ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

「あなたは誰のために生きていますか」

2018-02-25 21:17:35 | 日常
日の出前に覚醒した。
映画『半落ち』を見た。
この映画、いつかDVDを入手しよう。

主人公の骨髄の提供によって生命を助けられた青年(少年のように見える)は
実刑判決を受けて護送される主人公に「生きて下さい」と叫ぶ。
主人公は生きなければならない。
何としても生きて、刑を終えたら青年の作ったラーメンを食べに行かなければならない。

「あなたは誰のために生きていますか」

「あなたは何のために生きていますか」


というこの映画の問いに、自分は答えが見つからない。
「誰」「何」には自分自身すら当て嵌まらない。

「生きよ」は、私にとって預言者エゼキエルの口を通して語られた言葉だ。

  誕生について言えば、お前の生まれた日に、
  お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、
  塩でこすり、布でくるんでくれる者もいなかった。
  だれもお前に目をかけず、これらのことの一つでも行って、
  憐れみをかける者はいなかった。
  お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた。
  しかし、わたしがお前の傍らを通って、
  お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、
  わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。
  血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ。
                       (エゼキエル16;4~6 新改訳)


  わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。
  彼がその道から立ち返ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
                           (エゼキエル18;23 新改訳)


  …わたしはだれの死をも喜ばない。
  お前たちは立ち返って、生きよ」と主なる神は言われる。
                       (エゼキエル18;32 新改訳)

「あなたは誰のために生きていますか」
「あなたは何のために生きていますか」


昔近所の教会でL神父様が言っていた。

  私達は誰かを赦すために、誰かを愛するために、 
  この世に生まれて来ました。 
  私達は人を赦すために、愛するために、 
  生命を与えられ、生かされています。
                  (L神父)


誰かを赦すために、愛するために、
そのために自分が生かされているとしたら、
生きる事は誰かを赦す事と同じだろうか。
生きる事は誰かを愛する事と同じだろうか。

その「誰か」とは誰だろうか。
自分は今、生きているか?

・・・・・

作業中、ユッタ・ヒップとケニードーハムとアート・ブレイキーを聴いていた。
中断し、CDを止めてようつべで物凄く久しぶりにT-REXのベストアルバムと
ルー・リードの「トランスフォーマー」を聴いた。
ようつべにルー・リードの名曲「Street Hassle」を見つけた。
高校生当時LPレコードを買って聴いた。
ああ何十年経っても好きだこの曲。

・・・・・

部屋の掃除は昨日のうちに済ませてあるがやはり汚い。
弁当用の小分け飯も炊いて冷凍庫に入れた。
洗濯物はたたんで片づけた。

・・・・・

明日の弁当は解凍した豚の味噌漬けがまだあるのでまた葱味噌豚丼でいいな。
今後は水筒を持参しよう。
温かい茶を詰めてぐびぐび飲みながら仕事しよう。