迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

いじめの思い出

2006年10月09日 | LIFE
北海道滝川市でいじめが原因で少女が自殺した事件を連日テレビが取り上げていた。
それを見て、私にも心当たりのある出来事を思い出した。

場面は小学校3年の時。
席替えで私の隣の席に座ったのはいじめられていたK子。
K子が隣の席になったことの不運から、私はK子にちょっかいを出したのだと思う。
それを担任が見咎めて、私はしかられた。
今思うに、担任はK子がいじめられていることを認識していたようだ。
でも、K子に対するいじめは終わることはなかったようで、再び同じクラスになった中学1年の時もK子はいじめられていた。

いじめている側の私たちは、K子に部活で使うビニールテープを持ってこさせるようなこともした。
当時、罪悪は感じていなかったように思う。

K子は多分、女子からのいじめを受けることはなかったように思う。
だから、その後地元の高校に行き、社会人になって以降は駅の改札でその姿を見かけた。

社会人となっていた私は、K子を見かけると本当に申し訳ないという気持ちを持つようになっていた。
いじめていた当時は、K子の気持ちを考えることもなかったが、大人になるとその当時に見えなかったことが見えるようになる。
だから、本当に申し訳なく思い、K子の幸せを願わずにはいられなかった。

もし、K子が自殺していたら、いじめていた私たちには重い重い罪悪感を生涯抱き続けることになっただろう。
だから、K子には感謝している。


と、ここまで書いてきて小学6年の時の出来事を思い出した。
私の帰り道とガキ大将の帰り道が同じだったこともあり、私は彼と強制的に帰らされることとなった。
小学生の放課後はいろいろな遊びのある楽しいひと時だったのだが、友達のいない彼は私を道連れにしてとっとと帰路につく。
それが毎日続くので私は悲しかった。が、腕力では彼にかなわなかった。
それが続くと、私には彼に対する殺意が芽生えた。
私は自殺を選択するのではなく、自分を支配する相手を攻撃することを選択するという性格のようだ。

結局、彼のクラスメート全体に対するいじめは担任が把握することになり、鉄拳制裁によっていじめをやめさせることができたのだった。


このように思い返してみると、子供のころはいじめのことを深刻に考えていなかったんだなと思う。
だから、親なり、教師が深刻な問題であることを子供に教えることが必要なのだと今思うのである。