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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

メディアと大臣の首

2006-04-15 08:34:24 | 県知事選

昨年の6月、当時の中山文部科学大臣の発言に沖縄の2紙が過剰反応した事を当ブログで書いた。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/4828261024c6afd7937db097fdc500d5

大臣の「そもそも従軍慰安婦という言葉は当時はなかった。なかった言葉が(教科書に)あったことが問題」との発言に対し、琉球新報と沖縄タイムスが従軍慰安婦についての大キャンペーンを張った。

しかし、沖縄2紙の必死のキャンペーンにもかかわらず、当の中山文部科学大臣が首になる事は無かった。

事実を語ったのだから当たり前と云えば当たり前の事。

ところがこの国では一昔前までは、当たり前が当たり前では通らなかった。

昭和六十一年九月、当時の藤尾正行文部大臣が、日韓併合には韓国側も責任があると発言し閣僚を辞めさせられた。

昭和六十三年四月には奥野誠亮国土庁長官が、アジアを侵略したのは白色人種なのに日本だけが悪いことになっていると言って閣僚を辞めさせられた。

中国、韓国についての発言で閣僚が辞めさせられるのには一つの決まった流れがある。

閣僚の「不適切な発言」に、先ず国内メディアが殊更大袈裟に報道する。

これを受けて中国当局が激しく非難の声明を出す。

中国のお墨付きを得て国内メディアは勇気百倍、更にこれを針小棒大に報道する。

動揺した時の内閣は件の閣僚に因果を含めて辞めて貰う。

いずれも中国、韓国が抗議をし、日本のマスコミがこれを支持する大合唱となり、内閣官房が庇いきれないと判断し首にするという流れである。

これが定型化された閣僚辞職のパターンであった。

しかし、時の流れは状況を一変させた。

変人首相は中国に対して「靖国は外交カードにはならない」と公言して憚らない。

就任以来の麻生外務大臣の発言を聞くと、一昔前なら首が幾つあっても足りないだろうと思うが、麻生辞任の噂さえ聞かない。

参考までに麻生太郎外務大臣発言集を紹介しよう。

いわく「創氏改名は『朝鮮人が苗字くれ』と言ったのが始まり」

「軍事費が連続17年間で毎年2桁伸び、内容は極めて不透明。かなり脅威になりつつある」

「靖国の話をするのは世界で中国と韓国だけ」

「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」

麻生外務大臣の発言に対する最近の日本の世論、マスコミ、そして政府の反応は一昔前とは明らかに様変わりしている。

今回も、中国は麻生発言に抗議したらしいが、抗議しても、マスコミや国民の支持共感は得られなかった。

むしろ、中国の新たな内政干渉ということで、対中感情がさらに悪化した。

中国はこういう場合の外交カード、つまり日本を揺さぶり世論を分断する足場を失ってしまったのである。

これは過去三十年間、対日工作を担当してきた中国の関係者にとっては、まったく新しい事態である。

今後もし、今まで通りと思って対日工作を続ければ、それは事態を一層悪化させるばかりであろう。

昨年の小泉総理靖国参拝の際、中国の新聞報道は小さな記事一つだった。

が、日本の各紙は一面で大々的に取り上げた。

その後、日本のマスコミは自国の首相の行動を、激しく絶え間なく論難しつづけた。

これではたとえ中国が引っ込もうと思っても、引っ込みがつかないような事態になってしまう。

こういう場合最も激しく論難するメディアは日頃親中国を自認するメディアだ。

だが彼等の行為は日中友好とは逆の方向へ両国を導く結果となる。

真に中国のことを思う親中国メディアならば、冷静な報道で中国に逃げ場を与えるべきだ。

胡錦濤国家主席は次期首相は「靖国参拝をしない人」とのシグナルを送っているが、小泉首相の後継者が、靖国参拝を続けることはまず確実と見てよい。

首相候補筆頭の安倍官房長官は、2日のNHKなどの番組で、中国の胡錦濤国家主席が「靖国神社参拝をやめれば首脳会談に応じる」と発言したことについて、「政治問題を話し合いの中で抑制するのが成熟した国家同士の知恵だ。政治目的を達成するために会わない、というのは間違っている」と批判した。

更に、「靖国神社は国内にある神社だ。 そこに足を踏み入れていいかどうかを指図することは、どの国もできない」と不快感を示した。

中国首脳の日本批判に対して真正面から反論し且つ堂々と批判する事は今までの閣僚には見られない事だ。

勿論彼がその発言で閣僚辞任させられることはない。

それどころか現在のところ次期首相に最も近い男だと言われている。

日本のメディアが頑ななイデオロギー的報道パターンを続けるのなら、それ自体が日中関係悪化の危険をあえて冒している、といわれても仕方がない。


          ◇         ◇         ◇

 

◆日本の歴代首相は、先の戦争の責任について、反省やおわびを繰り返し表明してきた。

戦後60年がたち、 日本の姿勢は国際社会の理解を得ているが、中国や韓国などには今も、日本の歴史認識を問う声がある。
 
小泉首相の靖国神社参拝もその一因になっている。

先の戦争をめぐる日本政府の歴史認識などを検証した。
(肩書は当時。文中敬称略)

Q 閣僚の問題発言とは 1980年代前半から、閣僚が先の戦争の侵略性を否定する発言を行い中国、韓国の反発を受けて辞任するケースが相次いだ。

それぞれの歴史観に基づく発言だったが、日本政府が表明してきた「反省」や「おわび」
への疑問を、諸外国に抱かせる結果となった。
 
 ▼「韓国にも責任」
 中曽根内閣の藤尾正行文相は86年9月、月刊誌「文芸春秋」掲載のインタビューで、日韓併合について 「韓国にもいくらか責任がある」と発言した。
 藤尾は「日韓併合は、当時の日本を代表した伊藤博文と韓国を代表した高宗との合意に基づいて行われている」「当時、ほうっておいたら朝鮮半島はロシアの属領になっていたかもしれない」との歴史観を披露した。
 中曽根首相は記者団に「われわれは、大事な韓国、中国との関係を良好にするため、本当に心魂をくだいて努力してきた」と不快感を表明。藤尾が辞任を拒否したため、藤尾を罷免した。
 
 ▼「侵略意図無かった」
 竹下内閣の奥野誠亮国土庁長官は88年5月、衆院決算委員会の答弁で、先の戦争について「日本に侵略の意図は無かった」と語った。その後も国会答弁や閣議で「日中戦争は偶発的に始まった」などと発言した。
小渕恵三官房長官は「閣僚の任にある者は、他国の国民感情を害さないように発言しなければならない」と批判。
奥野は辞表を提出した。奥野は辞任の記者会見で「日中両国は迎合し合うのではなく、考えの違いを議論して理解を深めていくことが真の日中友好につながる」と述べた。
 
▼3か月で2人辞任
 94年5月、羽田内閣の永野茂門法相は毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだ」と発言した。
永野は記者会見し、「南京大虐殺は否定できない事実と認識している。私が疑問に思っていたのは、3000人ぐらいから30万人ぐらいまで(犠牲者の)数字が大きく違っていることだ」と陳謝し、発言を撤回した。羽田首相は永野に「発言は適切ではない」と注意、永野は辞表を提出した。
 約3か月後、村山内閣の桜井新環境庁長官が記者会見で「侵略しようとしてやった戦争ではない。日本だけが
悪いわけではない。アジアの国々には迷惑をかけた反面、そのおかげで独立できて、教育も普及したから、
ヨーロッパに支配されたアフリカの国より、はるかに識字率が高い」と発言した。村山首相は「発言は不適切だ」
との談話を発表。桜井は辞表を提出した。
 
▼オフレコ懇談で
 95年11月、村山内閣の江藤隆美総務庁長官が記者とのオフレコ懇談で「植民地時代、日本が韓国に
良いこともした」と発言したと報道された。江藤は記者会見で「(日本が朝鮮で)教育を施し、港や道路を造り、
用水路を開いたというのはいいことをしたと思うが、朝鮮半島の人にとっては、日本が自らの利益のために
やったことで、迷惑千万だというなら、我々の思い違いで、いいことをしたというのは誤りだ」と釈明した。
 村山は「私の談話に沿った考えをしてもらわねば困る」と厳重注意した。その後、江藤は辞表を出した。


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