ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

休日だというのに仕事の事を考えている

2018-02-03 20:15:13 | 日常
休日。
まずこの汚部屋を清掃する。

換気もした。

珈琲を淹れるのは久しぶりだ。
バリアラビカ神山。
真冬に飲む熱い珈琲は格別。

ヒヨがさっきからこちらの窓を覗きに来ている。
見たところご夫婦らしい。

・・・・・

休みの日に仕事の事を考えないようにしているが、今日は考えている。

詳細はここに書く事は出来ないが、ひと言でいえば今の時代の若い介護職が
昭和20年代以前の世代の甘えの構造と格闘し苦しんでいる。
今の職場も前の職場も前の前のその前の職場も等しく同じだ。
老人達は若い男性介護職員を下僕のように見下し罵倒し無能呼ばわりし、
若い女性介護職員に対しては女郎か何かのように猥褻な要求をし
脚や尻を撫でる当然の権利でもあるかの如き下劣な振る舞いをする。
老人達の傍若無人に耐えられなくなると介護職員はどんどん辞めて行き
現場は慢性的な人手不足と過重労働に陥り、最終的な皺寄せは当の老人達に及ぶ。
全ては私の親の世代以前から既に、
日本人が子供の教育を失敗して来た結果だと私には思われる。
私の父も生前ヘルパーやデイケアの介護職員を随分見下し侮辱し続けた。
私が諫めると父は逆上し刃物を出した。
介護職員は断じて下僕や女中や女郎ではない。
それを言い聞かせたところで昭和20年代以前の世代は、とりわけ昭和一桁以前生まれの世代は
若い介護職員を見れば下僕や女中、女郎と見なす。
そのような価値観を幼少時から刷り込まれ教育されておりその中で育ったのだ、軌道修正は出来ない。
若い男を見たら罵倒しボコボコに殴る蹴るで日頃の鬱憤を晴らせばよい、
若い女を見たら身の回りの世話をして貰え、ケツくらい触って当然、若い女とはそういうものだという
卑しい価値観が昭和20年代以前の日本人の意識の根底にあるのが見える。
介護職員はどんなに侮辱され猥褻な言葉を吐き掛けられ理不尽な要求をされても決して歯向かわない。
僅かでも意に添わなければ「虐待だ!」と理不尽な濡れ衣を着せられる事がわかり切っているからだ。
問題を聞きつけて我々看護師が駆け付けると傍若無人がまるで介護職員の捏造した嘘であるかのように
愛想よく礼儀正しい「良い人」に転身する、まさに別人を演ずるなり切り型俳優。
既に本性を見抜かれているとも知らないのか、知らないふりをしているのか。
死んだ自分の父親も含め、これほど愚劣で醜悪な生き物達がこの世の何処にあるだろうか。
昭和以前の日本人が大失敗した子供の教育のツケを、今介護現場の若い世代が払わされている。
これほどの不条理があるだろうか。
笑顔で優しく接する事と相手の理不尽な要求の言いなりになる事とは違うと介護職員達に話し
具体的には敬語を崩さないようにと助言したりするが、実際の現場では焼け石に水である。
ただ、崩れない敬語が老人の傍若無人に対する最大の武器になるというのは本当だ。
鉄面皮のアルカイックスマイルと崩れない敬語は人と人との間に一定の距離を生む。
老人達が無礼な言葉で侮辱したり、馴れ馴れしくド助平な事を言う隙を作らない事だ。
何を言われても動かない微笑と決して崩れない敬語と礼儀正しい立ち振る舞いで武装し
一定の距離を維持しつつ理不尽な要求をする大正昭和世代と向き合うしかない。
1980年頃に世の中で話題になった『甘えの構造』(土居健郎著 弘文堂 1971年)という本があった。
昭和20年代以前の世代にとってはまだ現役だった時代の本だった。
老眼や認知症で読解力を失う前に読んでおくべき本である。

で、明日からどうするか対応をまた考える。