女性を敵にまわすと怖い!
柳沢厚生労働大臣が無謀にも虎の尾を踏んでしまった。
安倍首相の足を引っ張ってやろうと待機していたメディアにとっては絶好のネタ。 副え膳食わぬ筈は無い。
テレビワイドショーは朝から晩まで「柳沢やめろ」の大合唱。
小沢民主党代表は、辞めなければ審議拒否するという。
そこで二つの疑問。
◆先ず「柳沢発言」。
確かに批判されても仕方がない・・・が、大臣を辞めなければ行かないほどなのか。
失言もその後の対応によって責任の程度が自ずと異なる。
①本人が気が付かず指摘されて初めて知った場合。
②本人が気が付いている場合。
さらに①の場合も失言を撤回しなかったら確信犯となる。
柳沢大臣の場合は②のケースで、それもい失言直後、表現が適当でない事に気がつき途中で訂正、謝罪している。
その後も公式に何度も謝罪をしている。
してみると失言の分類上は程度の軽いものという見方も出来る。
一方、一番重大な失言は、本人が意識して発言し、しかも指摘されても開き直って訂正も謝罪もない場合だ。
だが柳沢大臣の場合、失言の種類で他と大きく違うところが一つある。
それは、
女性を敵にまわした・・・。
この一言に尽きる。
今朝のみのもんた「朝ズバ!」も女性議員を朝からゲストに呼んで「柳沢、やめろ!」を連発している。
参院選挙を睨んだら、女性票に媚びて安倍首相自ら柳沢大臣に引導を渡せば安倍人気が回復するかも知れない。(田中真紀子外相に引導を渡した小泉首相の例)
だが、柳沢失言は本来大臣の首を取るほどの失言ではない。
◆次に失言を盾に審議拒否って?
いやしくも国会議員たるもの「審議すること」が仕事ではなかったのか。
これを拒否する事は、民間会社なら「職務拒否」にあたり首になっても文句が言えないはずだ。
小沢党首よ、議員を辞める覚悟で審議拒否を煽っているのか。
でも、・・・やはり女は怖い!
その怖さについては、
◆参考:女性を敵に廻すことは・・・・
【付記】8:15
「愛する祖国 日本」さんからの孫引きで、「柳沢機械発言」の比喩についての加藤重彦氏の文を下記引用。
籾山 洋介著
日本語は人間をどう見ているか
あなたは植物です。それから、私は天気です。などと言われたらどうお感じになるだろうか。
もちろん言うまでもなく、あなたもわたしも人間だから、「植物」や「天気」などではない。ばかげたことを言わないでほしいという反応が大半かもしれない。
しかし、「あなたは芽が出るまでずいぶん時間がかかりましたね」とか、「あなたも遅咲きだけれど、やっと花が開いてよかったね」とか、「長年の努力がやっと実を結びましたね」などという言い方を耳にしたことはあると思う。この場合、あなたは「芽が出る植物」であり、あなたは「花が咲く植物」なのである。
「あなたの努力が実を結ぶ」ことや、「アイディアが枯れる」ことだってあるわけである。
私は「お天気屋」で、すぐ表情が「くもる」ことがあるし、ひいきの東京ヤクルトスワローズが快勝して「晴れ晴れ」とした気分になることもある。なるほど、私は「天気」なのかもしれないな、と思ってしまう。
実は、これらの例は、籾山洋介著『日本語は人間をどう見ているか』(研究社)で取り上げられているものである。この本では、日本語では人間を何に「たとえて」見ているかという点について、植物・鳥・天気・機械・想像上の存在などタイプごとに章をたてて、文学作品などの実例を示しながら説明している。同業者としてシャッポを脱いでしまうのは、専門用語を一切使わずに書いてあることだ。これは逆に豊富な専門知識の裏打ちがなければとてもできない芸当だと思う。
「学校を卒業する」ことを「まなびやを巣立つ」ということがあるが、確かに「巣立つ」ものは「鳥」だ。私もずいぶん昔に学校を出て社会にはばたいたつもりなのだが、未だに低空飛行のままだから、ツバメのように速く遠くまで飛べる鳥ではないようだ。昔は「金の卵」ともてはやされたお父さんだって、卵がかえってみれば、金のガチョウではなく、ふつうのアヒルだったということも珍しくないだろう。
人間が機械だと言われると、少々面食らってしまうけれど、ひいきの選手が「故障」することはあるし、故障しないまでも調子が悪くて「ブレーキ」になることはある。昔は「社会の歯車」などと言われたが、いまならリストラされないだけましと腹をくくるべきだろうか。私も、ときどき深酒が過ぎて「こわれる」ことがあるし、ひどいことを言われて「へこむ」こともあるけれど、組織のいいなりの「ロボット」にはならないつもりだ。なるほど、人間も表現上は「機械」扱いされることがあるとよくわかる。
私たちは、日常的にこのような「たとえ」をよく使う。全く使わない日はないというほどよく使う。しかし、立ち止まって考えてみることはあまりないものだ。「たとえ」とは「比喩」、専門的には「隠喩」と呼ばれるものである。近年、私たちがことばを通じて身の回りの世界を捉えるときに、比喩が重要な役割をしていることがわかってきた。もちろん、日本語だけでなく、英語も中国語もイタリア語もアラビア語も比喩のしくみは持っている。どの言語にも見られる比喩もあるが、逆に決まった言語にしかない比喩もあるだろう。いろいろな言語の比喩をくらべたら面白いだろうし、日本各地の方言の微妙な違いも調べたら面白いだろう、と読んでいてどんどん夢がふくらんでしまった。普段の自分のことばにどんな見方が隠れているのかを考えてみるのも悪くない。
(かとう・しげひろ氏=北海道大学大学院助教授・言語学専攻)
★もみやま・ようすけ氏は名古屋大学教授。東大大学院博士課程中退。著書に「認知意味論のしくみ」「認知意味論」「よくわかる言語学入門」「日本語意味と文法の風景」(共著)など。一九六一(昭和36)年生。
◇
━━━━━━━━━━
中国残留孤児訴訟判決
━━━━━━━━━━
石岡荘十
主文
「原告らの請求をいずれも棄却する」
中国残留孤児(原告40人)が国を相手取って起こしていた損害賠償事
件に対する東京地裁の判決である。
中国残留孤児による訴訟は、全国15ヶ所。原告は残留孤児2500人の9割、
合わせて2200人。これまで、昨年夏の大阪地裁判決、原告敗訴、控訴。
先月1日神戸地裁、原告勝訴、国が控訴。 1勝1敗で、東京での判決が注
目されていた。
主文朗読直後、「不当判決」の速報を聞いて、法廷に入りきれず裁判所
前で待っていた原告や支援者の間から悲鳴にも似た声が上がった。
103号法廷では、主文に続いて理由の朗読があったが、それは一瞬わが耳
を疑う文言の連発だった。
原告の主張は「満州国の建国、国策としての大量移民政策、ソ連軍の侵
攻、関東軍による“棄民”が孤児を生んだ。日中国交回復後も早期帰国
をさせる義務を国は怠った。帰国後も十分な自立支援を怠った」という
ものだ。
先月の神戸地裁判決は、ほぼこの主張を受け入れて賠償を命じただけで
なく、早期帰国促進を怠ったという理由での賠償支払請求にも応えた。
ところが、東京地裁の加藤謙一裁判長の判断はこうだ。
例えば、
「
満州国の建国(昭和7年)と原告が孤児になったという事実の間には
(15年5ヶ月という期間が経過しているので)法的な因果関係がある
と断定することには躊躇を感じる」
「数十万の日本人を、どの時期にどのように避難させるべきだったとい
う具体的な主張がない」
数十万人を一斉に避難させることなんて無理だった。そんな無理なこと
を言うなら、例えばこうやって避難をさせるべきだったと具体的に主張
しろ、と裁判長は求めている。誰がやっても無理だったのだから、だれ
にも責任はないそうだ。
「関東軍はソ連軍の侵攻で敗走したのは事実だが、軍は軍隊組織を維持
することが最優先事項だから、民間人の保護を期待することは不可能で
ある。従って、関東軍の行動が原因となって民間人の犠牲を増やしたと
はいえない」
日中国交回復後も
「孤児を1人ひとり探し出して、養父母を説得し、帰国させることは現実
的には無理」
だから、仕方がなかった。そもそも
「旧憲法下における国の国家政策を、現行憲法の国家観・価値観で評価
して法的判断することは差し控えるべきだ」
そんな昔の古証文を今頃持ち出されても-----と言う。
「国に早期帰国実現義務があるとは言えない。
国に孤児の自立を支援する義務もあるとはいえない。(これは)人道上
必要かつ実行可能なものとして考えられる」
お情けで支援しているのだから文句を言うなというわけだ。
そして、
「国家賠償法は現行憲法が施行された後である昭和22年10月の施行
で、原告の被害はそれ以前に受けたものだし、確かに原告が受けた被害
は特殊な形の被害だが、国民がひとしく受忍しなければならない程度を
超えてはいない」
みんないろいろ大変だったのだから、特別扱いはできない、と切り捨て
ている。中国残留孤児の帰国事業は、国交回復後も9年も経った81年
だった。
しかし判決は「日中国交回復後の両国の外交交渉については司法判断の
対象となるかどうかは疑問だが------」と逃げ、神戸判決が認めた「帰
国促進を怠ったという」判断についても「日本政府の帰国妨害があった
との主張を認める証拠はない」としている。
原告の1人は、「こんな裁判官が日本にいるなんて、恥ずかしい」と悔し
涙を流していた。
判決後安倍総理は、判決とは別に中国残留孤児の支援対策を見直すよう、
厚生労働省に指示したと語った。
今年前半、徳島、広島、高知でも判決が出る。(20070130)
━━━━━━━━━━━
首相が孤児支援策を指示
━━━━━━━━━━━
残留孤児の支援策拡充へ 政府、新たな給付金検討
安倍首相は30日、日本に永住帰国した中国残留孤児が国に賠償を求め
ている問題に関し、「いままでも支援してきたが支援の仕方を含め、や
はり不十分なところがある。誠意をもって対応するよう、与党とも相談
するよう厚労大臣に指示を出した」と語り、政府・与党で残留孤児の支
援策の拡充を検討する考えを明らかにした。首相官邸で記者団に語った。
30日の東京地裁の判決では国が勝訴したが、首相は「法律問題や裁判の
結果は別」と強調。高齢化する残留孤児への給付金制度創設を求めてき
た与党の意向も踏まえ、首相としても前向きな姿勢を示したものだ。
ただ、首相は具体的な支援策には触れず、「高齢で日本語が不自由な中
で、仕事を持つといっても大変な困難があることも勘案をしていかなけ
ればならない。きめ細かな対応が大切だろう」と述べるにとどめた。
与党の「中国残留邦人支援に関するプロジェクトチーム(PT)」は、
(1)60歳に達した翌月から単身者には月額13万円支給
(2)配偶者加算として5万円支給などを柱とする新たな給付金制度
の創設を提案している。
首相の指示を受け、政府・与党は今後、法案提出の可能性を検討する。
ただ、政府はこれまで戦争被害者であっても、生活が苦しい場合には生
活保護で対応している。厚生労働省は中国残留孤児を特別視すれば、シ
ベリア抑留者や空襲被害者などへの支援とのバランスを欠くとして政府
案提出に難色を示している。
政府は新年度予算案で従来の帰国支援や肉親調査に加え、孤児や子供、
孫の日本語教育や就労支援、生活相談を強化することを盛り込んでいる。
しかし、与党が求める給付金制度を創設するには新たな法整備が必要だ。
首相は新たな法整備については「法律で処置をするのであれば、そのよ
うなことも考えなければいけない。しかし、実際に残留孤児の方々が生
活する上で、きめ細かな対応になっていくことが大切だろう」と語った。
(Asahi Com 2007年01月30日22時09分)
渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第697
平成19(2007)年01月31日(水)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます