昭和20年の終戦時、東京都内の写真を見ればまさに焼け野原と言うより、瓦礫の平坦な原野のようにも見えました。家族や建物、そしてその中に入っていた大切な歴史や思いでの、全てを失ったのです。あの環境の中から世界で2番目の経済大国に成長するのです。
どこかの総理も100年に一度の未曾有の経済危機だと…未曾有とは過去に無かったと言う意味なのですが、未曾有とミゾウユウとは違う意味なのでしょうか。
ところが、この100年に一度と言われる不況風を待っていたかのように商売を広げる経営者もいます。
景気の活況時期は、その流れに逆境する事がとても困難なものです。ところが逆に不況時期は今まで大企業の陰で埋没していた中小零細企業に様々なチャンスが廻って来ます。
戦後の焼け野原の時は誰もが無一文の状態でした。あの時期と現在を比較しますと、未曾有の経済危機だなどと言えるような状況でまったくありません。
選ばなければ食えるだけの仕事もあるし、選ばなければ住む場所だってあるのです。
田舎に行けば空き家もあり、空いている農地もたくさんあります。
そのような地域では、都会で職を逸した人々に、是非ともと誘いの声も多いのです。
日本列島、何処へ行っても不況だ、不況だと言う嘆きの声ばかりが充満しています。しかし、戦後の焼け野原を経験した我日本人は、これを未曾有の危機などと思うのでなく、今こそ大逆転のチャンスだと思えば、為すべき事が山積していると言い切れます。
今日は東京から鹿児島に移動して県内唯一のファース工務店、保住宅サービスさんを訪問しました。写真は、保住宅サービスがサッシ建具の納入をしている㈱かがみ屋硝子店さんで、社長の川畑 昭人さん(私の隣)と、保住宅代表の保 幸守さんと撮りました。
川畑社長は老舗硝子店の4代目であり、保代表も先代から引き継いだ二代目、いずれも厳しい業界環境の中を強かに頑張っている若き経営者です。ところがこの二人の経営者からは、厳しいなどと言う泣き言など、一言も出てまいりません。いずれも先代から戦後の厳しさを叩き込まれているからでしょう。
今日はこの若い二人から勇気を貰った一日でした。
明日は昼のフライトで東京に戻り、夜、北海道北斗市の本社に帰社の予定です。
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函館市・北斗市周辺での家づくりは
どこかの総理も100年に一度の未曾有の経済危機だと…未曾有とは過去に無かったと言う意味なのですが、未曾有とミゾウユウとは違う意味なのでしょうか。
ところが、この100年に一度と言われる不況風を待っていたかのように商売を広げる経営者もいます。
景気の活況時期は、その流れに逆境する事がとても困難なものです。ところが逆に不況時期は今まで大企業の陰で埋没していた中小零細企業に様々なチャンスが廻って来ます。
戦後の焼け野原の時は誰もが無一文の状態でした。あの時期と現在を比較しますと、未曾有の経済危機だなどと言えるような状況でまったくありません。
選ばなければ食えるだけの仕事もあるし、選ばなければ住む場所だってあるのです。
田舎に行けば空き家もあり、空いている農地もたくさんあります。
そのような地域では、都会で職を逸した人々に、是非ともと誘いの声も多いのです。
日本列島、何処へ行っても不況だ、不況だと言う嘆きの声ばかりが充満しています。しかし、戦後の焼け野原を経験した我日本人は、これを未曾有の危機などと思うのでなく、今こそ大逆転のチャンスだと思えば、為すべき事が山積していると言い切れます。
今日は東京から鹿児島に移動して県内唯一のファース工務店、保住宅サービスさんを訪問しました。写真は、保住宅サービスがサッシ建具の納入をしている㈱かがみ屋硝子店さんで、社長の川畑 昭人さん(私の隣)と、保住宅代表の保 幸守さんと撮りました。
川畑社長は老舗硝子店の4代目であり、保代表も先代から引き継いだ二代目、いずれも厳しい業界環境の中を強かに頑張っている若き経営者です。ところがこの二人の経営者からは、厳しいなどと言う泣き言など、一言も出てまいりません。いずれも先代から戦後の厳しさを叩き込まれているからでしょう。
今日はこの若い二人から勇気を貰った一日でした。
明日は昼のフライトで東京に戻り、夜、北海道北斗市の本社に帰社の予定です。
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