朝だ。
太陽が暈を被っている。
予報では雪が降るらしい。
先日有給を取って定期通院に充てる筈だったが、その日のっぴきならない事例があって
臨時受診の同行業務が入り、最初から対応してきた自分が有給取ってる場合ではなくなったため
元々週休の今日急遽自分の受診に来たら、何と外来が混み合い過ぎて診療受付終了していた。
しょーがないので採血と処方だけ依頼した。
ハシブトさんがこっち見てる。
塒があるのだった。
ここ数年間ずっと同じ場所にある。
先月はインフルエンザの二次感染を避けて受診せず残薬で凌いでいたのだった。
今日薬を処方しないと今月は受診のための週日の1日休みは無いので内服だけ確保した。
昨夜職場からの呼び出しは無く二連休になったが明日は教会で定例の教会員会だし何だか忙しい。
何か、あれこれ追い立てられているなぁ。
・・・・・
街に出た。
先日凍っていた川。
雪が来るから気温が高いのだと思う。
川上に向かって岸壁を歩く。
太陽は暈を被ったままだ。
上流に進むと川面はまだ凍っている。
一つ上流側の橋まで来た。
ここは観光客も来ない、まして市民も殆ど来ない寂れた場所である。
足下は水溜りが凍結と融解を繰り返して層厚くなだらかな斜面と化した氷の路面。
橋桁は温度差で融けてまた凍った雪が鍾乳洞の壁のような氷柱を無数に作り出している。
釣り人か近くの住民か、おじさんが「ひゃー滑る滑る」と一人呟きながら擦れ違った。
ここは抜け道らしい。
橋の上に出た。
ここは仕事で移動する時くらいしか通らない。
徒歩で来たのは何年ぶりだろう。
橋の下で凍った路面と戦っている間に空の様子が変わっていた。
オオセグロカモメとハシブトガラスが足場の争奪戦で賑々しい。
ハシボソさんはいないんだなと思ったら、いた。
こんな近くに。
体感的には厳寒の真っ只中でも、川面を見ると氷が融けている。
日陰の氷はまだ厚い。
空の様子がどんどん変わる。
橋を渡って対岸に下りた。
ここは土手の陰で氷が厚い。
薄雲越しの鈍い太陽光。
ここからいつも通る川向うを見るのは久しぶりかも知れない。
眺めが悪い訳でも何でもないが、散歩しても何故かこの辺りには足が向かない。
空気が違う気がする。
淀んでいるのでもなく、何だろう、根拠なく寂しく薄暗い空気のようなものを感じて、
以前丘の上で勤務していた時にタクシーに乗ると
「料金が高くなってもいい、どうしてもこの場所を通りたくないから」
と言ってわざわざ遠回りして別の橋から丘に上った。
何が嫌なのか、自分でもわからず何の根拠も無く迂回するのが常だった。
しかしある時運転手が言った。
「お客さんだけでなくて、この界隈に住んでいる人でもそう言って
別の橋から遠回りして上ってくれって言うお客さんが多いんですよ。」
へぇと返事をして忘れていたが、ずっと後になってから職場の雑談で聞いた。
この写真に写っている川の此岸一帯は、空襲の時に遺体で埋め尽くされた場所だった。
空襲で焼け出された周辺地区の住民達が家屋を焼かれ大火傷を負いながら川岸に逃げ延びて来て這って川に落ちて、
或いは全身火脹れのままで惨たらしく絶命し、その大勢の遺体でこの川岸一帯がぎっしり埋め尽くされていたと。
そのせいかどうはかわからないが景色は悪くないのに、またここを通った方が合理的で近道であっても
何故か無意識に足が避ける場所である。
私も、凍った川面を撮ろうなどと思いつかなければここには来ない。
また橋の上に上がった。
凍っているなぁ。
今の時期に川に落ちると助からない。
水面が氷で蓋を被せられた状態のため、泳ぎの達人でも助からない。
川に落ちた人が水中から川面の氷を押し上げる事は物理的に不可能であり、水温は限りなく氷温に近いからだ。
亡父が何十年も昔、カメラクラブの地元支部の会長だった時期があった。
当時副会長だった写真仲間が今頃の時期にこの川の上流で氷を踏み抜き、川に転落して生命を落とした。
ここからもっと上流で写真を撮っている最中に、足元の氷が割れて川に落ちた。
そのまま氷の蓋の下を流されて、これらの写真の辺りで一週間後に発見されたのだった。
水温が低いために無残な状態ではなかったと父が話していたのを憶えている。
気温よりも水温の方が温かい。
川の水が流れている限り水温はプラスで、気温は今の時期マイナス15℃くらいである。
空の様子がまた変わって来た。
雲がトラ猫の背中みたいになった。
頭上でオオセグロカモメが大騒ぎしていると思ったら。
鳶がいた。
普段よく歩く橋の下に戻って来た。
さっきの橋を見る。
漁船が川面の氷を破りながら通過した痕跡。
川下は氷が薄い。
橋の下を潜り抜ける。
河口に向かって歩く。
港がある。
河口に近づくとまた蓮氷が多くなった。
港が見える。
凍り付いている。
陽が高くなると氷が反射して眩しい。
船がいる。
吹き溜まり。
閲覧室で一休みして行こう。
間もなく正午。
閲覧室で、またロマネスクの写真集を眺める。
棚にエチオピアの写真集を見つけた。
美しい人々の写真を眺めているうちに1枚の幼児の写真を見て固まった。
荒野に乳児が一人、心細げに立っている。
その写真には解説がある。
「ハマル族には、乳児の前歯が上から先に生えた場合(通常は下から)、
旱魃を呼ぶ悪魔の子とみなし、ブッシュに捨てる風習がある。」
(野町和嘉『神よ、エチオピアよ』集英社 1998)
歯が生え始めた子供を荒野に捨てるのか。
捨てられた幼子の味わった絶望は。
・・・・・
昼過ぎた。
帰ろう。
川面の氷がどんどん融けて消える。
光りながら。
何か水鳥の群れが行進している。
この次に来る時は川面の氷は残っていないかも知れない。
今年は復活の主日が遅いので暖かくなるのも遅いに違いない。
・・・・・
バスを降りたら凄い黒雲が視界を遮っていた。
・・・・・
煮込み料理の作り置きを切らしたので仕込む。
まず白菜と豚肉の昆布茶蒸し。
それから鶏キャベツトマト煮も作った。
Twitterのお仲間とまたも食の話をして、ブロッコリーしばらく食べていない事を思い出した。
冬場は価格が高騰しているからな。
茹でてマヨネーズ付けるばかりで飽きたのもある。
シーザーサラダのたれを使ってみようかな値段が落ち着いたらだけど。
・・・・・
昼間またエチオピアの写真集の、
上の歯から先に生えたという理由で荒れ野に捨てられた子供の事を考え反芻している。
太陽が暈を被っている。
予報では雪が降るらしい。
先日有給を取って定期通院に充てる筈だったが、その日のっぴきならない事例があって
臨時受診の同行業務が入り、最初から対応してきた自分が有給取ってる場合ではなくなったため
元々週休の今日急遽自分の受診に来たら、何と外来が混み合い過ぎて診療受付終了していた。
しょーがないので採血と処方だけ依頼した。
ハシブトさんがこっち見てる。
塒があるのだった。
ここ数年間ずっと同じ場所にある。
先月はインフルエンザの二次感染を避けて受診せず残薬で凌いでいたのだった。
今日薬を処方しないと今月は受診のための週日の1日休みは無いので内服だけ確保した。
昨夜職場からの呼び出しは無く二連休になったが明日は教会で定例の教会員会だし何だか忙しい。
何か、あれこれ追い立てられているなぁ。
・・・・・
街に出た。
先日凍っていた川。
雪が来るから気温が高いのだと思う。
川上に向かって岸壁を歩く。
太陽は暈を被ったままだ。
上流に進むと川面はまだ凍っている。
一つ上流側の橋まで来た。
ここは観光客も来ない、まして市民も殆ど来ない寂れた場所である。
足下は水溜りが凍結と融解を繰り返して層厚くなだらかな斜面と化した氷の路面。
橋桁は温度差で融けてまた凍った雪が鍾乳洞の壁のような氷柱を無数に作り出している。
釣り人か近くの住民か、おじさんが「ひゃー滑る滑る」と一人呟きながら擦れ違った。
ここは抜け道らしい。
橋の上に出た。
ここは仕事で移動する時くらいしか通らない。
徒歩で来たのは何年ぶりだろう。
橋の下で凍った路面と戦っている間に空の様子が変わっていた。
オオセグロカモメとハシブトガラスが足場の争奪戦で賑々しい。
ハシボソさんはいないんだなと思ったら、いた。
こんな近くに。
体感的には厳寒の真っ只中でも、川面を見ると氷が融けている。
日陰の氷はまだ厚い。
空の様子がどんどん変わる。
橋を渡って対岸に下りた。
ここは土手の陰で氷が厚い。
薄雲越しの鈍い太陽光。
ここからいつも通る川向うを見るのは久しぶりかも知れない。
眺めが悪い訳でも何でもないが、散歩しても何故かこの辺りには足が向かない。
空気が違う気がする。
淀んでいるのでもなく、何だろう、根拠なく寂しく薄暗い空気のようなものを感じて、
以前丘の上で勤務していた時にタクシーに乗ると
「料金が高くなってもいい、どうしてもこの場所を通りたくないから」
と言ってわざわざ遠回りして別の橋から丘に上った。
何が嫌なのか、自分でもわからず何の根拠も無く迂回するのが常だった。
しかしある時運転手が言った。
「お客さんだけでなくて、この界隈に住んでいる人でもそう言って
別の橋から遠回りして上ってくれって言うお客さんが多いんですよ。」
へぇと返事をして忘れていたが、ずっと後になってから職場の雑談で聞いた。
この写真に写っている川の此岸一帯は、空襲の時に遺体で埋め尽くされた場所だった。
空襲で焼け出された周辺地区の住民達が家屋を焼かれ大火傷を負いながら川岸に逃げ延びて来て這って川に落ちて、
或いは全身火脹れのままで惨たらしく絶命し、その大勢の遺体でこの川岸一帯がぎっしり埋め尽くされていたと。
そのせいかどうはかわからないが景色は悪くないのに、またここを通った方が合理的で近道であっても
何故か無意識に足が避ける場所である。
私も、凍った川面を撮ろうなどと思いつかなければここには来ない。
また橋の上に上がった。
凍っているなぁ。
今の時期に川に落ちると助からない。
水面が氷で蓋を被せられた状態のため、泳ぎの達人でも助からない。
川に落ちた人が水中から川面の氷を押し上げる事は物理的に不可能であり、水温は限りなく氷温に近いからだ。
亡父が何十年も昔、カメラクラブの地元支部の会長だった時期があった。
当時副会長だった写真仲間が今頃の時期にこの川の上流で氷を踏み抜き、川に転落して生命を落とした。
ここからもっと上流で写真を撮っている最中に、足元の氷が割れて川に落ちた。
そのまま氷の蓋の下を流されて、これらの写真の辺りで一週間後に発見されたのだった。
水温が低いために無残な状態ではなかったと父が話していたのを憶えている。
気温よりも水温の方が温かい。
川の水が流れている限り水温はプラスで、気温は今の時期マイナス15℃くらいである。
空の様子がまた変わって来た。
雲がトラ猫の背中みたいになった。
頭上でオオセグロカモメが大騒ぎしていると思ったら。
鳶がいた。
普段よく歩く橋の下に戻って来た。
さっきの橋を見る。
漁船が川面の氷を破りながら通過した痕跡。
川下は氷が薄い。
橋の下を潜り抜ける。
河口に向かって歩く。
港がある。
河口に近づくとまた蓮氷が多くなった。
港が見える。
凍り付いている。
陽が高くなると氷が反射して眩しい。
船がいる。
吹き溜まり。
閲覧室で一休みして行こう。
間もなく正午。
閲覧室で、またロマネスクの写真集を眺める。
棚にエチオピアの写真集を見つけた。
美しい人々の写真を眺めているうちに1枚の幼児の写真を見て固まった。
荒野に乳児が一人、心細げに立っている。
その写真には解説がある。
「ハマル族には、乳児の前歯が上から先に生えた場合(通常は下から)、
旱魃を呼ぶ悪魔の子とみなし、ブッシュに捨てる風習がある。」
(野町和嘉『神よ、エチオピアよ』集英社 1998)
歯が生え始めた子供を荒野に捨てるのか。
捨てられた幼子の味わった絶望は。
・・・・・
昼過ぎた。
帰ろう。
川面の氷がどんどん融けて消える。
光りながら。
何か水鳥の群れが行進している。
この次に来る時は川面の氷は残っていないかも知れない。
今年は復活の主日が遅いので暖かくなるのも遅いに違いない。
・・・・・
バスを降りたら凄い黒雲が視界を遮っていた。
・・・・・
煮込み料理の作り置きを切らしたので仕込む。
まず白菜と豚肉の昆布茶蒸し。
それから鶏キャベツトマト煮も作った。
Twitterのお仲間とまたも食の話をして、ブロッコリーしばらく食べていない事を思い出した。
冬場は価格が高騰しているからな。
茹でてマヨネーズ付けるばかりで飽きたのもある。
シーザーサラダのたれを使ってみようかな値段が落ち着いたらだけど。
・・・・・
昼間またエチオピアの写真集の、
上の歯から先に生えたという理由で荒れ野に捨てられた子供の事を考え反芻している。