14時から静岡県の地震防災ポスターコンクールの審査委員会。
以前は地震防災と津波防災を分けて募集していたが、
今は津波を含むという意味で「地震防災」とくくっている。
小学校低学年の部、同高学年の部、中学校の部と3部構成。
今年は小学校低学年の部の応募が妙に少なかったのがちょっと残念。
まぁ、夏休みの宿題に、地震防災のポスターを描くような小学校の1~3年生が、
そんなにいる訳はないか……。
今回、改めて考えさせられたのが「刷り込みの怖さ」だった。
極めて恥ずかしながら、「旅の坊主」も比較的最近になるまで気付かなかったことなのだが……。
駿河湾地震説が発表されたのが1976年。
新耐震基準になったのが1981年。ということは……。
この間は、現行の建築基準で合法的に建てられた建物であっても、
震度6で「グチャ」にはならないまでも、
(注:その当時の気象庁震度階に震度6強・6弱は存在しない)
「修理しなくては住めないくらいの被害は受けるかもしれない」
というレベルの耐震基準であった、ということを意味する。
つまりは、東海地震の揺れを喰らったら、最新・最強の建築基準の家に住んでいたとしても、
揺れの後もその家にそのまま住めるというだけの耐震性は保証されていなかった、
ということになる。
となれば、「避難所(&避難訓練)」「非常用持ち出し袋」に着目されるのも当然、
ということになる。しかし……。
それから40年近くが経過して、今や、震度6強で事実上無傷、震度7でも致命傷なし、
というのが当たり前の世の中となっている。とすれば……。
40年近く前の「刷り込み」に踊らされているのはいかがなものか、と、
思わざるを得なかった。改めて今日、そのことを考えさせられた。
「安全な場所に住もう」「安全な家に住もう」
「今は実現できなくても、将来はそういうことができるようになろう」
もちろん、5年や10年で実現できるとは思っていない。
それでも、こういうテーマに則って夢を絵がしてほしい。
それこそが、あるべき防災ポスターコンクールなのでは、と思ったのだが、
さて、どのくらいの方々の共感を得られることだろうか……。
以前は地震防災と津波防災を分けて募集していたが、
今は津波を含むという意味で「地震防災」とくくっている。
小学校低学年の部、同高学年の部、中学校の部と3部構成。
今年は小学校低学年の部の応募が妙に少なかったのがちょっと残念。
まぁ、夏休みの宿題に、地震防災のポスターを描くような小学校の1~3年生が、
そんなにいる訳はないか……。
今回、改めて考えさせられたのが「刷り込みの怖さ」だった。
極めて恥ずかしながら、「旅の坊主」も比較的最近になるまで気付かなかったことなのだが……。
駿河湾地震説が発表されたのが1976年。
新耐震基準になったのが1981年。ということは……。
この間は、現行の建築基準で合法的に建てられた建物であっても、
震度6で「グチャ」にはならないまでも、
(注:その当時の気象庁震度階に震度6強・6弱は存在しない)
「修理しなくては住めないくらいの被害は受けるかもしれない」
というレベルの耐震基準であった、ということを意味する。
つまりは、東海地震の揺れを喰らったら、最新・最強の建築基準の家に住んでいたとしても、
揺れの後もその家にそのまま住めるというだけの耐震性は保証されていなかった、
ということになる。
となれば、「避難所(&避難訓練)」「非常用持ち出し袋」に着目されるのも当然、
ということになる。しかし……。
それから40年近くが経過して、今や、震度6強で事実上無傷、震度7でも致命傷なし、
というのが当たり前の世の中となっている。とすれば……。
40年近く前の「刷り込み」に踊らされているのはいかがなものか、と、
思わざるを得なかった。改めて今日、そのことを考えさせられた。
「安全な場所に住もう」「安全な家に住もう」
「今は実現できなくても、将来はそういうことができるようになろう」
もちろん、5年や10年で実現できるとは思っていない。
それでも、こういうテーマに則って夢を絵がしてほしい。
それこそが、あるべき防災ポスターコンクールなのでは、と思ったのだが、
さて、どのくらいの方々の共感を得られることだろうか……。
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