赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
よこはまの 波止場から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
「赤い靴」
作詞:野口雨情/作曲:家本居長世
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異人と言う言葉は何時の頃から使われだし、何時の頃から使われなくなったのだろう。
異人とは異邦人のことなのでアジア人でも良いはずなのだが、上記の悲しげな童謡から我々が想像するのは「碧顔紅毛の大男」であり中国人や東南アジア人ではない。
異人は死語になり、今では外国人、外人ともいう。
日本にいる外人はおそらくアジア人が一番多いと思われるが、外人と言えばやはり青い目の白人を連想する。
青い目にせよ黒い目にせよ、文化の土壌の異なる外人・異人とお互いに理解し合う事は思うほど容易ではない。
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去年の今頃、日中間で「反日デモ」で大騒動が起きていた。
その時デモの被害にあった日本総領事館や日本の民間企業は一年経っても未だに総額1200万円にも及ぶ損害賠償はされていないと言う。
それどころか、反日団体の幹部は「日系企業を相手に民間損害補償を中国で提訴する」という。http://www.sankei.co.jp/news/060405/kok031.htm
「盗人猛々しい」という言葉は何処の国の言葉だったか、この国とお互いに理解を深める難しさを改めて感じる。
その一方、昨年の反日デモ最中北京で「日中友好書道展」が開催されたと当時のNHKラジオが伝えていた。
日中間が緊張しているのその時期に「日中友好」の催しを報道するのはメディアとしては扱いにくかったのか、それともニュース価値が無かったのか、当時の新聞報道では伝えられなかった。
この「日中友好書道展」に出品されたのは「躾」(しつけ)という1文字だけだったと言う。
漢字は中国から伝わった。
が「躾」と言う漢字も概念も中国には無かった。
躾という文字はその必要性から日本で作られた和製漢字で、国字と言うらしい。(NHK教養講座)
漢字を中国から教わった昔の人は得意の応用力を発揮してカタカナ、ひらがなを生み出したが和製漢字も数多く作っている。
例を挙げると「辻・峠・雫・鰯」等々・・・、寿司屋の湯飲みに書き連ねてある魚偏の文字は殆ど和製漢字だと言う。
そもそも中国には海産物が少なく、魚の名前の表記には今でも苦労しているようだ。
日本ではイワシは傷みやすい魚なので鰯と簡単に一時で表現した。
ところが、本来表意文字である漢字のふるさと中国ではイワシを表意文字に頼った。
「沙丁魚」と書いてサーディンと英語音で呼ばせるらしい。
「可口可楽」と書いてコカコーラと読ませる類である。
和製漢字の他に、カタカナ、ひらがなを発明した先人達に感謝すべきであろう。
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話を「躾の書道展」にもどす。
中国では漢字は日本に教えたが、「躾」と言うマナーは自国には欠落していた。
躾を日本から学ぼうという動きが今度の「躾」書道展開催の動機だそうだ。
皮肉な事に現在の日本では「躾」と言う言葉も概念も死語となりつつある。
それどころか「しつけ」を子どもの虐待の口実に使っている事件が多い。
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最近の日中両国の対立をを見ていると、両国とも漢字を使いながらお互いの間に理解できない大きな溝、いや埋める事の出来ない大河の存在を感じる。
終戦の年まで国際都市上海に日本の大学があった。
全国各県選抜の俊才達が日中間の掛け橋たらんと夢見て此処で学んだ。
その名を「東亜同文書院」と言う。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2
≪中国と日本は同じ文字(漢字)を使う兄弟民族だから理解し合える≫と言う理想が大学の名前に現れている。
しかし「同文同種」と言うのが間違いの元だった。
「埋められぬ大河を埋める愚」を冒したのが全ての誤解の元凶だったのだ。
「躾」の他にも根本的に理解不可の言葉がある。
「嘘」(ウソ)という言葉、概念は中国には無い。
中国人が嘘をつかない、と言うのではない。
その逆で、嘘を吐(つ)くのはごく普通で騙される方が悪いのだ。
パソコン翻訳で試してみると・・
「彼は嘘を吐(つ)く 」は中国語で 「他吐 言 」と言う。
吐(つ)くのは言であって嘘ではない。
日本語の「嘘」と言う時は中国では「無」と言う意味に近い。
空虚、虚空などの虚がこれにあたり、日本語のウソと言う意味はない。
ちなみに「彼は躾が成っていない」を翻訳すると「教育没成他」即ち「彼は教育が無い」となる。
此処に埋めがたい文化の「大河」がある。
言うまでも無く、日本では教育があっても躾の出来てないものがおり、教育が無くても躾の行き届いた者がいる。
日本人の夫婦は大声で夫婦喧嘩をしていても他人が来ると突然休戦して仲の良い振りをする。 それほど他人の目、世間体を気にする。
逆に中国人は夫婦喧嘩になると表に出て大声で罵り合って他人に自分の正当性を訴えると言う。
これらはどちらが正しいと言うものではなく、拠って立つ文化の相違に過ぎない。
どの国とも仲良くする事に越した事は無い。
皮膚の色や目の色が異なっているからと言ってあらぬ偏見や予断を持つのは厳に慎まなければならない。
同時に髪の色や皮膚の色、更には使う文字(漢字)がが同じだからと言って、即お互いが理解できると、思うのもある種の「偏見と予断」である。
似て非なるものと言う言葉もあるくらいだ。
お互いに違う文化の土俵に立ちながら「同文同種の幻」を背負って幾ら議論しても「大河を埋める愚」を行う事になる。