ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

36歳の時

2017-10-16 23:27:20 | 日常
薄暗い曇りの朝、昼弁当は用意したが朝食がいまいち進まない。
冷蔵庫に放置してあったコンビニの干し葡萄蒸しパンを出して来た。
オーブントースターで焦げ目がつく程度に焼き、これを朝食とした。

さて、仕事行こう。

・・・・・

仕事終わった。
今日は昼休みに散歩に出る事もしなかったな。
何だか空腹だ。
食堂でカレー食べて帰ろう。

珍しく常連客も来ておらず客は私だけだった。
来た来た、カレー。

うまー♪
食べていると常連客が入って来た。

あーウマかった。
有り難や。
腹ごなしに遠回りして歩いて帰ろう。
街路樹がナトリウム灯に照らされている。
 




またも二十世紀梨を食べる。
時期はもう終わりだな。


昨夜、たまたま気が向いて「THIS IS US」というテレビドラマを見た。
主人公達が36歳で人生の分岐点に立っている。
36歳か。
今日、道を歩きながらその事を考えていた。

自分が36歳の時に何をしていたか。
36歳の時私はまだ札幌にいて脳外科の病院で働きながら定時制の看護学校に通っていた。
散々社会人をやった後に行き詰まり進路を見失った事を切っ掛けに病院の介護業務をしていたが
職場の上司から勧められて進学した。
受洗後6年めだった。
両親や妹とは全くの絶縁状態で10年以上経過していた。
長年音信不通になるに至った家族との問題と向き合う事も無く、
ただ無条件で赦されただけの罪人である自分自身のあり方すら自覚していなかった。

当時眠るとよく夢に患者さんが登場した。
重篤でいつ何時急変しても不思議の無い、明日出勤したらもういないかも知れないあの人この人が
よたよたとふらつきながらこちらに歩いて来る夢や、床一面に鼻血を流すのをガーゼで拭き取って計測する夢を見て
飛び起き、心電図モニターの心拍を刻む音が聞こえないためにパニックになって、自室で寝ている事に気づくまでに
しばらく時間がかかったり、そんな日々が多かった。
36歳の自分の誕生日は全く記憶に無い。
そんなものに構ってはいられない非日常が自分の日常であり、目の前の他者の生死に直面する日々の中では
臨床でまだ一人前になってもいない36歳の自分がこれから何処に向かうのかを省みる余裕は無かった。
翌年に父が孤独死しかけて否応無しに自分の進路を軌道修正するべく追い立てられるまで、
日々患者さんの急変の夢にうなされながら修行中のつもりでいた。
そんな36歳の自分はお気楽だったと今思う。
何故なら36歳の自分はそのまま脳外科分野で急性期、慢性期、リハビリ期と経験を積んで
お礼奉公で奨学金という借金を返済し終える頃には脳外科のあらゆる部門の知識と経験を身に着けて
颯爽と働いているであろうと自分を思い描いていた。
年齢だけは老けていても臨床では一人前ではない看護学生の36歳は受け持ち業務すらしていなかった。
傍らで見ていただけだからこそ人の死を恐怖に感じた。
日々急変し亡くなって行く人々を目にしながらまだ自分が直接人の死に携わった事はまだ無く、
人の死の様々なあり方に向き合う事も経験していなかったのに、
随分虫のいい未来を思い描いていたものだとも思う。

36歳の時の自分は人の死に遭遇する事が無闇に怖かった。
絶縁していた父が一人自室で死にかけたのを切っ掛けに、36歳で思い描いていた方向とは全然違う
消化器外科で働きながら徐々に衰えて行く父と向き合う事になった。
考える事はいつも自分の行動に追いつかない。
36歳から10年間は突然来る誰かの死に対して常に身構えて考え行動する日常を通過し、
棚上げしてあった自分の二人の親達と向き合い、いつか来る彼らのこの世の最後の日に対して身構えるようになった。

ドラマの中に、36年前に赤ん坊だった自分を捨てた父親を見つけ出した男が登場する。
再会した父親は極貧であり末期癌だった。
息子は何とか適切な治療を受けられるよう奔走する。
父の生涯が終わってしまう前に彼にはしなければならない事がたくさんある。
再会した父親の残り僅かな余命。
その限られた時間のうちに彼は取り戻し、詰め込むためにこれから時間と戦うのだ。
まだ話していない事や伝えていない気持ちや36年間共有出来なかったありったけの喜怒哀楽を、
とりわけ嬉しい事と楽しい事を。

36歳だった自分は人の生死をそのように見てはいなかった。
日々の仕事で日常的に見ておりながら、
自分がこの世での最後の日に向かって時間と戦う現実の中にある事に眼を向けていなかった。
36歳の時点で自分は向き合うべきものと向き合っていなかった。

ドラマの登場人物には「明日」というものがある。
36歳の主人公達には37歳に向かって物語の時間が流れている。

今、ここまで書いて私はこの9月に逝去された人を思い出している。
35歳で世を去ったために36歳になる事が出来なかった。
SNSを通じてこの日記ブログを読んで下さり、TLでは日本の幻想文学や音楽の話をした。
PCを通したネットの向こう側には生身の人間がいた。
私達は皆、時間と戦っている。
自覚するしないを問わず、誰もが時間と戦っている。

年末が迫って来る

2017-10-15 18:23:15 | 日常
未明に寒くて一度覚醒したが二度寝していた。

気が付いたら10:00…やばっっ教会行かないと!

雲がええ具合の晴天。
礼拝に遅れた。。。。。orz


黙祷
招詞 詩編107;1~3
讃美歌(21) 18 452
聖句唱和 ヘブライ12;2
信仰告白
祈り
讃美歌(21) 383
聖書朗読 ヘブライ12;1~3
説教
讃美歌(21) 441
献金 讃美歌(21) 64
祈り
派遣 讃美歌(21) 91
祝祷

誰かからの頂き物の胡蝶蘭は健在。


礼拝の後、昼食あり。
炊き込み御飯と株の浅漬けに豚汁、独断と偏見で一味大量乗せ。


昼食後、月一の会議。
来月の役割分担、行事日程。
もうクリスマス行事の準備に入る。
今年の待降節は第1主日が12/3、遅いんだな。
それにしても11月12月行事多過ぎ。
来月何とか日曜休みを2つ申請してある。
牧師夫妻の出る第九演奏会に行きたいからなぁ。
チケット買った。

宣教師と教会仲間と一緒にバスに乗って帰宅する。
風が冷たい。
葉っぱが赤くなった。


結局雨は降らず一中晴れていた。


母に安否確認の電話を入れたが電話に出ないので直接訪ねたら、いた。
携帯をマナーモードにしていて着信に気づかなかったらしい。
過去に一人でトイレで昏倒して顔面強打したまま半日引っ繰り返っていた前科があるので多少肝を冷やした。
何事も無かったので、ま、いいか。

今日も徘徊

2017-10-14 22:37:27 | 日常
2連休であるが寒い。
暖房全開で鼻の穴と喉が乾燥してかぴかぴだ。
今朝は晴れているが夜半には雨が降ると天気予報が言っていた。

ここしばらく味覚が変で、普段食べないものを食べたくなる。
ナポリタンもそうであったが昨夜近所のパン屋で無性に食べたくなってピロシキとカレーパンを買った。
買うには買ったが昨夜は食べずに冷蔵庫に放り込んでおいたのをオーブントースターでカリカリに焼き
2個とも食べた。

午前中はまたもグールド晩年のゴルトベルクを聴きながら珈琲を飲んでいる。
ルワンダスカイヒル、残りあと少し。
こうして部屋にいても寒いから午後は散歩しに行こう。

・・・・・

散歩に出かける。
近所のカトリック教会の横を通る。
今は無いが、かつてここに鐘楼があった。
(写真は2009年5月4日16:41撮影)


小学生の時、毎日聞いた鐘の音であった。
四半世紀も経ってここの土地に戻って来てからもよく御聖堂にお邪魔して鐘の音を聞いた。
しかし10年くらい前から鐘が鳴らなくなった。
そして2011年の大震災の後、鐘楼が傾いているのを見た。
翌年に鐘楼は取り壊された。
その頃不思議な体験をした。
部屋で昼寝をして何か夢を見た。
無い筈の鐘の音が鳴っていた。
目が覚めても耳の奥に既に無い鐘楼の鐘の音が鳴っていた。
今もその場所を通る度に鐘楼のあった場所を見上げてしまう。


風はそんなに冷たくない。
昔通った中学校の校舎の脇を通る。
木々の色が変わった。
  


  




陸橋まで歩いて来た。
ここに来るのは何年ぶりだろう。
西へ行く線路。


一度下に降りて反対側の階段を上る。
私が子供の時からある古い倉庫。


東を見ると遠くに駅が見える。


この赤いのは何だっけ。


もう一軒の大きなカトリック教会の前の通りに出た。

門が開いている。
入り口に行くと玄関前に鐘が二つ置いてあるのに気づいた。
神父様が声をかけて下さった。
お邪魔して御聖堂でしばし祈った。
土曜日なので御聖堂の掃除をする婦人達が出入りしていた。
ベンチに腰掛けてしばらく祈った。
どのくらい時間が経過したかわからないが帰ろうとして玄関に行くとまた神父様に声をかけられた。
市内に住んでいるのか、日曜日に教会に来ませんか、と。
違う教派で受洗した者であり、もう一軒の古い教会の近くに住んでおり
ここに移って来た頃からそちらの御聖堂にお邪魔したりご近所の信徒の方達と顔見知りになって
随分仲良くして頂いたと話した。
いずれの方々も天国に帰って行かれ、御聖堂も今は閉鎖されている。
所属教会と名前を名乗り挨拶して出ようとした時、玄関前に置かれている鐘が目に入った。
あの鐘は、と尋ねると二つのうち一つは私が子供の頃からよく聞いた、
今すぐ傍を通って来た御聖堂の鐘だった。
もう一つは近郊の町の鐘だそうな。
この鐘の音を子供の時からいつも聞いていたと話すと神父様は
「今も鳴りますよ」
と言った。
快く写メを撮らせて下さった。

思わず手で撫でた。
古い友人と突然再会したみたいに懐かしい。
今は下に置かれており、吊り下げないと音は響かないがこんな所にいたのかと思った。
感謝を伝え、外に出た。

オンコ(櫟)の木が赤い実をつけている。
冬だな。


岸壁の方角に向かって歩くと、今まで気づかなかったが歩道に妙な絵が貼ってある。
 


てくてく歩いてここまで来た。


雨が来ると聞いていたが全然天気良い。


閲覧室でロマネスク期の建造物の写真集を見る。
珍しく先客がいた。
私よりも年齢の若いであろう女性が一人、陳列してある映画雑誌を世話しなく
片っ端から開いては閉じ、開いては閉じ、一通り開いて閉じた後、座る事も無く立ち去った。


1時間ほど写真集に見入っていた。
バルコニーから港と岸壁が見える。


カラスがこちらを伺っている、




岸壁まで歩く。








岸壁は今日も船が集まっている。


間もなく日没。


橋の上から日没が見られそうだ。








何だか人が集まって来た。
















日の入りを見たのは久しぶりだ。


随分歩いた気がするが、1万歩にすら達していない。
もっと歩きたいが陽が落ちた後は徒歩だと寒すぎるのでバスに乗った。

・・・・・

帰宅。
何だか凄く良い事があったような有り難い心持である。
何だろう、漠然としているが何か大きな恵みと祝福を突然一方的に頂いた気がする。
意味は全く分からないがそんな気がする。

断捨離追いつかない

2017-10-13 22:09:32 | 日常
昨日までの雲が吹き払われて行く。

出勤のバス待ち寒い。

今の職場に来てPCを使える人がいないため整理出来ず使えずにいた書類を
自分の仕事の合間に少しずつ整理して使えるようにしている。
仕事で空き時間のある事は重要な利点である。
老人福祉施設でPCが使える人間がいなかったり、いたとしてもエクセルが使えなくて
溜まっていく情報を整理出来ずただ蓄積していくだけでいざと言う時に大変な思いをしなければならない場面は
過去に勤務した介護福祉施設で嫌と言うほど遭遇した。
出来ると言うほどには得意ではないが仕事がし易いように色々なものをまとめたり整理している。
その分、運動不足に陥り易いので時間を見つけては出来るだけ歩き回っている。
施設にいる高齢利用者達はこれまでの特養と違って重介護状態の人が少なくて認知症はあっても
会話が成立し喜怒哀楽がはっきりして意思疎通可能である。
昔の歌を一緒に歌ったり昔の映画俳優の話をしたりする事が出来る。
亡き父の在宅介護時代の頃と同様のADLの人が多いので
我儘で振り回される事も多いがその分話題を共有する事も出来る。
晩年に到達しながらもまだ余白部分に出来る事が残されている。

・・・・・

昼休み。
いい天気なので公園に来た。


 

 


古い木製のベンチが日光で温まっている。






朝から自室で転倒した人があり念のため病院に行って貰った。
突発的に受診する医療機関に情報提供する添書を送るにしても古い情報が整理されていなくて
即座にぱっと出せない苛立ちがあったがとりあえず受診には間に合った。
こういう緊急時に慌てないようにしたいなぁ。

・・・・・

仕事終わった。
バスまだ来ない。
黙って立っていると全身冷え切ってしまうし時間がもったいないので歩こう。
そうそう、母が半分以上つまみ食いしてしまったと言うおぼろ昆布を買って行こう。
明日明後日2連休だし、自分の食べるものも買って帰ろう。

母は元気そうだった。
おぼろ昆布は商品棚にあった4袋全部買って届けた。
塩分過多になるのでつまみ食いし過ぎないようにと全然説得力の無い説明をした。

そういう自分は昼休みにコンビニで買って来たおやつを食べて誤嚥した。
最近よく誤嚥するなぁ。


帰宅すると2個目の赤花が開花していたが日照時間が短くなったためか開き切れずにいた。


動画を物色していて見つけた。
この人の音楽大好きだ。
Yann Tiersen - La Veillée


La plage - Yann Tiersen


Yann Tiersen - Porz Goret


明日は晴れるらしいが夜半には雨が来るそうなので早めに散歩しておこう。
雨が降ったら部屋の掃除。
仕事だけでなく自分の部屋の中も整理しなければならないものが溜まっているなぁ

小ぶりな赤花

2017-10-12 22:07:38 | 日常
今日は降らない筈であるがやはり雲は重たいままだ。
湿度高く、空気は冷たい。

晴れたらもっとキンキンに冷えるのだろう。
冬だからな。

・・・・・

昼休み。
昨日の往診で処方された定期薬の山をひたすら整理する日。
今の職場に来て以来、
昼休みは休憩と言うよりも外の空気を吸って気分転換に歩くための時間になった。
微妙にぽつぽつ降り始めてきたが傘を差すほどではないのでまた散歩に出る。
路肩の植え込みにまだ花が生き残っていた。
輪切りの人参みたいな色だ。


・・・・・

仕事終わった。
一日中ぐずついて重苦しい空模様だった。

先日母とまた食材の話をした時、おにぎりは海苔で巻いたのしか知らないと母が言った。
海苔以外におぼろ昆布で巻いたり削り昆布を塗したり、そういう食べ方があってウマい事を知らないらしい。
たまたまスーパーの期間限定イベントで来ている店の削り昆布を1袋購入して差し入れた。
数日前に差し入れたおぼろ昆布はつまみ食いしているうちに半分以上食べてしまったらしい。
じゃ、明日また買って来るよ。

帰宅すると赤花が咲いていた。
冬に入って日照が短くなったためか随分小さくて直径15cmしかない。


明後日の朝には萎むだろう。
しかし次の蕾がもう開花の態勢になっている。


今宵も聴き入るグールド晩年のゴルトベルク。
その後一人ナポリタンの歌を歌っている。
♪なっぽりたんーなっぽりたんー、なっぽりたんー、たーべたいっっ♪

ジャンクフード食べたい

2017-10-11 23:19:57 | 日常
ううう何と寒い朝だ。
雲は重たく雨が落ちて来た。
寝起き悪い。

しかし仕事行かないと。

・・・・・

昼休み、雨は止んでいたので外に出た。
書店とコンビニに立ち寄ったが本は何も買わなかった。
コンビニではおやつ買った。
干し梅。

・・・・・

仕事終った。
今日は往診があってそれなりに忙しかったが年寄り達は重たい雲のためか皆だるそうで眠そうだった。
他の職員達も自分もやたら眠い。

さて帰る。
これまでの仕事と違って運動量が圧倒的に少ないため無性に歩きたい。
脚の筋肉が運動を要求している。

途中、青果店で二十世紀梨を買おうとしたら最後の1個だった。
もう時期が終わりらしい。
幸水とか豊水とか、長十郎の仲間はまだたくさん売っているのになぁ。。
スイカの時期が終わった今、二十世紀梨以外の何を食べればよいのだ。

大型スーパーにも寄って惣菜のナポリタンをまた買ってしまった。
殆ど病気だ。
こんなものを食してよい筈が無い。
今日までにしておかないと後で大変な事になりそうな予感がする。

休日の朝食べるバゲットを切らしたのでパン屋で買うついでに差し入れ用の米粉パンも購入。
珍しく夕方になっても買えた。
先日は完売していた。

ナポリタン食べたいの歌が脳内で回り続ける。
困った。
何か違う歌無いかな。
めんどくさい歌もナニャドヤラもナポリタンには勝てない。

朱色、橙色

2017-10-10 22:25:56 | 日常
明け方まで起きて動画を見ていた。
動画を見ながら腹筋を鍛えていた。
動きを止めると寒くていられないので軽い腹筋運動をしながら動画を見ていると体が温まってくる。

ううう寒いけど起きよう。
仕事に行かねば。

・・・・・

30分居残って仕事を終えた。
何だか忙しかったなぁ今日。
それでも30分程度の居残りで済んだ。
有り難や。

バス停に行くとちょうど帰りのバスが来た。
母に安否確認の電話を入れると元気そうだが寒いと文句言う。
着々と冬が近づいて来る。
朱色と橙色と黄色と朽葉色。

昨夜、レトルト非常食のシチューに湯掻いたブロッコリーと人参も加えて食べた後、胃が痛くなった。

最近、野菜を食べた後に胃痛が起こる。
しばらく胃の中を見ていない。
内壁に大量発生した塊は1年のうちにもっと増殖している事だろう。
悪性ではないというから放置している。
出血でもあればその時に処置すればいいとでかい病院の医師が言っていた。
私もそう思う。
胃痛はあの群発した塊とは無関係らしいし、
定期採血では貧血の項目に引っ掛かったデータは無い、吐血もしていない。
胃痛に対しての内服も処方されている。
中を肉眼で見たところで何の解決にもならない事がわかり切っている。

断捨離。
父の生前の通所介護記録を介護録ブログに入れてノートそのものは順次廃棄するが、
作業はなかなか進まない。
デイケアノートの表紙は利用者の誰かのちぎり絵作品だ。
からすうりをちぎり絵にした人は健在だろうか。


月見の時期が終わって芒は穂が開いた。
鬼灯とツルウメモドキはまだ鮮やかな朱色と橙色なのでそのままにしてある。


遺品のノートの表紙絵、遺影に飾った植物、外を歩けばナナカマド。
目につくあらゆるものが朱色や橙色、山吹色、朽葉色、カロチノイド系の色相をしている。

極楽蜻蛉の休日

2017-10-09 22:45:12 | 日常
雨。
休日の今日は朝から雲が重たく雨を予告していた。
遅い朝食。


寒いし暗いし、食後は自室で珈琲を飲んでいる。
バリアラビカ神山。
深い甘みとコクがある。
普段飲んでいるモカと比べると豆の粒が凄く大きい。
いやモカの豆が小さいのか。
大豆と小豆ほども差がある。

毎朝60粒の珈琲豆を数えて淹れたと言われるベートーベンの飲んでいた珈琲豆はどんな豆だろうか。
どんな豆で60粒数えたのだろう。

曇りで寒いため外出はせずグールト晩年のゴルトベルクを聴いている。
不眠症の貴族のために作曲されたというが私には逆効果である。
真剣に聴き入ってしまって脳内麻薬全開、頭が冴えてギンギンになる。
病みつきになってプレーヤーのリピートスイッチを入れ、演奏時間約1時間のこの楽曲を一日中何度も繰り返し聴く。

・・・・・

Twitterのトレンドに「ギンヤンマ」が上がっているので見てみたらシュールで素晴らしい。
ギンヤンマに夢中な歌舞伎役俳優の記事を読み無闇に楽しく幸福な気分を味わっている。
昆虫好きの歌舞伎俳優の人が雌カマキリの着ぐるみを着て
捕らえたギンヤンマに「俺と交換しないか、人生」と語りかけ
「人生ギンヤンマでもいいと思わない?」と言ったりして最高にクレイジーだ。
好きだなぁこういう人。
動画見て何とも楽しく幸せな気分になった。

グールド晩年のゴルトベルク、2度繰り返し聴き終えて今3度目、魂抜かれる。
自分の音楽の好みは極度に偏っておりバッハの鍵盤楽曲は
ピアノはグールドだけ、オルゲルはヴァルヒャ、チェンバロはレオンハルトしか好きでない。
それ以外の演奏家のも買い集めて聴いたがどれもこれも売り払い、
今手元に残してあるのはグールド、ヴァルヒャ、レオンハルトだけである。
そもそもバッハそのものもそんなに好きでも無く演奏家の出す音が好きなのかも知れない。
グールドが弾くと大嫌いなワグナーやモーツァルトでさえ聴き入る。

・・・・・

グールド晩年のゴルトベルク、3度繰り返し聴き終え、今4度目。
自分は子供の頃虫が苦手だった・・・と思ったが、よく考えると記憶違いだった。
何故なら捕虫網持ってトンボを佃煮状態になるほどたくさん捕獲したり
朝から晩までモンシロチョウやモンキチョウやトノサマバッタを捕獲して夢中だった記憶がある。
今は虫を捕獲したりはしないが散歩の道すがら遭遇するとつい写メを撮ってしまう。
いい具合の角度で撮れなかったりするので道端に立ち止まってあらぬ方角に向かって携帯電話を構えるので
通行人やバス待ちの人々から避けられたり遠巻きにされたりする事がある。
しかしそんな事は気にしない。
今年の夏はカラスアゲハをよく見かけた。
今の時期は孔雀蝶をよく見かける。
親近感あるよ。
しかし今年はキリギリスやトノサマバッタとは全然出会えなかった。
クサカゲロウも見かけなかった。
その年の気候によって市街地に出没する虫が違っていたりする。
そうかと思えばこの夏は翅蟻の吹雪のような大量発生にも遭遇した。
赤トンボは今年はあまり見かけない。
年々少なくなっている気がする。

グールド晩年のゴルトベルク、4度繰り返し聴き終え、今5度目。
気が済むまで繰り返し聴く。

気付いたら夕刻で室内が真っ暗だ。
グールド晩年のゴルトベルク、かれこれ10回以上繰り返し聴き続けていると思う。
朝からずっとこの楽曲ばかり。
数えるのはめんどくさいからやめた。
中毒に限りなく近いかも知れない。
夕食は、一日引き籠もって動かないのでそんなに食べなくていい。
千切りキャベツにマヨネーズ少しとウスターソースかけたものだけで済ませた。

冬だな、と思う。
淹れた珈琲の冷め方が早い。
この次の休みが晴れるといいな。
路面が凍らないうちに歩けるだけ歩きたい。

また雨が来る

2017-10-08 23:32:03 | 日常
昨夜ぽつぽつ雨の中を傘差して帰宅し、今朝また傘持参で出勤する。
雨降るんだか晴れるんだか見た感じではわからない朝の空。

母は雨は降らない筈だからパン買いに行くと昨夜言っていたが、どうよ。

・・・・・

昼休み。
何だか湿度高く蒸し暑いと思ったら太陽が暈を被っている。

窓を開けても風が入って来ない。
息苦しい。

・・・・・

仕事終わった。
三連休の中日の今日、一人で日勤だった。
祝祭日は受診や処方など立て込んだ業務が無いからだ。
一日何事も無く安静に済んで有り難や。

明日一日休みだ。
天気悪そうだから引き籠もってまだ見ていない映画DVDを見ようかな。
見たら断捨離。
なかなか物が減らない。

牛乳を切らしたので買って帰ろうとスーパーに立ち寄った。
またも惣菜のナポリタンを買ってしまう愚かしさよ。
スーパーの総菜売り場に行くとあの歌が脳内を回るのだ。
♪なっぽりたん~なっぽりたん~なっぽりたん~、たーべたいっっ♪♪


結局雨は降らなかったので母は無事にパンを買って来たらしい。
他にも何か買い物をしてきたと電話で事細かに語る。

机の上がまた書類で山になっている。
片付かないなぁ。

あれ、何処からか花火大会の音が聞こえる。
見えないけど。
何処で打ち上げているのだろう?

一昨日の海散歩の膨大な写真画像を整理し切れずまだこの日記ブログに上げる事が出来ない。
よくもまあ節操無く撮ったものだ。
捌き切れないうちに次の休日が来てしまうではないか。
PC内に溜まった写真も何とかしないとな。
写真ブログの更新も止まったままだし。
明日、天気よければ外出してまた何か撮るかも知れない。
天気悪ければ掃除と断捨離。

少しずつ身軽になろう。

未開封の瓶詰

2017-10-07 22:30:08 | 日常
未明から覚醒しているが寒くてベッドから出られない。
ううう仕事行かないと。
寒さで挫ける季節がいよいよ来たのだな。

・・・・・

昼休み、外の空気を吸いに出た。
雨が来そうだ。

空気が湿って朽ちた小枝の匂いがする。

・・・・・

定時に仕事終えて帰宅し、思い立って冷蔵庫内の断捨離と清掃に取り掛かった。
一日の労勤よりも重労働だった気がする。
賞味期限が5年前に切れた「梅油」とか3年前に切れた「山わさび醤油漬け」とか
未開封の瓶詰をいろいろ廃棄した。
何故こんな長期間廃棄せずにいたかと言うと、瓶の蓋が硬くて開かなかったからだ。
最近入手した蓋明け器を使っても開かなかった。

未開封の瓶詰を廃棄するにしても中身を取り出し瓶を分別して捨てなければならない。
前回の断捨離の時は蓋開け器もまだ入手していなかったので開封して中身を捨てる事が出来ず
横着にもそのまま冷蔵庫に戻したのだった。
この度は蓋開け器を以てしても開かないので大工道具で蓋を切り裂いて中身を取り出し瓶を洗浄して廃棄した。
冷蔵庫内がすっきりした。
それにしても蓋開け器の梃子の原理を使っても蓋の開かない瓶詰を販売している業者は
余程自社製品を消費者に食べて貰いたくなかったらしい。
期限が切れたから廃棄ではなく腐ったから廃棄でもなく、蓋が開かず食べられないまま5年間放置したので廃棄。
もうこのような瓶詰類は買わない事にしよう。
どんなにウマそうな瓶詰であっても蓋開け器を用いてすら開けられないのは
食べる事自体不可能でありどうしようもない無駄である。
結局食べられないものを買って廃棄するのだから愚かな事だ。

すっきりして妙な達成感を得た。
明日も仕事だ。

徘徊の日

2017-10-06 23:21:06 | 日常
晴れ。
本日一日仕事休み。

ごろごろだらだらしたいと思うが部屋の中にいても寒いだけだ。
海に行く。

バスに乗ろうとしたら少しの差で行った直後だったらしい。
では次のバスが来るまで歩こう。

木々の枝は葉が落ちて寂しくなってきた。


路肩に植えられた審判の喇叭が朝晩の低温に抗っている。


落ちる前の明るい黄色。


白樺は幹が露わになった。


バス待ちしていると足元に飛んで来た。
車が行き来するバス通りは風が強い。
翅にかかる風圧を避けようとするのか翅を閉じたり開いたりする。







翅の目玉模様でこちらを威嚇する。
携帯を構えてその目玉模様を撮ってやろうとするが風のためすぐ翅を閉じるのでうまく模様が撮れない。
しばらく睨み合っている間にバスが来た。

・・・・・

海だ。
久々の海。








前にも増して砂が波で削られている、と言うよりは抉られている。
打ち上げられ、置き去りにされた貝殻。

打ち寄せる波は届きそうで届かない。

10月の海は鋭い銀色をしている。
しばらく波を眺める。






























帰りのバスが来るまで1時間近くもある。

週日であるが1時間に1本しかバスが来ない。
去年頃からバスの運行が半分に減ったのだ。
土日祝日ならその更に半分だ。

間もなく昼だ。
バス時刻まで道の駅の食堂で豚丼を食べる。
豚肉は厚さ4mmくらいはあるかな、柔らかい。
山椒をかけて食べる。


食堂は昼時だと言うのに客が少ない。
交通の便が悪く夏が終わって海を喜ぶ観光客も来なくなったためか。


帰りのバスが来た。
市内に戻る。

・・・・・

市内に戻った。
高台方面に行くバスを待つ。
植え込みの花にさっき見たのと同じ蝶達が群がっている。
写真はそれぞれ全部違う個体達である。

もう数日すると明け方には霜が降りる。
それまでの命だ。

・・・・・

市内の浜に来た。
満ち潮であるが波は殆ど無い。












高台の上にあった赤い屋根に白い壁の学校の廃屋は現在取り壊し工事中。
立ち入り禁止で近寄る事は出来ない。
あの位置からの海の眺めは当分見られない。


急傾斜の坂を上った。
更に高い場所から海を見る。






視界は一面銀色。


日が暮れるまでまだ十分時間がある。
岸壁まで戻って来た。


漁船が集まっている。




縄張りを巡って睨み合うオオセグロカモメとカラス。


バカでかい船がいる。


閲覧室のある公共施設に向かう。


どう見ても漁船ではない客船でもない船が視界を占領している。


ここは日当たりがいいのかナナカマドの実の色が濃い。


これから閲覧室でまたビザンチン美術の画集を眺める。




・・・・・

太陽が低くなった。
岸壁に戻ろう。
日没は見えるだろうか。

太陽が暈を被り沈殿した雲がいるから夕日は見えなさそうだ。
中途半端に気温が高いからだ。

頭上を見上げると鳥が旋回していた。


岸壁の茶屋でビッグイシューを読む。
やはり今日も日没は見られなさそうだ。




ん。
たった今、揺れたよね?
震度2くらいかな。

持って来たビッグイシュー2冊とも読み終えた。
やはり夕日は無理だな。








帰宅途中母から着信あり。
お高いシャインマスカットを買ったので分けてくれた。
煮物も。
夕食で早速頂いた。
 

巨大粒のマスカットは甘いが個人的にはキャンベルの方が好きだ。
皮をがじがじ噛み締めて強い酸味が出て来るのがいい。

・・・・・


気分転換と暖房節約を兼ねて朝から晩までほっつき歩き回いた。
休日らしい休日、有り難や。

さっき岸壁にいる時地震があって揺れたがやはり震度2だった。
Twitterを開いたら何とM6.2?
しかもその後全国各地で揺れ、東北からお江戸、横浜方面までも揺れたらしい。
あこちで揺れ始めているのか。
嫌な感じがする。

洗濯をしながら反省飯をまた炊いた。

小分けして冷凍、毎日の昼食に持参する。

明日からまた仕事だ。
昼の弁当は簡単なものにしておこう。

昔、子供が大勢いた

2017-10-05 22:50:20 | 日常
今朝も快晴。
雲がいないと空気が皮膚に刺さるほど冷たい。

冬物セーターと冬ジャケット、脚には弾性タイツと軍足を着用し出勤する。
弾性タイツは血栓予防というよりも防寒目的になってしまっているが。

今日1日働いたら明日1日休みだな。

・・・・・

昼休み。
反省飯おにぎりを食べた後、外の空気を吸いに出た。
雲が伸びて来た。
間近に迫り、圧倒的な力で視界を塞ぐ。






この公園で、就学前の妹と小学生だった私は毎日近所の同年代の子供達と遊んだ。
誰かがボールを持っていれば数人集まって円陣を組んだり向かい合わせになってバレーボールの真似事をしたり
野球をやっている子供達も大勢いて逸れた球が飛んで来るのを警戒しなければならなかった。
低学年や幼稚園や保育園の子供達は砂場の砂を掘って山を作ったり棒倒しをしたり、
年長の子供達と一緒にブランコや滑り台やシーソーで遊んでいたので野球の球は本当に危なかった。
子供達が大勢いた時代、誰もが遊ぶ場所を求めてあっちの公園こっちの空き地と仲間連れ立って場所を探した。

紙芝居のお爺さんが毎日この公園に来たのを憶えている。
自転車に手作りの木製の枠と厚紙に描かれた絵の束を積んでお爺さんはいつもやって来た。
この公園の中で自転車を停め、拍子木を打つと我々子供は走って行ってお爺さんを取り囲んだ。
皆、所持金など与えられていなかったが親が在宅の子供は10円か20円をねだって貰って駆け付けた。
爪楊枝の先に黒糖飴がついているのが5本入りで確か10円だったと記憶する。
お爺さんはくじも売っていて当たるとその黒飴がまた余分に貰えるとか
「型抜き」というのを買って巧く型を抜く事が出来るとこれまた黒飴が貰えるのだった。
黒糖の飴の味を覚えたのは公園の紙芝居の爺さんの黒飴からだった。
紙芝居のお爺さんは突然来なくなった。
道路で車に撥ねられて亡くなったと大人達の噂を聞いた。
撥ねた車を運転していた若者の親が知り合いだとかいう近所の人がいて言い広めていた。
毎日公園で楽しみに見た筈の、肝心の紙芝居は何だかよく憶えていない。

子供は大勢いて誰もが退屈しており何して遊ぶかの相談をしていた。
誰か1人が野球かバレーのボールを持っていれば集団で遊べた。
ボールに触る毎に歓声を上げ大声で数を数えたり点呼取る真似事をしたり、賑やかだった。
我々子供達の人間関係も多様だった。
同級生の遊び仲間と、同年で他の学級の友達と、同じ団地の建物に住んでいる友達と、その兄弟姉妹もいて
ボール遊びをするためにそこらにいる同年代ならば誰にでも声をかけて頭数を集めて遊んだ。
昼過ぎの今の時刻は皆学校に行っているが、まだ学校に行っていない幼児達が集まって遊んでいた。
年長の子供達が学校から戻って来るまでは公園で安全に遊べたのだった。
夏休みには盆踊りで浴衣を着た子供達が集まり、
冬休みには団地の町内会の人々が公園の雪を踏み固め水撒きしてスケートリンクを作り、
子供達が大勢集まって犇めきあいぶつかって転んだりケガなどもよくした。

今、公園には私一人しかいない。
初夏にはここは一面真っ黄色い絨毯を敷き詰めたようにタンポポが咲く。
今は伸びた草が枯れ古木の切り株から茸が延び出ている。
踏み散らす子供がいないからだ。
 


ん。
誰もいないのかと思ったら高齢の夫婦らしき男女がベンチで一緒に何か食べている。
ちょうど食べ終わったところなのか二人は立ち上がった。
一人は手車みたいなものを押し一人は杖を突いてゆっくりと、連れ立って帰ろうとしている。
杖の方が手押し車の方を気遣って先に行かず待っている。
老老介護かな。
天に在りて比翼の鳥、地に在りて連理の枝。
私の両親にはついぞ見る事の無かった姿である。

・・・・・

仕事を定時に終えた。
明日の休みは天気が良いらしい。
満月にまだ1日足りないが薄白く明るい月が昇って来た。


母宅に様子を見に立ち寄ると先日差し入れた十五夜の芒と鬼灯を喜んでしきりに愛でるので
花瓶に挿した様子の写メを撮った。

こんな些細な事でも喜ぶものなのか。

明日休みだから今夜は夜更かしする。
夜更かしのため糖分を摂る。
六花亭の青豌豆大福と栗きんとん。
くりきんとんやっと食べた。
六花亭の栗きんとんは例年競争率高くていつも完売して買えなかったのがやっと今日買えた。
最後の2個だった。


洗濯をし、音楽を聴きながら編集途中のこの日記ブログを更新したり写真画像の整理をしている。
明日は久しぶりに散歩しよう。
ここしばらくは休日と言えば台風が来たり大雨だったから。
ぶらぶらそこらを歩くだけでいいのだ。

道路が凍らないうちに

2017-10-04 20:52:29 | 日常
朝は快晴。
空気が凍りつつある。

・・・・・

昼休み。
今日も天気がいいので散歩に出た。
外の空気を吸いに。














ん。
古木を伐採した切り株に何か茸が。
これ、スーパーで見た「ヒラタケ」と似ている。
ヒラタケか?

ヒラタケかどうか、食べてみないとわからないな。

・・・・・

仕事終わった。
寒い。
顔がキリキリ痛い。
もう冬物に着替えないと仕事帰りが寒くてダメだ。
バス待ちが耐えられないほどキンキンに冷えるので徒歩で帰宅する。
歩けば少し体が温まる。
道路が凍らないうちに歩けるだけ歩こう。

冷奴が食べたいので豆腐を買った。
母の分も買って差し入れすると寒いのに暖房は勿体ないからと使っていないらしい。
体調管理よりも暖房費節約を優先するのか。
リスク高い選択である。
先日差し入れた芒と鬼灯を上手く活けて綺麗だ綺麗だと喜んでいる。

そういえば子供の頃十五夜だと言って母が芒を飾ったのを一度だけ見た記憶がある。
一回切りだったけど。
時節の行事を母は面倒臭がるが、飾るものや食べるものをこちらから差し入れると喜ぶ。


月が出ている。
今日は十五夜だったな。
見た目まん丸に見えるが満月は明後日だ。
中秋の名月と呼ばれる十五夜は必ずしも満月とは限らないらしい。

私の眼には明るく丸く大きく見えるが古い携帯電話のカメラではゴミのようにしか写らない。

雨あがり

2017-10-03 22:45:01 | 日常
朝と言うのに暗い。
雨の音が聞こえる。
景気よく降っているなぁ。

・・・・・

湿度高い。
しかし雨は止んだ。
風が無く蒸している。

昼休み、外を少し歩く。
雨上がりの雲が面白い。





コンビニに入って、おやつを物色したがやはり今日も干し梅を買った。

・・・・・

仕事終わった。
陽がどんどん短くなる。
バス待ちしている間に真っ暗になってしまった。
風が凍りつつあって顔と手足が痛い。
明日からは冬物の衣類に着替えて出勤した方がよさそうだ。
六花亭の青豌豆大福持参で母の様子を見に行ったら寒くて一歩も外に出なかったと言う。

月が出た。
満月まであと3日。

満月の金曜日、夕方晴れるといいなぁ。

それにしても眠い。。。。

バニラアイスには岩塩

2017-10-02 21:27:29 | 日常
予報では晴れと言っていたが薄曇りである。
明け方は寒かった。
赤花がまた開花しようとしているがもう少し気温が上がるのを待って外気に当ててやろう。


まず白菜を蒸す。
肉厚の部分だけを切って豚こまとしめじ、エノキタケと一緒に鍋にぎゅうぎゅう詰めにする。
昆布茶を適量ふって蓋を閉じ、極弱火で加熱すると水を使わないのに鍋に汁がなみなみと溜まってくる。
薄くて柔らかい葉先の部分を追加してそのまま極弱火のまま蒸す。
本来はストーブの上に乗せた鍋で自然と出来上がる料理だった。
しかし鍋を乗せる事の出来るストーブなんて無いからガスレンジの小バーナーで極弱火で蒸す。

白菜を蒸しながら朝食。
茹で野菜とパンとオリブ油。
食後に柿。
 


そうそう、鉢植えを外気に当ててやらないと。

珈琲を淹れた。
バリアラビカ神山という名前がついている。
嚥下した後、口の中に甘味が残る。
甘味、苦味、酸味のバランス。

アイスが融けるのを待っている。
洗濯が済んだ。

このバニラアイスウマいよ。
塩かけて食べるとなおウマい。

白菜煮込み完成した。
反省飯のおにぎりを2個作って出来立ての白菜煮込みと共に母宅に届けた。
母は本日通院で長時間の診察待ちでくたびれているらしい。

日差しが弱々しく薄暗いと思ったら太陽は薄雲に覆われていた。
今日も夕日はダメかな。


自分も昼食にしよう。
白菜煮込みと反省飯と鰯の味噌煮缶詰。
 


午後は寝具を取り換えて大洗濯。
掃除も済んだ。

ようつべでずっと聴いている。
8時間の長い動画、というか画像は動かないけどね。
よく眠れると書いてあるけど始めから終わりまで全部聴いたら8時間。
1日の1/3だよ。
Sleep well! Gregorian Music: 8 Hours!

しかし私は眠らずにこれを聴いている。
好きなので。

断捨離は遅々として進まず。
父の生前の通所介護サービスやヘルパーの記録を引っ張り出して来て、机の上に山積みしている。
もう更新する事の無い介護ブログに時系列で追記しする作業に取り掛かっている。
入力済んだデイケアノートやショートステイ記録をどんどん廃棄していく。
遺品類も徐々に処分、廃棄する。
自分の物も順次処分する。
思い入れの残る物を整理し手放して身軽になる。

連休2日目はこうして引き籠りのうちに終了した。
明日からまた仕事。