狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

勅命は下った!

2006-04-01 09:41:26 | 県知事選
総勢27名の朝貢使節団を率いる橋本は、中国皇帝の賜る「重要講和」の内容については薄々予感があった。

現代の紫禁城・人民大会堂で遂に勅命が下された。

「靖国参拝さえ止めれば拝謁を許す」。

しかし、皇帝はこれまでの経緯から小泉という男が一筋縄では行かない変人である事を思い知らされていた。

≪小泉という男は勅命で動く事はあるまい≫ ≪参拝を続けるだろう≫

それを裏付けるように、小泉は27日の記者会見で使節団の訪中を見越したかのような発言をしていた。

「中国、韓国の政府による批判も、私の参拝を理由に首脳会談を行わないことも理解できない」。

以前にも小泉は「靖国参拝を理由に一国の首脳が会談できないのは中国と韓国だけだ」、と皇帝の誇りを逆なでするような発言をしていた。

≪・・・だとしたら、9月以降の「ポスト小泉」が重要だ。 目下のところミニ小泉とも言うべき安倍晋三が最有力だが。 それは困る。 恭順のの意を表している福田康夫を取り立ててやらねば≫

そこで皇帝は会談後の夕食会で唐家セン国務委員を使った。

「(胡主席の講話は)今の指導者だけでなく、これからの指導者にものべられたもの」、
と「ポスト小泉」にたいする勅命に念を押させたのだ。

誇り高き皇帝は足元ににじり寄る者には寛大だ。

橋本が「首相の時(一度)靖国に参拝した」と懺悔し、親類が出征し、死亡したと弁明すると、胡皇帝は「個人的な気持ちもあるのだろう」と鷹揚に理解を示した。

中国兵法秘伝に従って、2月には恭順を示す二階産経相を歓待し、今回は「女スパイ」による篭絡により玉を抜かれ宦官と成り果てた橋本使節を招いた。

今回の会談、・・・じゃない、拝謁で、靖国参拝のみに過半の時間を取り、尖閣領土問題、ガス田問題、上海領事館員自殺等に関しては口に出すさえ畏れ多い事と、話題にさえならなかった。

会見に出席した中国側は「民をもって官を促し、経済をもって政治を促し」と述べた。

さー! 勅命は下った。 日本の世論分断工作は着実に実行されであろう。

「ポスト小泉レース」は、「靖国非参拝」という錦の御旗を掲げる福田康夫が安倍を一気に抜き去るであろう。

日本国の次期総理大臣は福田康夫で決まり!

これ中国皇帝の勅命なり。


         ◇         ◇         ◇


◆4月1日付・読売社説(2)

 [日中友好訪中団]「『ポスト小泉』に内政干渉は迷惑」

 中国の対日姿勢に変化の兆しがあるのかどうか、注目された「重要講話」だった。

 中国の胡錦濤国家主席は、日中友好7団体の代表と会談し、「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社を日本の指導者たちがこれ以上参拝しなければ、首脳会談をいつでも行う用意がある」と語った。

 日中首脳の相互訪問が途絶えている原因は小泉首相にあり、小泉内閣の下で関係改善は困難、と言いたいのだろう。

 「指導者たち」という言い方から、「ポスト小泉」候補が仮に首相に就任した場合は、靖国参拝をすべきではないと牽制(けんせい)する意図がうかがえる。

 あえて「重要講話」としたのも、日本側に明確にメッセージが伝わるようにしたい、ということではないか。

 だが、中国が靖国参拝の中止を声高に要求している限り、首相が参拝をやめれば、日本国内では「他国の圧力に屈した」と受け止められるだけだろう。かえって「嫌中」ナショナリズムをあおる結果を招きかねない。

 胡主席は「争えば双方が傷つく。中日友好を発展させることが、両国の利益に合致する」とも述べ、交流拡大の必要性を訴えた。

 2月の二階経済産業相訪中以来、閣僚レベルの交流は復活しつつある。だが、最も重要な交流の機会は首脳会談だ。

 小泉首相は「靖国参拝という一事をもって首脳会談を行わない国は、中国と韓国のほかにない」と指摘している。その通りだ。

 中国にしても、トップの要求が日本に聞き入れられなければ、江沢民・前主席時代の「反日」愛国教育で育った世代から、体制批判が出かねない。

 いつまでも「歴史」を外交カードにすれば、互いに抜き差しならない事態になるだけではないか。

 中国国内にも、対日政策の見直しを求める声が出ている。

 中国社会科学院の元日本研究所長は最近、「歴史の決着を最優先すれば、両国関係は絶え間ない悪循環に陥る」との見解を中国の専門誌に発表した。

 「絶え間ない悪循環」を避けるためにも、中国は、「歴史」認識と首脳会談再開を絡める姿勢を改めるべきだ。

 「歴史」認識に関する問題は、他国が口をはさめば事態を複雑にさせる。が、そのことは、日本人が「歴史」に無頓着でよいことを意味しない。

 あの戦争は何だったのか。戦争責任をどう考えるべきか。戦没者をどう追悼したらよいのか。「歴史」と向き合い、国民的議論を深めることが必要である。

(2006年4月1日1時46分 読売新聞)
コメント