狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

消え行く「無礼講」 酒席の暴言で降格は適法

2007-01-31 11:27:44 | 県知事選

 「無礼講」と言う言葉が酒席から消えつつある。

30日札幌高裁が「酒席の暴言で降格は適法」という判決を出したのだ。

今までのように酔った勢いでの「無礼講」を享受する訳には行かなくなった。

日経コラムが忘年会をはじめ酒席についてのウンチクを傾けていた。

春秋(12/10)

 酒飲みは酒の理由など必要としないとはいえ、飲む名目があるに越したことはない。で、左党が楽しみな忘年会の季節だ。先ごろ刊行された園田英弘著『忘年会』によると、文献に残る最古の忘年会、1430年12月の連歌会も「酒盛り乱舞に及」んでいる。

▼以来450年を経て明治20年代に現代の忘年会の特色を備えた「近代忘年会」が確立されるが、その本質を当時の言葉で表すと「充分(じゅうぶん)に飲み無礼講と云(い)う無茶苦茶主義を執り、充分に愉快を尽くす」ことにあるという。やがて無茶苦茶主義は1980年代半ばから衰退が始まり……と『忘年会』の分析は進む。

▼街中で酔いつぶれた人を収容する警察の施設には署に設けた保護室と、トラ箱と呼ばれる専用の保護センターがあり、全国合わせて約1140カ所を数える。ご厄介になった酔いどれの数をここ10年で見ると、99年を底に増加に転じて昨年は6万8500人余り、6年間に34%も増えた。

▼無茶苦茶主義が衰退に向かう前の70年代後半に比べれば、例えば東京都内では泥酔保護者数は3分の1程度だから、まだ心配する事態ではないけれど、無茶苦茶主義が息を吹き返してきたかと気掛かりでもある。『史記』にいわく「酒極まれば則(すなわ)ち乱れ、楽しみ極まれば則ち悲し」。何事もほどほどがよろしい。

                 ◇ 

◆古来「無礼講」は「抵抗勢力抹殺の手段」であった。

常日頃ワンマン的な言動で知られる部長が乾杯の音頭を取った。

「諸君は真面目すぎて会議の時はあまり自分の意見を述べない」。

「それでは有能な諸君の意見が宝の持ち腐れになる。 これは会社にとって大きな損失だ」。

社員親睦会の二次会の席だった。

そろそろ酔いが回り始めた一同だったがこのワンマン部長の話を緊張して聞き入った。

誰もこの人には睨まれたくはなかった。

しかしこの男の次の言葉でその場の緊張が解け始めた。

「こう言う親睦会の席でも遠慮せず日頃の意見をドンドン言って欲しい」。

「私は諸君が思う以上に人の話を聞く耳を持っている」。

「さー飲みたまえ。 今夜は上司も部下もない」。

「無礼講だ!」。

それから酒が進み座が乱れて来た。

色んな意見が飛び交った。

この会社にしては近年見たことの無い活気が会場に漲っていた。

部長は本音で真剣に意見を吐く社員に頷きながら時々手帳に何かをメモした。

手帳には熱く意見を吐いた社員の名が列記されていた。

そしてその添え書きに「無礼講」・・いや「無礼者」と書かれていた。

その月の人事異動で手帳の「無礼者」達が閑職へ左遷されたのは言うまでも無い。

                    *

酒席の暴言で降格は適法 「節度必要」と札幌高裁

 酒席で上司を批判したことで管理職から4階級降格となった処分が適法かが争われた裁判で、降格された北海道滝川市の空知土地改良区元総務部長の男性(58)が30日までに、逆転敗訴を言い渡した札幌高裁判決を不服として上告した。1審判決は「降格は裁量権の逸脱」として地位確認を求めた元部長の請求を認めたが、2審で札幌高裁は「管理職は酒席でも節度ある言動が必要」として、1審判決を取り消していた。

 今月19日の高裁判決によると、男性は総務部長だった2004年7月と8月、職場の懇親会で上司の理事らに「あんたは世間からどうにもならんやつだと言われている」「おまえなんか理事を辞めろ」などと発言。同年12月、管理係長への4階級降格処分を受けた。 (共同) (2007年01月30日 16時47分)
 

                   ◇

古来「無礼講」は敵対勢力あぶり出しの手段だった・・・・【百家斉放】

その時空はあくまで青く澄み切っていた。

1949年10月1日、中華人民共和国の建国の日だった。

広場に集まった大群衆は静まり返ってその人の第一声を待った。

「我々は平和と自由を愛する世界諸民族の一員となり、民主と平和そして統一の為に奮闘する」。

毛沢東は群集で埋まった天安門広場において、「中国の自由と民主、平和、統一のために奮闘する」ことを宣言したのだ。

あまり知られてはいないことだが 中国憲法の第35条には、「中華人民共和国公民は言論、出版、集会、結社、行進、デモの自由を有する」と明確に規定されている。(日本 と 中国 の 言論空 間

中国における「民主、自由」は、公式には建国の時から、立派に存在していた。

しかし実際は建国の英雄毛沢東に反対の意見を述べる自由も民主も存在しなかった。

毛沢東は革命遂行にあたって「内部矛盾」という問題を特に重視した。

そして「無礼講作戦」を密かに練った。

彼はこの必殺技を「百家斉放運動」と称して知識人達を煽った。

革命の進め方について広く知識人たちに意見を求め、その中から「内部矛盾」と「敵性矛盾」をえり分け、敵対勢力にレッテルを貼り、それらに総攻撃を加えるという手法である。

この必殺技に炙り出された敵対勢力は一斉に粛清された。

新しい中国の建国の父であった毛沢東自身、「百家斉放」とか「造反有理」とか口では良いことを言ったが、実際には、毛沢東思想に反する人々を全ての人々を「整風」の名の下に粛清してきた。

その被害者の1人が小平である。

しかしその小平自身も権力の座についたとき、今度は、民主・自由を叫ぶ数千人の非武装の学生・市民の男女を無差別に射殺し、戦車でひき殺した。

そう、現在の中国においても自由と民主と言う美名の下に行う「無礼講」と言う「反対勢力あぶり出し作戦」は生きている。

                   *

◆【反対勢力の炙りだし】ー小泉首相の必殺技

小泉自民党の昨年の郵政民営化騒動を振り返ると、中国で1950年代に起きた百家斉放運動を思い出さざるを得ない。

小泉自民党はまさに50年近く前の中国共産党の奪権闘争に重なる。

自民党のマニフェストが言うように郵政民営化を実現することで、規制緩和を含め多くの構造改革が進展する素地が生まれそうな気配だ。

小泉にとって郵政民営化問題は目的ではなく、抵抗勢力を自民党から切り離す手法の一つだったのだ。

自民党が自民党であり得たのは、まず政権の座にいて、官界と財界と鉄のトライアングルを組んで、利権の采配者として君臨していたからだった。

小泉首相の第一の功績はその利権の中核派閥だった橋本派を崩壊に導いたことである。

派閥を牛耳った野中広務は政界を引退し、かつての首相だった中曽根康弘と宮沢喜一には小泉自ら切腹を命じた。

そして橋本龍太郎元首相にも切腹を命じた。

最後の抵抗勢力である亀井静香の首を取ればもはや小泉の天下となる。

そう、「郵政民営化」は反対勢力を炙り出す小泉の「無礼講」作戦だった。

コメント    この記事についてブログを書く
« 続・「長崎の鐘」 寿命について | トップ | 「柳沢失言」 女性を敵にま... »

コメントを投稿