天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

地上三センチの浮遊

2019-04-14 20:13:45 | エッセイ
「可愛いの罠」

頭が年中お花畑のせいか、ちょっとぼんやりしたところがあるせいか、言動なのか、雰囲気なのか、「可愛い」と評されることが多々あります。

人に敵意を持たせない、人を威圧させないという意味では、美点だとは思います。

「可愛げ」を持たない人間は、周囲を疲弊させたり、自らを破壊したりしてしまいます。

なぜなら「可愛げ」は、丸さや、至らなさまで含むからです。

四角で完璧なものは、文句のつけようはないのですが、それ故に、摩擦を生みやすいものでもあるとは思います。

何にでも、いい面と悪い面があるように、「可愛らしさ」にも、悪い面があります。

「可愛い」対象になるものは、幼いものであったり、小さいものであったりすることが多いです。脅威を感じないものー悪く言えば、取るに足らないもの、軽んじてもいいもの、侮られもの、とも言えるのです。

自分自身、必要のないところで、「可愛い」扱いをされ、忸怩たる思いをしたことあります。

軽く見られ、ちゃんと言葉を受け取ってもらえない。悲しいというより、絶望に近い気持ちです。

言葉を尽くしても、聞いてももらえない。言葉を重ねたら、恫喝されてしまう。

もがいても、あがいても、1人の人間として対峙してもらえない。

これは、とても苦しいものがあります。

「可愛い」を目指したほうが、楽に思えるかもしれません。「可愛い」ほうが、得するように見えるかもしれません。

老婆心ながら、長い目で見れば、お勧めはしません。

ちやほやされたり、特別扱いされたり、楽で美味しいポジション(多分それは幻想なのですが)についたりできるかもしれません。

それでも、それは泡のようなものです。ちゃんとした足場がないので、崩れてしまいます。

もちろん、可愛らしさで籠絡している間に、自分の能力を磨く人もいるでしょう。 したたかで、タフな人々もいるものですから。

けれど、皆が持っている能力ではありませんし、羨ましがっても、妬んでも、心が疲れてしまうだけのような気がします。

あまり「可愛い」に、引きずられない方がいいと思います。

「可愛げ」は、相手も自分も許す(甘やかすとは違います)ことによって、おのずとついてくるような気がします。

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