ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

上の前歯が先に生えたら

2019-02-26 21:52:44 | 日常
待機でない夜を爆睡し、すっきりと覚醒した。
ラジオで古楽をやっている。
無名の古楽は癒される。
これらの無名の楽曲が誕生し奏でられた時代の人々にも、
今の時代に生きる我々と同様に日々の生活の苦楽があったのだと思う。
元々古楽が好きでCDを色々買い集めて聴いてきた。
気に入って四六時中聴き入る曲がいずれも作者不詳なので誰にも紹介出来ず、お薦めも説明も出来ない。

起き上がりもせずごろごろしながらTwitterのお仲間と話をしていた。
正義は相対化されるものではない。
しかし正義でも真理でも何でもかんでも相対化し「すべての価値は相対的だ」という病みを持つ人が
何故生まれてしまうのか、について話している。
その病みは何処から来るか。
己にとってその場で保身に都合の良い事だけを「正義」と認定するなら、
僅かでも時間と物事が動けば歪み(ひずみ)が生じる。
その歪みを認めずその場で更に己に都合の良い理屈を作り出し、「これが正義」「これが真理」と認定し
ひたすら保身に走り続けるなら、無数の「捏造された正義」が生じる。
当然それは正義でも真理でもないが、自らの誤謬を認めないためには正義を捏造し続けなければならない。
「すべての価値は相対的だ」と言い逃れても病みは病みだ。
ん。
何か何処かで聞いた事あるな。
何だっけ・・・
あっあれだ。
あらゆる精神疾患の症状の最初に出て来るのが「病識の欠如」だった。
私は間違っていない、私は正しい、私は病気ではない、私には何の問題も無い、私はちゃんとやっています。
自分の誤謬を無い事にするために、捏造された正義がどうしても必要なのだ、切実に。
休日の朝から友達とTLで話し込んだ“「すべての価値は相対的だ」という病み”“「捏造された正義」”は
病者の「病識の欠如」と凄く似通っている。

8:56。
-2℃か。
暖かいなぁ。


ぶらぶら歩いていたら路肩に猫がいた。
日光に当たっている。
暖を取る事の出来る貴重な時間。


川面に氷はもう無い。












太陽は雲に遮られたりまた現れたり。


微風。


蓄積疲労のためか普段食べたくならないサラダが無性に食べたくなってわざわざファミレスに来た。
酸っぱい林檎ジュース。


ガムシロップ付いて来た。
どうしろというのだ。


さぁ、今からこれら全部食べるであるよ。


サラダ一つ目完食、イカ唐揚げサクサク。


イカ唐揚げ完食、次のサラダ。


Twitter見ながらゆっくり完食。


バスが来るまで林檎ジュースの残りを飲んで待つ。
ニュースを見ていると広告が多くて苛立つ。
化粧品の広告だ。
80歳に手の届く齢の老婆が「赤ちゃん肌を目指す」を謳う化粧品のCMで
「娘と姉妹に見られます♪」
て、あんな醜悪で気持ち悪いものが他にあるだろうか。
80歳にもなって年齢相応の人徳よりも面の皮を磨く事に固執する執念深さが壮絶である。
気持ち悪い事この上無い。

残りの林檎ジュースちびちび飲んでバス待つ筈が、2分でバスが来た。
一気飲みして街に向かっている。
休日だけど忙しいな。

・・・・・

岸壁に来た。




ひょうきんな街灯のある公園を通る。


またここに来た。


閲覧室に行く。


見たい本があるのだ。
前回来た時チラ見して、ずっと気になっていた写真集だ。


小さな子供が頼り無げに一人立っている写真がある。
何歳くらいだろう。
2歳か3歳くらいかな。
この写真の子供の事ではないに違いないが、解説が書かれている。

 「ハマル族には、乳児の前歯が上から先に生えた場合(通常は下から生えてくる)、
  旱魃を呼ぶ悪魔の子とみなし、ブッシュに捨てる風習がある。
  私が97年に訪れた折にも、その1日前にひとりの子供が犠牲にされたと聞いた。」
                        『神よ、エチオピアよ』(野町和嘉著 集英社1998)


やっと乳歯が生え始めた時に捨てられ、一人荒れ野を彷徨う子供の絶望を考える。
行き倒れて餓死するか、野獣の餌食になるか、どちらか。

・・・・・

いつも眺めるビザンチン美術の画集を開いた。
4世紀前半のローマの墓所に描かれた女性は「泣き虫」と呼ばれる。
眼に涙を溜めて天空を見上げている。
この時代の人物画は表情豊かだ。
埋葬されている死者は男性らしい。

・・・・・

日が傾いた。




日向の雪は消えつつある。


いつも1人か2人の老人しかいない、なんちゃって植物園の椿。


・・・・・

今日は歩いた。
明日からまた仕事だ。
最近荒れているなぁ。。


昼間見たエチオピアの写真集が気になる。
やはり思い浮かんで来る。
乳歯が生え始めたばかりの乳児。
捨てられて行く宛も無く途方に暮れて泣き叫びながら荒れ野を彷徨う、
幼な子が味わったであろう絶望。