今度は、民主・自由を叫ぶ数千人の非武装の学生・市民の男女を無差別に射殺し、戦車でひき殺した。

そう、現在の中国においても自由と民主と言う美名の下に行う「無礼講」と言う「反対勢力あぶり出し作戦」は生きている。

                   *

◆【反対勢力の炙りだし】ー小泉首相の必殺技

小泉自民党の昨年の郵政民営化騒動を振り返ると、中国で1950年代に起きた百家斉放運動を思い出さざるを得ない。

小泉自民党はまさに50年近く前の中国共産党の奪権闘争に重なる。

自民党のマニフェストが言うように郵政民営化を実現することで、規制緩和を含め多くの構造改革が進展する素地が生まれそうな気配だ。

小泉にとって郵政民営化問題は目的ではなく、抵抗勢力を自民党から切り離す手法の一つだったのだ。

自民党が自民党であり得たのは、まず政権の座にいて、官界と財界と鉄のトライアングルを組んで、利権の采配者として君臨していたからだった。

小泉首相の第一の功績はその利権の中核派閥だった橋本派を崩壊に導いたことである。

派閥を牛耳った野中広務は政界を引退し、かつての首相だった中曽根康弘と宮沢喜一には小泉自ら切腹を命じた。

そして橋本龍太郎元首相にも切腹を命じた。

最後の抵抗勢力である亀井静香の首を取ればもはや小泉の天下となる。

そう、「郵政民営化」は反対勢力を炙り出す小泉の「無礼講」作戦だった。

コメント

続・「長崎の鐘」 寿命について

2007-01-31 08:11:25 | 県知事選
昨年テレビで大騒ぎをした「がけっぷち犬」、保護された直後から「引き取りたい」という申し出が全国から100件以上寄せられましたと言う。

抽選の結果、新しい飼い主が決まったが、この犬には姉妹犬がいた。

ところがテレビで騒がれなかった姉妹犬には引き取り手はいないという。

年間数万匹の犬が保健所で引き取り手もなく処理されていると言う。

何時の時代もメディアに騒がれると同じ境遇の姉妹犬でも世間の認知はかくも違うももの。

昨日のエントリーで扱った「長崎の鐘」の主人公永井博士はマッカーサーの意に沿った為超有名人になった。

だが同じく長崎で被爆を受けた医師で被爆者の治療に専念した秋月医師のことを知る人は少ない。

                   ◇


二年前の10月20日、長崎原爆被爆者の秋月辰一郎氏が89歳で静かに域を引き取った。

秋月さんは医師で1940年8月9日長崎の浦上病院で被爆した。
被爆体験者の医師として患者を診たり体験記を綴って平和運動にも貢献した。

「長崎の鐘」で触れた永井博士とイメージが重なるが、それもそのはず秋月は永井博士の教え子になるという。(永井より11歳若い)

ここで取り上げる理由は「長崎の鐘」の蒸し返しではない。
人間の寿命について感想を述べてみたい。

秋月さんは原爆被爆という不幸で悲惨な体験にも関わらず89歳という高齢まで生きた。
非被爆者でも高寿命であろう。

戦後生まれで食糧不足も知らずに育ち、挙句の果て飽食の罰が当たって「生活習慣病」で早死にするヤツがたくさんいるというのに。

秋月さんは永井博士の教え子で同じ被爆と言う体験をしていながら「原爆投下」に対しては永井とは異なる考えをもっていた。

永井博士が原爆投下に対して神の「試練」として受け入れた事に反論した。

秋月さんに関するブログから下記に引用。

≪私は、永井先生の「神は、天主は浦上の人を愛しているがゆえに浦上に原爆を落下した。浦上の人びとは天主から最も愛されているから、何度でも苦しまねばならぬ」といった考え方にはついていけないものを持っている≫

どうやら永井博士は自分の宗教観から「長崎の鐘」で述べたより更に一歩進んで「原爆投下は神燔祭(はんさい)である」と述べていたようだ。

神燔祭(はんさい)は「犠牲の動物を祭壇で焼き、神に捧げた儀式」と言うことらしい。

ここで一つの疑問が湧いてくる。

いくら経験なクリスチャンだったとは言ってもここまで寛容の気持になれるものか。

永井博士に関する検索をしてみたら次のような事実が判った。

1945年原爆投下日より二ヶ月前の6月に、永井博士は既に「死の宣告」を受けていた。

母校の長崎医大病院で白血病が判明し 余命3年と診断されていた。

医学的意味は良く判らないが「白血球10万8千(正常値7千)赤血球300万(正常値500万)」と言う記録が残っている。

その6年後の1951年5月、永井は43歳で逝去するが、その時「白血球値は39万」と記録にある。

被爆の僅か二ヶ月前に当時としては不治の病と言われた「白血病で余命3年」と診断された。

その時点で白血病と言う当時としてはいわば死刑宣言に、永井医学博士は、既に自分の死は予感していた。

それゆえ原爆投下という稀有の体験をしても全てを受け入れていたのではないか。

一方同じ被爆を受けながら、1人の医者は被爆後89歳の高齢まで生きた。

そして同じ日に被爆死ながら、もう1人の医者は「余命三年の不治の病の宣告」後、6年生きた。

ただ原爆投下した者を恨まない懺悔の気持ちが、マッカーサーの意図に合致した為例外的に原爆関連の出版を認められ悲劇の主人公に祭り上げられた。

戦後生まれの何の不自由も無く育った者は、暴飲暴食の挙句早死にする。

人間の寿命は死んで初めて判る。

当たり前のことだが・・・。

              
コメント