「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

常識としての防災と、職業としての防災と

2015-09-14 23:55:50 | 防災学
今回の茨城・栃木・宮城等々での破堤・洪水・長期浸水については、
一応は防災のプロの端くれであるはずの「旅の坊主」なれど、
恥ずかしながら「この災害の本質は○○だ!」との理解には未だ達していない。

メディアでいろいろと報道がされていることはもちろんわかっている。
ただ、その多くが、例によって誰かを悪者にして溜飲を下げている訳で、
そのレベルに本質はない&そのレベルで納得してもらっては困る、とは思っている。
もちろん、被害が出ている以上、本質云々は二の次三の次で、
支援の手を差し伸べなくてはならないことは明らか。
ボランティア仲間がすでに多数現地で活動している訳で、
彼らの活動を前に、理屈をこねている己が申し訳なくも思うところではあるが……。

ともあれ、先週木曜日、ゼミ生2名が民間企業で防災を職業とすることが決まったということもあるので、
この水害では被害を防げなかったのか、という問いを、
常識としての防災と、職業としての防災という観点から整理してみたい。
というのも、プロ級の防災の知識がなければ防げなかった災害、対応しきれなかった災害とは、
全く思えないがゆえのこと。
被災をされた方々には申し訳ないが、防災の常識レベルが低すぎる、ということを、
今回も意味しているのではないか、と。

近くに、といっても、この場合、1、2キロまでは近くという範疇に入るのだろうが、
近くに大きな川が流れていることを知っているか否かは、その土地に暮らす者の常識の範疇だろう。
で、その川がどこから流れてきて、どこへ流れ下っていくのかも、常識の内と思う。
上流部がどこにあり、そこで大雨が降っていたら、時間差でこの場所の水位が上がる。
これは、ちょっと考えてみればわかりそうなもの、ではないのか。

そして、考えたくないこととは思うが、その川の堤防が切れたらどうなるのか。
働かせたくない想像力とは思うが、そういう目で、川の堤防を見たことはないのだろうか。
「いくら何でもそれは想像力欠如というものではありませんか?」と問われて、
「いえ、想像せよ、という方が無理です!」と、住民は、また行政担当者は、答えるのだろうか。

これから先、教え子のうち2名が、プロとして、防災に携わる者となる。
入って数ヶ月もすれば、例えば常総市の地形を見て、
「この地形ですから、一ヵ所切れれば○○ですよねぇ……。」ということを語れる者になっていくだろう。
「この市役所の立地、住宅団地の立地、浸水リスクを考えた上のものなのでしょうか?」と、
疑問を呈することも、当然に出来るようになっていくだろう。

ただ、繰り返すが、それは、防災のプロとして、日々、地図を読むことを重ねなくても、
ちょっとした常識の上で判断できるようになること、ではないのか?

今回の水害、少なくても常総市については、その地形からして、
破堤すれば一発で大規模浸水、ということを見抜くには、さほどの知識が必要とは思われないのだ。
とすれば、そのことを念頭に置き、どうしたらよいかを考えておくことは、そんなに難しいことなのか?
プロの手を借りなければ、どうにも対処方針が立てられないほど、複雑で難しい現象だったのか?

「特別警報が出たら、何事もなく済むとは思わないように!」

これだけのことだけでも覚えていてくれたならば、
ここまでのことにはならなくて済んだようにも思うのだが……。

防災の常識のラインをどうやって上げていくか。
大変大きなテーマである、と思っている。もちろんやりがいのあるテーマでもある。
だが、時に、犯人捜しをして正義の見方ヅラする諸々には、腹立たしく思う……。
(本人たちに悪気はないのかもしれないが……、不勉強が過ぎる!と言うのは言い過ぎ?)


コメントを投稿