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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

消えた友好会館 沖縄と中国

2006-04-16 11:37:30 | 未分類

「友好」という文字が付くと何でも友好的に考えるのはごく普通の感覚。 

日中平和友好条約、日中友好協会等と中国に関連するものに多い。

そういえば一寸前まで沖縄の新聞やテレビでよく話題になった「沖縄福建友好会館」の噂を最近聞かなくなった。http://www.pref.okinawa.jp/98/kouhouka/wa9809/zoomup.html

何処へ消えたか上海帰りのリル、・・じゃなく、友好会館。

沖縄と福建の友好のシンボル「沖縄福建友好会館」が何処かへ消えてしまったのか。

東シナ海に浮かぶ蜃気楼のことを話しているのではない。

沖縄と福建の長い交流の歴史に感謝の気持ちを表す為という趣旨は耳に心地よい。

しかい、その友好のシンボルが消えてしまったとなると話が違ってくる。

巨額の工費で福建省福州市に建設した「福建沖縄友好会館」が中国側に完全に占拠されたというのだ。

同会館は地上12階、地下2階で述べ面積11000平方メートルで、総工費は2億円とされ全額沖縄県が負担した

当初、同会館の利用には沖縄・福建の「共同使用」が謳われていた。

が、中国側は完成後「共産主義体制にあるため、所有権なるものは中国には存在しない」と沖縄側に通知をした。

入居していた沖縄企業職員の立ち入りまで厳しく制限されたのだ。

結局、同会館は現在、中国外務省公室が独占使用しているという。

同会館建設計画書の冒頭に次の文言がある。

「福建省と沖縄は過去6百年にわたる長い交流の歴史がある、かつて琉球王朝時代、我々は福建省を始め中国から幾多の恩恵を受けてきた。・・・歴史的に得てきた恩恵、昨今の福建省の沖縄に対する特別な配慮に対する県民の感謝の気持ちを表す施設として建設する」。

ちりばめられた友好の言葉は美しい。 中国と琉球の友好の歴史に対する感謝の意に満ちている。

しかし、世界に雄飛するウチナンチュは30万人もいるという。

なのに僅か14人しか居ない福州市に総工費沖縄負担の友好会館を作る理由は何処にあったのか。http://ryukyushimpo.jp/variety/page-30.html 

まるで友好の名前に誑(たぶら)かされたペテンのような話だ。

計画当初、地元2紙も社説で同会館建設を応援しまくっていた。

が、途中から話に胡散臭さが出てくると、流石に1996年12月26日の沖縄タイムスは社説で「性急な会館建設」と大田県政の暴走を批判している。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/19961226.html

沖縄を二等辺三角形の頂点に置くと、底辺の両端に上海と福建が位置する。

沖縄はこのように中国の主要港と身近な所に位置する。

経済交流の立場からは非常に有利である一方、地政学的には日本の南西国境の要所でもある。

裏を返せば絶えず中国の領海侵犯に接する緊迫した地域でもある。

福建は琉球王国の時代には中国への朝貢使節が最初に訪れる港であった。

そのため福建には旧琉球館跡や琉球人墓等の遺跡が今でも残る。

前大田知事の後を受けた稲嶺知事は、福建沖縄友好会館で中国に煮え湯を飲まされたにもかかわらず懲りなかった。

福建が駄目なら上海が有るさとばかりに中国西北航空の上海ー那覇直行便の赤字補填を県の予算で行った。

平成12年9月、この赤字分を一般会計補正予算に観光対策誘致事業費の名目で一億三千八百万円を計上し執行した。

どこの国の新聞かわからないような記事で御馴染の地元新聞も事中国に関しては常に友好的記事を書く。

昨年の6月30日の琉球新報のコラムに興味深い記事があった。

反日デモの後の緊張した時期日、稲嶺知事は上海・北京を訪問していた。

コラムは知事の同行記者の感想記だ。

以下引用

≪『鍵を握る中国人脈の構築』・・・小泉首相の靖国神社参拝問題など歴史認識をめぐる日中間のあつれきは、いまだ解消されていない。 
知事訪中で李筆星外相との会談も実現した。 
李氏は外務省のエントランスホールで知事一行を送迎し、全員と握手する歓待振り。 
呉儀副首相小泉首相会談を土壇場でキャンセルした事は記憶に新しいが、中国と歴史関係が深い沖縄とはいえ過剰サービスが際立った。
裏を返せば、日本政府への強烈な当てこすりとも映った。
外相と知事の会談設定で奔走したのが中国国際友好連絡会(有連会)。
故トウ小平氏の三女ら中国各界の著名人で作る民間組織で、外相の隣にメンバーが座るなど
中国政府への影響力を見せつけた。 
さらに知事一行を歓迎する晩餐会を北京の人民大会堂で開き、一同の度肝を抜いた。 
北京直行便開設の取り組みは緒に就いたばかりだが、沖縄県と有連会の関係強化も大きな課題だ。 
人治国家の側面をなお残す中国との交流推進では、何よりも人脈が効力を発揮することを再認識させられる度といなった≫

日本の首脳が冷たく面会拒絶されるのに、沖縄は特別扱いで中国首脳が歓待してくれた事への素直な喜びを記している。

中国は伝統に沿って「兵法書」通り動いたに過ぎない。(http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/6663188d3d6c9216d31a50
fed37f8462

手強い相手は面会謝絶。 組みし易しと見ると熱烈歓迎が中国秘伝の技だ。

中国はこう読んだ。

≪「沖縄福建友好会館」も乗っ取った。 上海直行便の赤字を県予算で補填するような朝貢県だ。 北京直行便でも赤字の場合はきっと補填してくれるだろう。 
沖縄の知事なんて組しやすい相手だ。 
接待攻めで度肝を抜くのは赤子の手をねじるようなものだ≫

中国の戦略的グランドデザインはこうだ。

先ず、一つの中国論で云うと台湾は中国の一省である。

沖縄は台湾の一地方である。

従って沖縄は中国の領土である。 (現在は「潜在主権」?)

「尖閣諸島を沖縄県石垣市に所属する」と言う日本の主張は中国にとって大歓迎。

潜在主権のある沖縄所属の尖閣諸島は中国が潜在主権を持つのであるから、当然近海の資源開発は中国が行う。 例え日本が実行支配をしてはいても。

これが中国帝国のグランドデザイン。

沖縄は中国が日本に放ったスパイ国とでも見ているのだろうか。

以前に琉球と中国の交流史を研究している琉球大学教授の講演を聞いた事がある。

件の教授、明らかに反日、親中国的な論調で自慢げに次のような趣旨の話をした。

≪沖縄は中国にとって特別の場所だ。 反日的な中国人も沖縄出身と聞くと笑顔で歓迎される。
東大の教授が行っても見せてくれないような資料を琉球大学から来たと告げると態度豹変。
喜んで貴重な資料を見せてくれる。 中国には『沖縄は日本に侵略された哀れな被害者だ』、と云う潜在意識がある≫

何処の国とも仲良くするに越した事はない。

が、「沖縄福建友好会館」については、正に中国の友好の催眠術に掛かったような二人の知事の愚行である。

その上、ノービザで沖縄を中国に開放するなんて、そのうち「友好会館」だけでなく沖縄そのものを乗っ取られかねない。(★琉球新報04/12/12 記事参照)


◆福建・沖縄友好会館落成式 平成10年7月28日
http://www.pref.okinawa.jp/98/kouhouka/wa9809/zoomup.html

◆沖縄タイムス社説1998年年12月26日
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/19961226.html

◆各国県人会一覧http://ryukyushimpo.jp/variety/page-30.html 

◆参考:『諸君』五月号 恵隆之介「尖閣、沖縄が危ない!」

★琉球新報 04/12/12 22:10:36 ID:???

中国国務院新聞弁公室の趙啓正主任(メディア担当大臣)が11日、初来沖し、稲嶺恵一
知事らと那覇市内で会談した。席上、趙大臣は同席した宮本雄二沖縄担当大使に「中国公使
在任中、なぜビザなしで沖縄に行けるようにしなかったのか不満だ」とした上で、
「(沖縄大使在任中の)1年か、1年半の間に沖縄へのノービザ協定が締結できるよう
取り組んでほしい」と促した。本紙取材に宮本大使は「やってみるかいはある。各方面に
あたってみたい」と実現に意欲をみせた。外務省幹部が中国から沖縄へのノービザ実現に
積極的な姿勢を示したのは初めて。

席上、稲嶺知事は「大使の仕事は米軍基地問題だが、中国とのノービザも実現し、たくさんの
お客が沖縄に来るようにしてほしい」と、趙大臣の要請に笑顔で呼応し、宮本大使に実現
を求めた。

また、稲嶺知事は、難航している県の上海事務所開設と将来の北京―那覇直行便開設への
支援を趙大臣に要請した。

趙大臣は「沖縄から上海直行便ができたと上海市長から聞き、大変喜んでいる」と述べた。
その上で、事務所開設など「事業をする上で困難なことがあれば、上海には友人もたくさん
いる。役に立てればと思う。北京直行便の運行実現もサポートしたい」と支援を約束した。

懇談の中で、趙大臣は中国の沖縄事務所開設にも論及。同行した蔡名照副主任(副大臣)
を「沖縄に中国事務所を作ったら、蔡副主任を初代所長にしたい。任期は1年、知事が
OKならもっと長く配置したい」と知事や宮本大使らに笑顔で提案。終始和やかな会談と
なった。趙大臣らは県内観光地などを視察し、12日午後、離沖する。

引用元:琉球新報 (04/12/12)

 

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「暗い日曜日」自ら死を選ぶ自由 Ⅱ

2006-04-16 08:23:18 | 年金・老人・身辺雑感

今日も又暗い日曜日。

「世の中の真理は唯一つ。 自分が間違いなく死ぬ事だ」と言った哲学者がいた。(・・ような気がするが記憶は定ではない)

記憶があるうち、少なくとも未だ死に対して多少は余裕を持って考えられるうちに、死に就いて考えるのも無駄な事ではないだろう。

先月、センバツ甲子園大会で八重山商工が富山代表を破って沖縄従がわき返っていた頃、「自ら死を選ぶ自由」と題して投稿した。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/e4827efe6bbfd056ff50b15e70cb0ecb

件の外科医師が殺人医師か良心的医師かに着いても書いた。((殺人医師か赤ひげか」) http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/b628d4882a86683277329b9005170e04

普通このような問題があると病院側がグルと言うか一致団結と言うか、医師同士で庇いあうのが常であるが、このケースはどうも様子が違っていた。

その後の報道に拠ると病院内の内紛も複雑に絡んでいるようだ。

事実関係は今後の捜査をまつとして・・・。

 今朝の産経新聞に日本尊厳死協会の見解が掲載された。

それを冒頭に転載して、各紙に掲載された「延命治療」に就いてのコラムを転載する。

「延命治療」や「呼吸器取り付け」或いは尊厳死に就いて言葉は知っていても、その実体についてはあまり知られていない。

今日は、体験者のコラム等を通じて自分で死を選ぶ自由に就いて再考してみたい。

今日もどんより曇った、『暗い日曜日』だ。(「暗い日曜日」の唄が聞けます。クリック→ http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200505/05050067.html)

死を考える、・・・じゃなくて、死に就いて考えるには絶好の日かも。

 

             ◇          ◇         ◇

◆産経新聞 (04/15 17:42)

尊厳死協会「延命治療中止、代わりに家族が決定」  

治る見込みのない病気にかかり、死期が迫った患者の延命治療中止をめぐり、日本尊厳死協会(理事長・井形昭弘名古屋学芸大学長)は15日までに、患者本人の意思が明確でない場合は「家族らが意思決定を代行できるよう法律で規定するのが望ましい」との見解をまとめた。 同協会が、尊厳死の意思決定の代行容認を打ち出すのは初めて。超党派の国会議員でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」(中山太郎会長)に提出した。  射水市民病院(富山県)の人工呼吸器取り外しなど延命治療中止の是非が社会問題となる中、「本人の意思」を推定した家族らに決定を委ねることを認める見解は論議を呼びそうだ。  見解は「他人による意思決定は許されない」と従来の原則をあらためて明記した上で、本人の意思が書面などで残されていない場合の対応として(1)意思を推定する十分な資料に基づく司法判断(2)医療機関の倫理委員会などで決定(3)家族、親族、友人による合議(4)配偶者、子供、両親、兄弟姉妹など意思決定を代行できる順位を規定―などの選択肢を提示。(4)の家族らによる意思決定代行が妥当と結論付けた。  井形理事長は「本人の意思が前提との協会の立場は変わらないが、それが明確でない場合は、日常会話などから家族らが本人の意思を推定して決めるのが適切と考えた。絶対このやり方でなくてはならないというものではなく、さらに議論を重ねたい」としている。  議連は現在、患者に延命治療を受けるかどうかを決める権利を認め、原則として15歳以上なら事前に意思表示できるとする骨子案を土台に法案を検討。本人の意思表示が確認できない場合の対応などが検討課題となっている。

 

 ◆現代ネット

人工的延命は是か非か――結論は明らかだ 

人工呼吸器装着とはどういうことなのか、わかっていない人が多いのではないか。

  手術などの際の一時的な呼吸管理ならマスク型の酸素吸入ですむが、ガンや肺炎の末期患者は口からノドを通して気管に固くて太いプラスチック管を入れ、機械につなぐことが多い。

挿管自体が大変な苦痛だし、患者はエビ反りの姿勢で寝たきりになる。  

そこで意識レベルを落とす薬を点滴し続ける。

たいてい2週間前後でノドの粘膜がやられるから気管を切開して管を入れ直し、生ける屍(しかばね)の状態で心臓が止まるのを待つ。

ペースメーカーを入れていたら心臓も人工的に動くから、延々と待ち続けることもある。  

回復の望みが絶無の患者にとっても看護する家族にとっても地獄の責め苦だが、こうした非人道的な姿はなかなかなくならない。

死を医療の敗北と捉える思想の影響や「生命尊重」の時流の反映もあるが、なによりこれなら薬は大量に使うが人手はあまりかからず、病院が儲かるからだ。  

時には人間性と常識がある医師が、意思表示ができなくなった患者を代弁する家族の願いを聞いて人工呼吸器を外し、自然の摂理に委ねることもある。  

情理かね備わった措置だが、家族内の意見分裂、病院内の労使関係のもつれや医師間の派閥抗争などで表沙汰になると、厄介だ。

警察や検事・判事が杓子定規に法律を振り回して、殺人事件にされかねないからだ。  

ときどき表面化するが、いまも富山の病院で問題になっている。

回復不可能な患者に苦痛を強いるのが正しいか、それを避けるのが人道的か、だれにもわかると思うが、わからなければ仕方がない。  

警察と司法の関係者だけは徹底的に無益無用な「延命措置」をして、極限の苦痛を体験させてみたらどうだろう。

【俵孝太郎】 【2006年3月30日掲載】

 

◆河北春秋  

「数え切れないがんの患者さんをみとってきましたが、人工呼吸器を付けたのは1人だけ」と、仙台の往診医に聞いた。かつて勤務した病院での経験だ▼患者は女の子。人工呼吸器装着は気管切開の手術を伴った。もう娘の体を痛めたくない、と親は延命をしない意思だった。が、意識も苦痛もない最期になって装着を希望したそうだ。数日でも家で一緒に過ごしたい、と  ▼「告知の段階で病気の状態、見通し、どんな治療が本人にとって適切な選択か、話し合う。取り外しのきかぬ人工呼吸器の装着を望むかどうかも、事前の説明と確認は当然」。その前提が富山の事件ではどうだったのか、と医師は語る▼富山県の射水市民病院で、がんなどの患者7人が人工呼吸器を外され死亡した事件。渦中の外科部長の発言は「患者のための尊厳死」「救命治療だった」と二転三転する。家族への説明、同意をめぐる事実もいまだ不明だ  ▼がん患者の会と「緩和ケアを考える会」を重ねる岩手県立北上病院。そこでも患者らと、急変時にどうするか、何度も話し合う。家族も動揺する場だからだ。「人工呼吸器は重い選択だからこそ」と病院▼尊厳死か否かの問題以前に、富山の病院で亡くなった患者個々の「自分は最期の時をこう生きたい」という希望は問われていたのか。 2006年04月07日金曜日

 

 ◆ニッケイ新聞 06/04/08  コラム   

どのように「死」を迎えるか?は難しい。痛みが無く静かに―は誰しもが望む。だが、意識もなくなった植物人間になる場合もあるし'そうしたときの末期医療についてもっと考える必要がありそうだ。富山県の病院で外科部長が回復の見込みが無くなった患者の人工呼吸器を停止し7人を死亡させた問題が話題になっている▼この事件が報道されると病院には1日数十件の電話があり、そのほとんどが、外科医と家族の尊厳死同意に肯定的なものだった。ある遺族は「呼吸器外しをお願いした」と証言し外科部長に同情を寄せる。恐らく―一般の人々の意見も同じではあるまいか。もう自分だけでは呼吸も困難になり食事や排泄も家族や看護婦の世話になるしかない。勿論―。会話は駄目。自分の意思を伝える力もない「生ける屍」になれば、延命治療を中止するのは、やむをえないのではないか▼川崎二郎厚労相も、延命治療に関して「論議を早める必要がある」と語っているが、日本はどうもこの課題に対しての取り組みが遅い。オランダには「安楽死」の法律があるし年間に2500件ほどが実施されている。アメリカでも「自然死(日本の尊厳死)」を認めている州が多い。日本も議論をもっと進めるべきは云うまでもない▼安楽死の歴史は古い。ギリシャで行われ「オイタナジ―」と呼び、オイは良い、タナトスは死を意味するのだそうだが、今こそ真剣に考えるときだ。医学の進歩が延命治療を生んだのはいいけれども、これによる不幸は身近にも多い。ただ―心臓が動いているだけの肉体に―価値があるとも思えない。  (遯) コラム  

 

 ◆「尊厳死くわしく知りたい」協会に問い合わせが殺到

 富山県・射水(いみず)市民病院で延命措置中止問題が発覚した後、むだな延命措置を拒否する運動を進める「日本尊厳死協会」(本部・東京)に問い合わせが殺到している。  協会の登録会員より若い50~60歳代の層が多く、「自分の意思をきっちり残したい」という声が目立っている。  協会によると、問題発覚後の平日3日間で電話とメール合わせて1000件を超え、その後も多数寄せられている。「尊厳死について詳しく知りたい」と資料請求する人が多いという。  協会は、延命拒否の意思を示す「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)作成を推奨しており、現在の会員は11万人。65歳以上が8割近くを占める。  白井正夫事務局次長は「今回の問題をきっかけに意思を明確にしたいと思う人が増えているようで、こうした動きが進めば、現場の医師らが迷わず判断できる」と話す。  また、射水市民病院への電話での問い合わせや意見も既に100件を超えた。「身内に終末期医療を受けた人がおり、延命措置の中止はやむを得ない」といった人工呼吸器を外した外科部長(50)を擁護する意見のほか、「最後まで全力を尽くしてほしい」と求める声も寄せられている。

(読売新聞) - 4月1日19時41分更新

 

 ◆ 尊厳死 

治る見込みがない病気になった時、命を引き延ばす治療を患者が断って、人間らしい死を迎えること。似た言葉に「安楽死」があるが、こちらは死期が近い患者を苦しみから救うため、医師が薬などで命を縮めるので、自然の死ではない。  安楽死と比べると、尊厳死を認めたり望む人は国内にも多い。ただ、日本では法律の条文で明確に認められているわけではないので、患者が生前に意思表示をするなどの条件を満たさなければ、医師が殺人罪などに問われる可能性もある。  富山県の射水市民病院で2000~05年、末期患者の人工呼吸器を外科部長が独断で外し、7人が死亡していた。外科部長は「尊厳死」と説明するが、大半は本人の生前の同意を得ていなかった。殺人に当たる恐れもあり、県警が調べている。 毎日中学生新聞 2006年3月28日

◆終末期医療「自分が決める」=意向反映へ模索-特養ホーム「指定書」用意・愛知  「あなたはどういう状態で生き、どのように旅立ちたいですか」-。

富山県の射水市民病院で明るみに出た延命治療の中止問題は、終末期医療に統一ルールがなく、現場に混乱のある実態を改めて浮き彫りにした。愛知県西尾市の特別養護老人ホーム「せんねん村」では入居者と家族、職員らが話し合い、本人の意向をできるだけ反映する「最期の迎え方」を模索している。 2003年11月、入居者の男性=当時(92)=が静かに息を引き取った。「眠るように逝ったね。よかったね」。家族は口をそろえて話したという。肺炎を患っていた男性と家族の希望は「自然な形で最期を迎えたい」。病院搬送や人工呼吸器の装着はせず、早朝、息子らがみとる中、希望通り旅立った。 同施設は01年に開設。入居者に対し、将来回復不能な状態に陥った場合に備え、終末期医療の「事前指定書」を用意、家族と相談して記入するよう要請している。 

(時事通信) - 4月1日7時0分更新

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