<宍粟市千種町>
『金屋子神祭文』の冒頭には、播磨国にいた「タタラ集団」が、
さらなる生産地を求めて西へと向かった話が描かれていました。
何でも、金屋子神が最初に現れたのは、奥出雲の近辺ではなく、
播磨国宍相郡(兵庫県宍粟市千種町)付近でして、
金屋子の神は、日照りに悩む千種の村人に対し、
「わたしは金山彦、天目一箇神とも呼ばれる金屋子神である」
と告げ、彼らにタタラの技術を教えたのだそうです。
そして、「製鉄産業を広めるために西に行く」と言い残し、
白鷺に乗って飛び去って行ったのち、金屋子神社のある
能義郡比田の森(安来市広瀬町)に降り立ったのだとか。
ちなみに、千種町の「種」は、「鉄」を表す言葉で、
昔、千種町のあたりでは上質の鉄が取れたと聞きます。
となるとまず気になるのは、播磨にいたタタラの民が、
どのような出自の人々だったのかということですね。