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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 魏主子攸、爾朱栄を刺殺す

2012-07-21 08:29:27 | 十八史略
魏胡太后臨朝以來、嬖倖用事、政事縱弛、盜賊蠭起、封疆日蹙。魏主詡寖長、太后自知所爲不謹、務爲壅蔽、母子嫌隙日深。時六州大都督秀容酋長爾朱榮、兵強。高歡見榮、即勸擧兵清帝側。會魏主殂。胡太后鴆之也。後諡曰孝明皇帝。爾朱榮擧兵、立孝文之姪長樂王子攸、沈胡后于河。封榮太原王。還晉陽。北海王奔梁。梁立之、遣將送入洛陽。子攸出奔。爾朱榮渡河來救。走死。子攸歸。加榮天柱大將軍。榮蓄不臣之志。魏主陰謀誅榮。榮入。手刺之。

魏の胡太后朝に臨んで以来、嬖倖(へいこう)事を用い、政事縦弛(しょうし)し、盗賊蜂起して、封疆(ほうきょう)日に蹙(ちぢ)まる。魏主詡(く)、寖(ようや)く長じ、太后自ら為す所の不謹なるを知り、務めて壅蔽(ようへい)をなし、母子の嫌隙(けんげき)日に深し。
時に六州の大都督、秀容の酋長爾朱栄(じしゅえい)、兵強し。高歓、栄を見て即ち兵を挙げて帝側を清めんことを勧む。魏主の殂(そ)するに会う。胡太后之を鴆(ちん)せしなり。後諡(おくりな)して孝明皇帝と曰う。
爾朱栄、兵を挙げて、孝文の姪(てつ)長楽王子攸(しゆう)を立て、胡后を河に沈む。栄を太原王に封ず。晋陽に還る。
北海王(こう)、梁に奔(はし)る。梁之を立て、将をして送って洛陽に入らしむ。子攸出奔す。爾朱栄、河を渡って来たり救う。、走り死す。子攸帰る。栄に天柱大将軍を加う。栄、不臣の志を畜う。魏主、陰かに栄を誅せんと謀(はか)る。栄入る。手ずから之を刺す。


嬖倖 お気に入り。 縦弛 弛むこと。 封疆 封土の境。 壅蔽 壅はふさぐ、蔽はおおう。隠して知らせないこと。 嫌隙 すきま。 六州 并・肆・益・広・恒・雲。 秀容 山西省朔県。 姪(てつ) 甥。

魏の胡太后が朝廷に臨むようになってからは、寵臣が国事を握り、政治が緩んででたらめになり、各地に盗賊が蜂起して、領土も日々にせばまった。魏主の元詡が成長するにつれ、太后も自身の不謹慎な所業を羞じ、つとめて不行跡を隠そうとしたので、母と子の隙間がひろがった。
そのころ、六州(りくしゅう)の大都督で秀容の酋長爾朱栄の兵は強勢であった。高勧は爾朱栄に会うと、挙兵して魏主の側近を粛清するよう勧めた。ところがそのうち詡が世を去った。胡太后が毒殺したのである。後に孝明皇帝と諡された。
そこで爾朱栄が挙兵して孝文帝の甥にあたる、長楽王の子攸を立て、太后を黄河に沈めて殺した。功績によって爾朱栄は太原王に封じられ、晋陽に還った。
すると同じく孝文帝の甥の北海王が梁に亡命した。梁はを立てて、将軍を伴って洛陽に進軍させた。子攸は洛陽を逃れると、爾朱栄が黄河を渡って救援に駆けつけ、は敗走して死んだ。子攸が再び洛陽に帰ると、爾朱栄に天柱大将軍の称号を与えた。やがて爾朱栄は謀叛の野望を抱きはじめ、魏主子攸はこれを察知すると密かに栄を誅殺しようと謀り、参内したとき自ら手を下して刺し殺した(530年)。


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