上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

終活作業 1977年代・備忘録

2021-11-14 14:14:50 | 田中一村

「笹倉慶久」田中一村に出会う前の年、1976年(昭和50〜51年)与論島、

(与論焼窯にて与論焼オーナーでもあった金子晴美氏の写真集「ヨロン島」にて)

(与論焼オーナーでもあった金子晴美氏の写真集「ヨロン島」表紙)

(与論焼オーナーでもあった金子晴美氏の写真集「ヨロン島」から)

奄美大島名瀬市1977年市勢要覧から奄美焼陶工画像(笹倉慶久)

この奄美焼の店の前を、つむぎ工場への道すがら田中一村が立ち寄ったりしていた。

 

 

田中一村が世に出るきっかけを作った立役者である笹倉慶久は、与論焼創設のため福岡の小石原焼にて修行し

与論焼を定着させる原動力となったが、金子氏に疎まれ、奄美にて奄美焼を創業した宮崎氏の窯場の陶工となった。

奄美焼オーナー 宮崎鐡太郎氏の手による書体と思われる

 

「ほしころ瓶」ここに焼酎を入れ酒を飲むと恋愛が叶うと言われている。

最近は新潟にいても栃木にいても片付けが日課である。道楽が沢山あって、物があふれている。10代から読書好きで本は沢山あったが、50代で随分と減らしたが、まだ書棚には本が並んでいる。それまでは私の蔵書が多かったのであるが、今はカミさんの本でどの部屋の空間も圧縮されている。そのほか子供たちとコレクションしていた、おもちゃ、フィギュア類の入った段ボールが、押入れと言わず、かつての暗室を埋め尽くす。そんな中、手が止まって見惚れるのは戦利品ともいえる、20代の頃の物品なのである。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿