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上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

黒潮巡礼 西表島で出あった生き物達

2023-10-28 12:12:04 | 田中一村

亜熱帯の島では、本土では見れない生物が見られるのが楽しみである。このサガリバナ←クリックも通常の季節(6月〜9月頃までで、最盛期は梅雨明けの6月下旬だそうだ)は過ぎていたが、サキシマスオノウを観に行った先で時期外れにも関わらず、落ちていた花を幸運にも見ることができた。

巨大な板根を持つ、サキシマスオノウ。西表島には日本最大のサキシマスオノウがあるというので、この後マングローブツアーで見ることができた。

道路を走っていると、車に轢かれたシロハラクイナをよく見る。西表ヤマネコも年間に何匹かは犠牲になるらしい。このサキシマハコガメも道路でよく目にする生き物である。

なんと言ってもよく目にするのはヤモリである。夜になると灯りに集まる虫を食べに、ガラスに集まってくる。この個体は尻尾をどこかで亡くしたらしい。大きな蛾を捕食した瞬間。

田中一村の絵でお馴染みの  パパイヤ                        オオタニワタリ

ヒカゲヘゴは少なく、目につくところでは一箇所で見ただけだった

        ハイビスカスとキチョウ                     シロオビアゲハのペア

 サキシマカラスアゲハ           リュウキュウアサギマダラ                  スジグロカバマダラ

 

今回の旅ではヤマネコには会えなかったが、キノボリトカゲに会えたのが一番の収穫であった。

 

 

 


黒潮巡礼 西表島 3

2023-10-20 08:26:54 | 田中一村

 西表島へ向かう。

西表島港桟橋

西表島港 玄関口

島内の制限速度は40km   集落内は30km         高額な高級車、高性能車は不要。塩害もあるし。でもこれが走っているんだな〜。

 台風の最中、なんとか荷を解いたのは西表島南西部に位置する上原地区のゲストハウス 「しまおとや」。上原地区は西表島では比較的農村地帯であり、島の北東部にある大原地区が観光の中心になっている。47年前の来島では上原に上陸したのだが。

 屋号の「しまおとや」はそんな農村部で聞こえてくる、畜産の牛の声や、サトウキビ畑を吹き抜ける豊な風の音をモチーフにした、とレビューに書いている。

部屋はドミトリー 2段ベットが3の6人部屋 素泊3000円  共同キッチン(IHI)食器、炊飯器 料理道具 洗濯機 など無料

もちろん風呂、シャワー、トイレ等も無料である。自転車も無料などなど。

このゲストハウスに7日間お世話になったが、この部屋では4日間は私の他に一人。3日間は私一人だった。

黒牛が多い

島で顕著に見られるサトウキビ畑。風が吹き抜ける

 


黒潮巡礼 石垣島 2

2023-10-19 09:21:50 | 田中一村

市内をぶらり。大きなガジュマルの木

石垣のメインストリートと思われるところは、賑やかな看板で溢れる。

賑やかなメニュー

夕食にソーキそば900円。麺、量〜少ね!スープ濁ってる。ラーメンの方がダントツにうまいね!

 

 

 台風14号接近で西表島への船が明日出るのか、心配な状況になってきた。どうやら外海航路の上原行きは運行休止だが、今日は波の影響を受けない大原行きは、運行したようだ。夜、ゲストハウスに電話すると、来島はやめた方がいいと言われた。船は運行中止になると、店が閉まるので食糧の供給が止まるので、自炊宿泊の旅行者は、困窮することになるという。もし明日、来れるようなら石垣である程度の食材を確保してきた方が良い、と忠告された。私はキャンプの予定だったので、緊急用の食材は持っている趣旨を説明すると、宿の方は、カップ麺等があるからなんとかなるでしょうと言われた。

10月3日の朝、宿のスタッフ船便の運行を尋ねると、上原行きは欠航だが大原行きは運行するようだと聞き、早めに宿を出る。台風14号接近で、明日の便はおそらく全て欠航になりそうなのである。途中、コンビニで幾ばくかの食料を買い、ザックにくくりつける。

西表島への朝一番の便は8時半、台風雨のせいか、乗客は10人あまり。そのうち外人さん夫婦も。

石垣の雄、具志堅の像が!

   西表島への途中出会った海上保安庁の船

 

やはり台風の影響で岩礁に高波が。しかし船は思っていたよりは揺れなかった。石垣から西表・大原まで1時間あまり。往復4000円ほど。


田中一村 47年目の黒潮巡礼 1

2023-10-18 20:40:13 | 田中一村

         JR宇都宮線内で(10月2日)

 

田中一村に出会うきっかけになったのは何時なのだろう。歳を重ねるに連れ思いを深めてくるのは、やはり47年前に訪れた西表島であろうか。

ここ5年ほどは母と叔母の介護で長期な旅行はできなかったせいもあり、強い思いはあっても、八重山の島々は私にとっては遠い存在だった。

 3ヶ月前に位を決し、旅路の予約と宿の予約を決定した。羽田から石垣島。石垣島から西表島。西表島から石垣、那覇。そして最終目的地の与論には,53年の間毎年6ヶ月ほど逗留しているヨンロクを尋ねることしたのだが。旅行一週間前に台風14号が発生し、西表ではキャンプを主にし、気に入ったところに宿を取るスタイルが崩れてしまった。西表での気ままな10 日間を過ごす予定が、確固たる屋根の下での計画に代わることになった。

羽田空港第2ターミナル内

慣れない飛行機旅なので2時間も前に空港に着き、空港内をウロウロ。

 

羽田発11:35が約20分遅れで、石垣空港14:45着 元々14:40着だったから実質5分遅れということか。

さすが南国石垣、ハイビスカスがお迎えである。47年ぶりの石垣島。

 

石垣港に向かうバス。この日は港近くのゲストハウスに一泊の予定であるが、台風14号の影響次第で、明日の西表島への渡島はできない可能性がある。

今流行のスポンサー付ネーミング  「ユーグレナ石垣港ターミナル」

なかなか見つからず小一時間程、港周りをウロウロ。やっとたどり着いたゲストハウスの個室ベット。ゆったりとした棺桶のようだ。

巨大な洞穴のような中に小さな洞窟のようなというか、棺桶のようなベットボックスが上下に並ぶ。石垣島「ちゅらククル石垣」素泊3432円

 


終活作業 1977年代・備忘録

2021-11-14 14:14:50 | 田中一村

「笹倉慶久」田中一村に出会う前の年、1976年(昭和50〜51年)与論島、

(与論焼窯にて与論焼オーナーでもあった金子晴美氏の写真集「ヨロン島」にて)

(与論焼オーナーでもあった金子晴美氏の写真集「ヨロン島」表紙)

(与論焼オーナーでもあった金子晴美氏の写真集「ヨロン島」から)

奄美大島名瀬市1977年市勢要覧から奄美焼陶工画像(笹倉慶久)

この奄美焼の店の前を、つむぎ工場への道すがら田中一村が立ち寄ったりしていた。

 

 

田中一村が世に出るきっかけを作った立役者である笹倉慶久は、与論焼創設のため福岡の小石原焼にて修行し

与論焼を定着させる原動力となったが、金子氏に疎まれ、奄美にて奄美焼を創業した宮崎氏の窯場の陶工となった。

奄美焼オーナー 宮崎鐡太郎氏の手による書体と思われる

 

「ほしころ瓶」ここに焼酎を入れ酒を飲むと恋愛が叶うと言われている。

最近は新潟にいても栃木にいても片付けが日課である。道楽が沢山あって、物があふれている。10代から読書好きで本は沢山あったが、50代で随分と減らしたが、まだ書棚には本が並んでいる。それまでは私の蔵書が多かったのであるが、今はカミさんの本でどの部屋の空間も圧縮されている。そのほか子供たちとコレクションしていた、おもちゃ、フィギュア類の入った段ボールが、押入れと言わず、かつての暗室を埋め尽くす。そんな中、手が止まって見惚れるのは戦利品ともいえる、20代の頃の物品なのである。