昨年7月6日に父が帰天し、教会での葬儀と、死後の事務手続きと
父宅の片づけ、遺品整理、部屋の清掃と明け渡しを完了し、
8月10日に教会墓地に納骨と、一気にを済ませた。
仕事では急変対応が多くて随分くたびれていた。
めそめそする間も無いほどしなければならない事が山積していた。
父はこの地上での苦しみを終えて天の御父の元に行った。
だから辛気臭くなりもせずただ時間に追われていた。
PCを開いてSNSを見ると、
ブログを通して父の死を知った人から挨拶のメールが来ていた。
その文面を見て固まった。
メールは私への慰めの言葉に始まり、
近況報告の中で前の年に一人息子を亡くした事が書かれていた。
母一人子一人の、その人にとってたった一人の家族である息子だった。
唯一の家族である一人息子を亡くした人の無念な思いに比べたら
私が父親を天に見送った事など蚊に刺された程度にも及ばない。
若い人が亡くなって残された親を見るのは辛い。
以前20代の若い教会員が婚礼を2か月後に控えながら
無免許無保険無車検で指名手配中の人物の暴走車に
激突されて亡くなった時も、
その人の両親と配偶者になる筈だった人を思い浮かべた。
メールを頂いてそんな事を考えていた昨年9月、
教会仲間の息子が突然不慮の事故で亡くなった。
まだ20歳になっていなかった。
父が生前日曜日に教会で会えるのを楽しみにしていた子だった。
誰もが思う事だ。
「どうしてだろう。
どうしてこんな酷い事が起こるのか、
神様はどうしてこんな…」
死生観が問われ、
信仰者の確信がぐらぐら揺れるのはこんな時だと思う。
こうして去年は私の父の葬儀の翌月に若い人の事故死が起こり
教会は立て続けに葬儀を出した。
正直、私は自分の父親の死の時よりもこの教会仲間の息子が
突然事故で命を落としたと知った時の方が
感情を抑えられなかった、今でも何故か抑えられない。
84歳だった父の死は長い生涯のうちに悩み苦しみながら
最後まで完走した、達成とか完了と言い表せるような
晴れやかなものの気がする。
若い人はある日いきなり奪われるようにいなくなった。
人の死は死であっても
私の父の死と教会仲間の息子の死とが同じ筈はなく
地上に残された者にとってはむしろ全然違うものの気がする。
身近な人の死を乗り越えたかどうかと尋ねられると
私の場合は父が生きて介護していた時に消耗し過ぎたのか、
父の死が忌むべきものとも不幸な出来事とも思われず、
長い苦しみをやっと終えた父が天国に凱旋して行くような、
晴れやかなイメージがどうしてもある。
父が息を引き取った朝も、前夜式の日も、告別式の日も晴れていた。
出棺の時の太陽は眩しく、火葬場に向かう時に見上げた空が
一つの雲もない深く青い青空、快晴だったからだろうか。
病床で迎えた死と不慮の死とでは受け止め方が当然違う筈だ。
人の死を「親族の死」という一括りにはできない。
悲しみは共有出来るようでいて、出来ない。
私は父の死に納得し、反芻して色々考え記録し分析する余裕があった。
父が生きている時から死が来る事を意識して身構えていたからだ。
7月6日の父の死去から1か月のうちに、短期間で全ての事を完了し
職に復帰して自分の生活を最優先する事が出来た。
しかし息子を失った人はそうではない。
1年経ったからと言って何かが変わる事はない。
子供を失った人の時間は告別式の直後のまま止まっている。
子供を失った人は「朝が辛い」と言う。
寝坊するよと起こしてやる必要が無くなった。
早起きして弁当を作ってやる必要が無くなった。
毎朝していた事があれもこれも要らなくなった。
何もしなくてよくなった朝が辛いと。
決して共感し得ない人の思いに情緒だけで共鳴し過ぎて
どうも私は心理的に引き摺られている気がする。
この事について助言を頂いた。
私の言った、死が天国への凱旋である事は間違いないと。
たとえ不慮の死であっても神が呼ばれたものだ。
だから死は天国への凱旋であり、
そこに目を向けられたらその人は楽になるのに、と。
その通りだ。
何故なら生命は全て神のものだから。
キリスト教徒の死生観とはそのようなものだ。
「そうなんだよ。思い通りにならないよね。
それは僕達の生命が自分の物ではないからなんだ。
病気になったのはあなたのせいじゃない。
誰かのせいでもない。
生命は預かり物なんです。
誰から預かったのか、
あなたにとって神様か、仏様か、ご先祖様か、
僕は知らないけど。
預かり物だから決して自分の思い通りにならないし、
故障だってします。
預かり物はいつか返さなければならないし、
返す時まで慈しんで大切にしなければならないんだ。
故障してて辛くてもね。」
「あなたは弱くないよ。
本当に弱い人は
自分で自分の事なんて考えられないもの。
あなたは悩む事ができるし、
考えて、話して、泣く事もできる。
強いんだ。
強いからできるんだ。
乗り越えられるよ。必ず。」
看護学生だった時に出会った精神科医が
絶望した人にそう話したのを私は聞いた。
あの時の精神科医は信仰者だった。
生れる時も生きている時も死ぬ時も、
私達の命は主の御手の中にある。
「主」とか「キリスト」と言う言葉を使わず言い表された、
信仰者の死生観を私は反芻している。
パウロが言ったとおりである。
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。
(ローマ14;7~8)
生きるにしても、死ぬにしても。
自分自身の生き死にならば受け止めやすい。
しかし身近な人をどんな形であれ天に見送った者にとっては
そうではない。
常に後悔と自責が自分の中にある。
私自身でさえ1年経っても
父の入院していた病院の前を通る時に嫌でも頭を過ぎる。
酷い目に遭わせて死なせてしまった、
拘縮した手が少し動いたからとベッド柵に紐で縛りつけ
水平仰臥位で口腔ケアをした挙句に上顎を傷つけて血液を誤嚥させ
まともに体位変換すらせず仙骨にも踵骨にも褥瘡を作り
8ヶ月間もIVHカテーテルを交換せず菌血症に陥らせ
下血しても共同偏視が起って急変しても
「年寄はこんなものだ」と見もしなかった、
あんな劣悪な強制収容所同然の老人病院に入院させたのは私だ。
そのために父を酷い目に遭わせてしまった。
もっと話しかけてやればよかった。
もっとあれもこれもしてやればよかった。
急変する前にあの劣悪な病院から転院させればよかった。
「苦しみを終えて天国に行った」とは言っても
その苦しみの原因は私が作った。
後悔する事は数え切れない。
まして事故や自死という形で突然子供を失った人は
どんな思いで、どれほど自分を責め続けるだろう。
あの時何としても引き止めていればこんな事にならなかった。
もっとゆっくり話を聞いてやっていたらこんな事にならなかった。
どうしてもっと早く気付いてやらなかったのか。
そのように自分を問い詰めて自分を責め続け、
生涯悔やみ続けるだろう。
自分を責め続ける人に何と話しかけたらいいのか、
かける言葉が見つからない。
仕事も辞め食事も摂らず寝ても起きても自分を責め続ける人が
その責めから解放されるにはどうすれば。
ここでも助言を頂いた。
「神様はあなたを責めるだろうか?」
と問われて気付く場合があると。
これは大事な事だ。
あくまで信仰者同士の間の会話である。
私達信仰者は主なる神の赦しと憐れみの無限な事を知っている。
身近な人の事故死や自死を防ぐ事が出来ず
助ける事が叶わなかったために自分を責め続けて
苦しむ人を神は責めない。
そのような人を裁いて責め苛む事を神が決してなさらない事を
私達信仰者は知っている。
死生観は神への絶対的な信頼である。
神が責めないものを責めてはならないのだ、
それが他者であっても自分自身であっても。
父宅の片づけ、遺品整理、部屋の清掃と明け渡しを完了し、
8月10日に教会墓地に納骨と、一気にを済ませた。
仕事では急変対応が多くて随分くたびれていた。
めそめそする間も無いほどしなければならない事が山積していた。
父はこの地上での苦しみを終えて天の御父の元に行った。
だから辛気臭くなりもせずただ時間に追われていた。
PCを開いてSNSを見ると、
ブログを通して父の死を知った人から挨拶のメールが来ていた。
その文面を見て固まった。
メールは私への慰めの言葉に始まり、
近況報告の中で前の年に一人息子を亡くした事が書かれていた。
母一人子一人の、その人にとってたった一人の家族である息子だった。
唯一の家族である一人息子を亡くした人の無念な思いに比べたら
私が父親を天に見送った事など蚊に刺された程度にも及ばない。
若い人が亡くなって残された親を見るのは辛い。
以前20代の若い教会員が婚礼を2か月後に控えながら
無免許無保険無車検で指名手配中の人物の暴走車に
激突されて亡くなった時も、
その人の両親と配偶者になる筈だった人を思い浮かべた。
メールを頂いてそんな事を考えていた昨年9月、
教会仲間の息子が突然不慮の事故で亡くなった。
まだ20歳になっていなかった。
父が生前日曜日に教会で会えるのを楽しみにしていた子だった。
誰もが思う事だ。
「どうしてだろう。
どうしてこんな酷い事が起こるのか、
神様はどうしてこんな…」
死生観が問われ、
信仰者の確信がぐらぐら揺れるのはこんな時だと思う。
こうして去年は私の父の葬儀の翌月に若い人の事故死が起こり
教会は立て続けに葬儀を出した。
正直、私は自分の父親の死の時よりもこの教会仲間の息子が
突然事故で命を落としたと知った時の方が
感情を抑えられなかった、今でも何故か抑えられない。
84歳だった父の死は長い生涯のうちに悩み苦しみながら
最後まで完走した、達成とか完了と言い表せるような
晴れやかなものの気がする。
若い人はある日いきなり奪われるようにいなくなった。
人の死は死であっても
私の父の死と教会仲間の息子の死とが同じ筈はなく
地上に残された者にとってはむしろ全然違うものの気がする。
身近な人の死を乗り越えたかどうかと尋ねられると
私の場合は父が生きて介護していた時に消耗し過ぎたのか、
父の死が忌むべきものとも不幸な出来事とも思われず、
長い苦しみをやっと終えた父が天国に凱旋して行くような、
晴れやかなイメージがどうしてもある。
父が息を引き取った朝も、前夜式の日も、告別式の日も晴れていた。
出棺の時の太陽は眩しく、火葬場に向かう時に見上げた空が
一つの雲もない深く青い青空、快晴だったからだろうか。
病床で迎えた死と不慮の死とでは受け止め方が当然違う筈だ。
人の死を「親族の死」という一括りにはできない。
悲しみは共有出来るようでいて、出来ない。
私は父の死に納得し、反芻して色々考え記録し分析する余裕があった。
父が生きている時から死が来る事を意識して身構えていたからだ。
7月6日の父の死去から1か月のうちに、短期間で全ての事を完了し
職に復帰して自分の生活を最優先する事が出来た。
しかし息子を失った人はそうではない。
1年経ったからと言って何かが変わる事はない。
子供を失った人の時間は告別式の直後のまま止まっている。
子供を失った人は「朝が辛い」と言う。
寝坊するよと起こしてやる必要が無くなった。
早起きして弁当を作ってやる必要が無くなった。
毎朝していた事があれもこれも要らなくなった。
何もしなくてよくなった朝が辛いと。
決して共感し得ない人の思いに情緒だけで共鳴し過ぎて
どうも私は心理的に引き摺られている気がする。
この事について助言を頂いた。
私の言った、死が天国への凱旋である事は間違いないと。
たとえ不慮の死であっても神が呼ばれたものだ。
だから死は天国への凱旋であり、
そこに目を向けられたらその人は楽になるのに、と。
その通りだ。
何故なら生命は全て神のものだから。
キリスト教徒の死生観とはそのようなものだ。
「そうなんだよ。思い通りにならないよね。
それは僕達の生命が自分の物ではないからなんだ。
病気になったのはあなたのせいじゃない。
誰かのせいでもない。
生命は預かり物なんです。
誰から預かったのか、
あなたにとって神様か、仏様か、ご先祖様か、
僕は知らないけど。
預かり物だから決して自分の思い通りにならないし、
故障だってします。
預かり物はいつか返さなければならないし、
返す時まで慈しんで大切にしなければならないんだ。
故障してて辛くてもね。」
「あなたは弱くないよ。
本当に弱い人は
自分で自分の事なんて考えられないもの。
あなたは悩む事ができるし、
考えて、話して、泣く事もできる。
強いんだ。
強いからできるんだ。
乗り越えられるよ。必ず。」
看護学生だった時に出会った精神科医が
絶望した人にそう話したのを私は聞いた。
あの時の精神科医は信仰者だった。
生れる時も生きている時も死ぬ時も、
私達の命は主の御手の中にある。
「主」とか「キリスト」と言う言葉を使わず言い表された、
信仰者の死生観を私は反芻している。
パウロが言ったとおりである。
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。
(ローマ14;7~8)
生きるにしても、死ぬにしても。
自分自身の生き死にならば受け止めやすい。
しかし身近な人をどんな形であれ天に見送った者にとっては
そうではない。
常に後悔と自責が自分の中にある。
私自身でさえ1年経っても
父の入院していた病院の前を通る時に嫌でも頭を過ぎる。
酷い目に遭わせて死なせてしまった、
拘縮した手が少し動いたからとベッド柵に紐で縛りつけ
水平仰臥位で口腔ケアをした挙句に上顎を傷つけて血液を誤嚥させ
まともに体位変換すらせず仙骨にも踵骨にも褥瘡を作り
8ヶ月間もIVHカテーテルを交換せず菌血症に陥らせ
下血しても共同偏視が起って急変しても
「年寄はこんなものだ」と見もしなかった、
あんな劣悪な強制収容所同然の老人病院に入院させたのは私だ。
そのために父を酷い目に遭わせてしまった。
もっと話しかけてやればよかった。
もっとあれもこれもしてやればよかった。
急変する前にあの劣悪な病院から転院させればよかった。
「苦しみを終えて天国に行った」とは言っても
その苦しみの原因は私が作った。
後悔する事は数え切れない。
まして事故や自死という形で突然子供を失った人は
どんな思いで、どれほど自分を責め続けるだろう。
あの時何としても引き止めていればこんな事にならなかった。
もっとゆっくり話を聞いてやっていたらこんな事にならなかった。
どうしてもっと早く気付いてやらなかったのか。
そのように自分を問い詰めて自分を責め続け、
生涯悔やみ続けるだろう。
自分を責め続ける人に何と話しかけたらいいのか、
かける言葉が見つからない。
仕事も辞め食事も摂らず寝ても起きても自分を責め続ける人が
その責めから解放されるにはどうすれば。
ここでも助言を頂いた。
「神様はあなたを責めるだろうか?」
と問われて気付く場合があると。
これは大事な事だ。
あくまで信仰者同士の間の会話である。
私達信仰者は主なる神の赦しと憐れみの無限な事を知っている。
身近な人の事故死や自死を防ぐ事が出来ず
助ける事が叶わなかったために自分を責め続けて
苦しむ人を神は責めない。
そのような人を裁いて責め苛む事を神が決してなさらない事を
私達信仰者は知っている。
死生観は神への絶対的な信頼である。
神が責めないものを責めてはならないのだ、
それが他者であっても自分自身であっても。
私も朝が一番辛かったです。
理由は、
昨日、1日かけて、なんとか、慣れてきた現実の悲しみと苦しみを
目覚めた瞬間から、また、一から感受していかなければならなったからです。
遠い昔のあの日の事は、私が将来、認知症になったとしても(笑、
記憶に残っていて欲しいです。
ずっと胸に秘めてきた悲しみの体験が、今では勲章のように思えるから。
あの日の事で忘れられない事があります。
何度も思い出し、何度も心温まり涙ぐんだ事があります。
それは、あの時お世話下さったナースさん達が、
私達のために涙を流して下さった事です。
こんな事も、医療従事者であるナースさん達にしたら、
日常茶飯事であるはずなのに、
私達のために、悲しんでくれ、泣いてくれた。
よくある事、と受け止めずに、初めてみた私の家族の事を
かけがえのない命として受けとめて、悼んで下さった。
あの日の看護師さんの涙が支えとなり、希望となり、
私は、まっすぐ前だけを向いて生きてこられたのだと、
心から思っています。
看護師さんという職種に対する私の思いは深いです。
愛と感謝と尊敬の念を抱ける対象があるという事は、
本当に幸せな事です。
スタッフに恵まれたのですね。
その場の人前で泣く事はまずありませんが
帰宅した後に思い出して泣けてくる事は誰でもあります。
共感で涙を流す事は大切だと思います。