狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

必殺のVサイン

2006-04-11 10:00:35 | 普天間移設

「市長『V字型』に驚く」

普天間移設・沿岸案合意に特集記事を掲載した琉球新聞記事の見出しである。

島袋名護市長は何度も上京し沿岸案には頑なに反対して来た。

その一方防衛庁長官に「産婦人科医官」の名護派遣を依頼したりで超多忙。

とても真剣に「より良い移設案」を考える余裕は無かった。http://ryukyushimpo.jp/variety/storyid-11874-storytopic-12.html

その島袋名護市長が「V字滑走路図面」に目玉を剥いて驚く姿が想像されて、不謹慎にも思わず笑ってしまった。

≪沿岸案か、海上埋め立て案か≫--を巡る政府と名護市の攻防。

この二つを隔てる距離は僅か数百メートル。

新報の特集記事によると防衛庁首脳が「(名護市が納得する)新案」をほのめかせ「言わぬが花」と記者にもったいぶったのは4月初旬。

だが、共同配信と思われる新報の解説記事では「『切り札』は三月中旬に浮上」していたという。

しかし、毎日新聞によると「必殺のVサイン」つまり「滑走路二本案」は一月には極秘に指令されていたと言う。

その辺の裏事情を毎日新聞の綿密な取材が興味深く報じている。http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/news/20060409ddm003010136000c.html
(保存のため文末に貼り付け)

「一本の滑走路でも反対していたのに。 合意したら二本になっていた。 訳がわからんさー」

ローカルテレビのインタビューに答える「街の声」。

まるでコンとのネタだ。

「必殺のVサイン!」、さすが偏差値の高いキャリア官僚が考える事は違う。

島袋市長がビックリするのも良く分かる。

一方から見たら「沿岸案の修正」、別の見方をすれば「海上案の修正」。

何れにも反対をする琉球新報は今朝のコラムで「V型滑走路」を「だまし絵」に例えている。http://ryukyushimpo.jp/variety/storytopic-12.html

≪・・・・(V型滑走路案は)たちの悪いだまし絵を見せられた気分だ▼しかも、このだまし絵には。本質(飛行場の危険性)を隠して見るもの(地域住民)を欺こうとする意図が透けて見える。ほくそ笑んでいるのは一体誰か。しっかり見極める必要がある。≫

コラム子が防衛庁の出した「必殺のVサイン」に一旦驚き、やがて悔しがっているのが文面に漂っている。

当然の如く地元二紙は稲嶺知事の合意反対を支持して、何時までも拳を挙げつづけるように熱い声援を送っている。

★蛇足1:沖縄タイムス4月10日社説http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060410.html#no_1

★蛇足2:琉球新報4月10日社説http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html


          ◇         ◇         ◇


◆毎日新聞4月9日クローズアップ  

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/news/20060409ddm003010136000c.html
在日米軍再編 普天間移設・シュワブ沿岸案合意
 ◇「2本案」、1月極秘指示

 沖縄の基地負担の象徴とされてきた米軍普天間飛行場の移設問題は、キャンプ・シュワブ沿岸案の滑走路をV字形に2本設ける防衛庁の「秘策」を名護市が受け入れ、急転直下、地元合意が実現した。沿岸案か、海上埋め立て案か--。距離にして数百メートルの隔たりをめぐり繰り広げられた政府と名護市の攻防を検証した。【上野央絵、古本陽荘】

 ◇額賀長官の夢まくらに「浮上」

 ■いったんは封印

 「滑走路を2本にした図面を作ってくれ。このことは絶対に外に漏らしてはいけない」

 額賀福志郎防衛庁長官が防衛施設庁の技術系職員らを長官室に呼び、極秘の指示を出したのは1月下旬だった。防衛施設庁の官製談合事件の対応に疲れ、眠りについた前夜、シュワブ沿岸部に2本の滑走路が描かれた地図が頭をよぎり、跳び起きたという。できあがった修正沿岸案は、着陸用と離陸用に分けられた滑走路の飛行ルートがそれぞれキャンプ・シュワブ沿岸部から海上方向に延びていた。

 周辺住宅地を飛行ルートから外せる半面、埋め立て面積が大幅に拡大し、「環境への配慮」が売りの沿岸案のメリットが薄れる。建設費が膨らむため地元の建設業界は喜ぶかもしれないが、工期が延びて移設が遅れる。額賀長官は「名護市が微修正で納得しなければ、最後はこれで説得するしかない」と思いつつ、いったん封印した。

 その後、合意に至るまでに複数の修正案が検討された。3月25日の名護市との協議で防衛庁側が示したのは滑走路を反時計回りに10度傾ける案。これなら南西方向の豊原地区が飛行ルートから外れるが、その先の宜野座村松田地区が飛行ルートにかかる。

 そのため、水面下の交渉で浮上したのが滑走路を20度傾け、南西の飛行ルートを海に出す案だった。これだと逆に北東方向の「カヌチャリゾート」の真上を通ることになる。防衛庁側はリゾート運営会社に接触、「経営を国や名護市と一緒にやる第三セクター方式にしてはどうか」と事実上の買い取りを提案した。運営会社は前向きな姿勢を示したが、名護市が「陸地の上を飛ぶのは容認できない」と拒否し、「幻の案」となった。

 ◇山崎氏「200メートル」、首相は「1センチだ」

 ■譲歩幅地元に不信

 3月17日、名護市に隣接する北部4町村の一つ、東村で催されたつつじ祭り。自民党の山崎拓前副総裁が宮城茂村長らと泡盛を酌み交わす中で、「首相を説得できる距離は最大200メートル」と語った。小泉純一郎首相の盟友・山崎氏の発言だけに、「政府側の譲歩のサイン」としてすぐに島袋市長らに伝えられた。

 しかし21日以降、額賀長官と協議を重ねても、政府側は一向に200メートル修正案を示さない。

 同市に対し、隣接の宜野座村など北部4町村が「決裂したら北部振興策が打ち切られる」と譲歩を働きかけてもいた。動いたのは名護市だった。

 3月26日、額賀長官と島袋吉和名護市長の会談に同席した同市の末松文信助役が「飛行ルートは辺野古、豊原、安部地区の陸域にかからない範囲内にしてほしい」と、地図のシュワブ沿岸部の海上を指でなぞった。

 沿岸案の滑走路を280メートル南側に移動させると、この飛行ルートになる。名護市が400~500メートル南側の海上埋め立て案を主張してきた経緯からすれば、「海上案のバリエーション」ギリギリの大幅な譲歩。だが、ここでも防衛庁側は移動は「3ケタにならない範囲(100メートル未満)」と主張、物別れに終わった。

 同月28日夜、東京都内のホテルの日本料理店に額賀長官と山崎氏を呼んだ首相は「政府案(沿岸案)を基本に考えているが1センチたりとも動かさないというものではない」と「微修正」での決着を指示。大幅修正を念頭に置いていた山崎氏は「1センチではなく1メートルと言ってはどうか」と進言したが、首相は「地元に誤ったメッセージを与える。1センチだ」と譲らなかった。

 「200メートル」のシナリオとは何だったのか。振り回された形の名護市側には政府、防衛庁への不信感だけが残った。

 ◇突然の協議延期、米から「圧力」

 ■「切り札」発動へ

 「ローレス国防副次官が議会に呼ばれたので、次回協議を延期したい」

 首相指示のあった3月28日、米国防総省から防衛庁に連絡が入った。日米両政府は3月中の最終合意を目指し30、31日にワシントンで在日米軍再編の審議官級協議を予定していた。突然の延期通告に防衛庁は「米国の圧力」をかぎとった。

 昨年10月の中間報告にあたり、米側はシュワブ沖の海上埋め立て案を主張、外務省も同調した。当時外相の町村信孝氏や石破茂元防衛庁長官らが今回も海上案の旗を振った。額賀長官が島袋市長を直接説得し実現した4月4日の再協議当日、自民党の日米安保・基地再編合同調査会は修正要求の大合唱となった。

 「沿岸案=首相と防衛庁」VS「海上案=地元と米国、政府・与党の一部」という昨秋の対立構図の再現に、防衛庁は「最後の切り札」を切らざるを得ないと判断。4日の協議で「辺野古、豊原、安部の上空は飛ばない」と、譲歩を伝えた。

 7日の最終協議で額賀長官が示した案は2本の滑走路がX字形に交差し、離陸用滑走路の飛行ルートが北東の安部地区付近にかかる。島袋市長は南側にずらしV字形にするよう要求。長官は合意を優先し譲歩した。

 沖縄県の稲嶺恵一知事は8日、額賀長官との会談で政府側との協議に応じる考えを示したが、反対のこぶしは下ろしていない。政府と県の本格協議は日米の最終合意後になる見通しだ。

毎日新聞 2006年4月9日 東京朝刊
 

コメント