ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

流氷は霧の中

2017-04-04 23:26:03 | 日常
昨夜、職場から急変の呼び出しは無かった。
明け方妖怪が「ごはんごはんごはん」と連呼したため餌を出してからまた二度寝した。

間もなく10:00になろうとしている。
せっかくの休日が台無しにならないうちに起きる。

部屋に掃除機をかけ換気して鉢植えに水遣りをした。
さて朝食、と言っても11:00だ。
散歩に出掛けよう。
あの庁舎の食堂の500円定食で朝昼飯にしよう。

腹減ったなぁ。。

・・・・・

まだ時間的に早いのか食堂に並ぶ人は少ない。
「本日の丼 胡麻だれカツ丼 500円」を注文した。

豪華だわぁ。
揚げ立てサクサクやー♪
胡麻だれと言っても擂り胡麻をとんかつソースに混ぜたものだがウマい。

・・・・・

あーウマかったぁ。
空は晴れて日差しあるのに全然暖かくない。

そう言えば誰かがこの寒さは流氷が接岸しているせいだと言っていた。

先日行ってみたら既もういなかったのがまた戻って来たらしい。
行ってみよう。
寒いけど天気いいし。

・・・・・

釣り公園に来てみた。
ここは私が子供の頃には遠浅の砂浜だった。
明るい橙色のユリが群生する草地と砂浜と、古い墓地のある小高い岩山のある浜だった。
それが今は全面コンクリートで固められ小さな漁港と釣りの出来る施設になり果ててしまっている。
砂は何処にもなく、夏になってもユリなんかの生える草地も全く無い。
小高い岩山には徒歩で近付く事の出来ないようにコンクリートで固められ整備された漁港になっている。
見るべき景観の失われた場所であるが、私は普段散歩の途中にちょっと離れた高い場所からここを見下ろす。

流氷の接岸を見るのは実に9年ぶりだ。
前回の時のよりも流氷の一つ一つが薄っぺらい。

あれ、随分たくさん車が集まっている。
見物人が大勢来ているんだな。
家族連れたくさんいる。
赤ん坊を抱っこした若い母親も一人スマホを構えている。

街は晴れていたのにここは海霧で視界悪い。
流氷の冷気と温かい海水温との温度差で霧が発生するのかも知れない。










もっと至近距離で撮りたいが、立ち入り禁止の札と縄が張ってある。
子連れの家族が大勢いる中でその禁を犯して縄の下を潜り水際まで下りる訳にもいくまい。
流氷を目の前にして縄なんか張るのは、大勢の見物に人の中に必ず流氷に乗る者が出て来て
氷温近い海に転落したり流氷に乗ったまま沖に流されて行方不明になる事故がよくあるからだ。
今の時期に海に落ちたらそれだけで心臓麻痺であの世行きになる。
ただでさえこの場所は遠浅の浜だった大昔から事故や自殺の名所である。

それでもこの霧で霞んだ海面に白と薄緑色の流氷がのんびり浮かんでいると誰でも乗ってみたくなるものかも知れない。
接岸する流氷の群れと海面との間に境目がはっきりある。








これは本当に大きい。
乗ってみたい誘惑に負ける人が出るかも知れない。




テトラポットを越え階段に乗り上げてこのまま居残りそうなのもある。


霧で鈍くなった太陽。


路肩のフキノトウ。


鮭の絵のマンホール。


通りに出るとちょうど市内に戻るバスが来たので乗った。
途中で降りて海を見下ろす崖に向かう。

珈琲店に立ち寄って豆を購入した。

崖に来てみたが霧が濃くて殆ど何も見えない。
辛うじて接岸した流氷の塊が見える程度。




この後坂を下って浜に出ようかと思ったが風向きのためかますます霧が濃くなってきたのでやめにした。
岸壁の茶屋で本を読もう。
徒歩で市の中心街に向かう。

道の途中、猫一家が一族郎党寄り合って散策していた。
  

キジトラ+白のお揃い柄、皆親戚だな。

海から少し離れると太陽がぼんやり見えて来た。


橋の上から見ると河口は霧で殆ど見えない。


頭上は青空が覗いている。


この橋の欄干は先日追悼展を見た彫刻家の作品だと聞いた。
自らの姓の一文字を取って欄干の紋様にしたのだと。

全然知らなかった。

河口から霧が押し寄せて来た。




鈍い太陽光で川面が燻し銀になる。




寒い。
茶屋に入ろう。


茶屋で紅茶を飲みながら押田成人師の著作を読む。

・・・・・

本の頁に付箋をたくさん貼った。
考える事がたくさんある。

海霧が河口から遡ってこちらにどんどん迫って来る。




押田師の本を読むと叱責されている気がする。
1985年の押田師から、2017年の自分が叱責されている気がする。


漁船が川を遡って来た。
川面に弱々しい光の弧を描いて漁船が戻って来た。


日が傾いて来た。


日が差して来た。
沖の方から海霧がさらに厚く重たくなってこちらに向かって来る。




間もなく日が暮れる。




明日、また遅番だ。