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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

新説・沖縄語講座 Ⅱ ジュリは尾類ではない

2006-04-03 14:08:00 | 沖縄語講座
テレビのクイズ番組で「京都の三大祭は何か」という問いに、はたと考え込んだ。

答えは「葵祭」、「祇園祭」それに「時代祭」。

云われてみると、どれも聞き覚えがある。

が、改まって聞かれるとなかなか名前が出てこない。

地元沖縄の祭りではないせいなのか。

沖縄にも三大祭りがあると云う。

これも聞かれると何人のウチナンチュが正解できるやら。

三大祭りとは、5月のハーリー(舟漕ぎ競争)、10月の大綱引き(那覇祭り)、そして2月の「尾類馬行列(尾類馬祭り)」を指すという。

ハーリーと大綱引きは、テレビでも放映され、沖縄観光の目玉として観光客にも知られている。

だが、尾類馬行列についてはあまり語られる事はない。

それどころか現在中止されているという。

中止の理由はその「尾類(ジュリ)」という言葉にあった。


             ◇

沖縄の解説本によるとジュリは尾類と書いて、女郎の事とある。

女郎とは今では既にに死語になりかかっているが、遊女、おいらん、娼妓のこと。 要するに遊郭で、遊客と枕をともにした女のことである。

尾類馬行列が中止になった理由は戦前は主に経済的理由であったらしい。

景気が良くなれば行列を景気よく繰り出し、不景気になれば中止する。

話は明快だった。

ところが施政権が返還されて沖縄県になってからの中止理由は簡単明瞭にはいかなくなった。

婦人団体が「尾類行列祭りの存続は公娼制度の復活につながる」と尾類行列に反対運動を起こしたのだ。

勿論、その一方尾類行列存続をを訴える意見もある。

自治会や市の観光課が「観光振興・地域活性化」と言う理由で尾類馬行列の復活を訴えているらしい。

だが現在中止されているところを見ると、反対派の意見が勝ったようだ。

観光振興だけでなく、伝統保存の立場からも復活を望む声もある。

こういうとき検索が威力を発揮する。

2003年3月23日の沖縄タイムスのオピニオン面に「ジュリ馬行列は立派な芸能」と題する屋部邦秀(65歳)さんという方の投稿があった。(文末に転載)

その中で尾類馬行列を「売春云々」の面だけを捉え伝統芸の面を無視してはいけないと主張している。

この手の問題に反対する婦人団体に異を唱えるのは容易な事ではない。

議論が熱すると話は一気に飛躍する。

「貴方は売春制度を支持するのか」

「貴方は女性差別主義者か」

更には論理を超えて感情的になるともう手におえない。

「貴方の趣味は買春か」、に始まり挙句の果ては「エロオヤジ」、「女性の敵」と自宅を女性団体の糾弾の声で包囲されかねない。

話は多少大袈裟だが、ご婦人方を敵に回すのはかくも恐ろしい事だという覚悟が必要だ。

戦後、学校で剣道の部活を反対する婦人団体があった。

いわく「剣道は人殺しを練習する術だから反対」ということだった。

これに異論を唱えると「人殺しを認めるのか。 戦争を賛美するのか」の感情論で大変だったようだ。

東京都の「はとバス・おいらん道中ツアー」の例を待つまでも無く、現代の常識で過去の伝統行事の是非を判断するのは愚だ。

伝統歌舞伎だって元を辿れば遊女歌舞伎から始まったという。

第一、歌舞伎者という悪いイメージの言葉さえある。

お座敷遊びについてはウンチクを傾ける知識は無いので、映画などの受け売りに頼ってみよう。 

映画の中では今では京都観光のシンボルともなっている花柳界でも旦那とか身請け、借金による身売りと言った今の常識では許せない言葉が飛び交う。

それを根拠に現在の舞妓さんや芸子さんの出自を問うのは野暮と言うものだろう。

唐突に結論を持ってくると尾類馬行列に反対する女性団体の理由は尾類という「職業」に対する嫌悪感だけでない。

「尾類」という漢字の当て字にある。

「尾類・・・有尾人・・・」と言った奇異なイメージ・・・。


                  ◇


◆≪[わたしの主張あなたの意見]/「立派な芸能」ジュリ馬行列/屋部邦秀=65歳

 二月十一日の辻自治会の紹介に、三百年以上の伝統を誇り、那覇の三大祭りの一つであった「ジュリ馬行列」が「売春肯定になる」との批判から市の補助も絶たれ、その伝承に苦労している、とある。

 「売春云々(うんぬん)」の考え方を否定はしませんが「ぜひ伝承していきたい」と懸命に努力なされている人がいることも考えてほしい。


 なぜ「売春云々」になるのか。もし、ジュリの踊りだから、というのであれば、金細工や花風の歌や踊りもジュリの歌、踊りだが「売春云々」の話は聞きません。むしろ、立派な芸能として、歌い、踊られているのでは。ジュリ馬行列も立派な芸能と考えます。


 異なる考え方を受け入れる寛容さが社会をつくるための大切なことでは。私の考えが正しい、ほかはだめ、否定、抹殺すべきである、ではいびつな社会にしかならない。


 私たちの時代で途絶えさせることなく、次の時代にも確実に伝承させなければならない「立派な芸能」と考えます。(那覇市) ≫

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中国主席発言にどう答える

2006-04-03 07:44:33 | 県知事選
日本の次期総理大臣候補に下した「口頭試問」について、今朝の毎日新聞が「次期首相候補はどう答える」と題した社説を掲載した。

愈々日本全国で、誰が胡主席のご意向に沿う日本の指導者かを探る大運動が始まる。

                 ◇

◆毎日新聞 2006年4月3日 0時06分

社説:中国主席発言 次期首相候補はどう答える

 中国の胡錦濤国家主席が日中友好7団体の訪中団との会談で、「日本の指導者がA級戦犯をまつる靖国神社に再び参拝しないと約束すれば、首脳会談をいつでも開く用意がある」と語った。逆に言えば、A級戦犯の合祀(ごうし)をそのままにして首相が参拝を続けるなら首脳会談には応じない、ということだ。

 中国の最高指導者が首相の靖国参拝と首脳会談開催を直接結びつける発言をしたのは初めてである。靖国問題では譲歩しないという原則を改めて打ち出してきたことは、中国のこの問題に対する強いこだわりを示している。

 友好団体を招いての会談とあって、日本側には胡主席が日中関係改善への新提案を行うのではないかとの観測もあった。期待はずれに終わったのは残念だ。

 日中間の政治関係は冷え切っている。首脳の相互訪問は4年半も途絶えたままだ。国際会議の場を利用した首脳会談も、昨年4月のジャカルタ会談が最後だ。

 1年前の会談で、胡主席は靖国問題に関連し「反省を行動に移してほしい」と要請した。だが、小泉純一郎首相はその半年後に5度目の靖国参拝を敢行した。東シナ海のガス田開発や上海総領事館職員の自殺問題などもあり、日中関係は国交正常化以来最悪といわれるまでの状況に陥っている。

 中国は、小泉政権下での関係修復は見限ったようである。唐家せん国務委員は「小泉首相にはもう期待していない」と明言しているし、温家宝首相も関係悪化の責任は「中国にも日本の国民にもない」と小泉首相と日本国民を切り離す考えを示している。

 小泉首相の任期はあと半年ある。だが、日本の政界は06年度予算が成立し、水面下ではポスト小泉の自民党総裁選レースが動き出している。中国がこの時期に友好団体を招き胡主席が会談に応じたのも、こうした日本の政治情勢を見計らってのことだ。胡発言は小泉首相への批判以上に、小泉後を狙う次期首相候補たちに向けられたけん制の意味合いが強い。

 小泉首相は「靖国問題は外交カードにならない」と言う。しかし、すでに深刻な外交問題になっている現実がある。首相は、靖国問題は「心の問題」とも言う。だが、中国にしてみれば、胡主席が言うように「被害国の国民の気持ち」の問題でもある。

 胡発言を「内政干渉」と受け取る向きもある。今回のような発言が逆効果になる可能性も否定できない。しかし、靖国問題をどう扱うかは、むしろ日本の国民が一番知りたいところだ。外務省が最近発表した国民の意識調査結果では、約8割が日中関係の改善を求めている。

 胡主席が「日中友好の発展は両国の利益とアジアの平和に結びつく」と言うなら、中国には、原則論に固執するだけでなく関係改善の重要性を踏まえた柔軟な対応を求めたい。また、ポスト小泉をうかがう候補者たちには、胡発言に対する明確な答えを持ってもらいたい。


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