杉良太郎、被災地へ 宮城県雄勝町で初の炊き出し
俳優で歌手の杉良太郎(66)が、4月1日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝町に、妻や事務所スタッフの総勢24名で雄勝町初の炊き出し及び物資支援を行う。
杉は、デビュー前より刑務所慰問をはじめ精力的に慈善活動を行っている。阪神・淡路大震災では自身も被災したのにも関わらず、被災地救援活動を行ってきた。
その杉が以前より面識があった村井嘉浩・宮城県知事に、3月24日に電話したという。代理の三浦秀一副知事と電話会談後、甚大な被害の生の声を聞き、自ら被災地に入り食料提供や物資等の支援を約束した。
今回杉が訪れる被災地は、津波による甚大な被害に襲われ、電気、ガス、水道、電話回線などライフラインが全滅し支援が遅れて被害が大きい「石巻市雄勝町」。炊き出しは、カレーライスや豚汁、野菜サラダ、杏仁豆腐で、杉がデビュー前2年間働いていたのがカレー店であり、今回も杉自身が味付けしたカレーライスを提供、妻の伍代さんが豚汁の味付けを担当する。石巻市雄勝町での炊き出しはこれが初めて。
物資支援としては、水2トン、灯油・ガソリンから、男女下着類、歯磨きセット等の生活用品まで、大量の物資をトレーラー2台で運搬する予定だ。
杉らは、3日間滞在する予定。宿泊施設も壊滅状態のため車内で宿泊し、滞在期間中は避難所を細かく廻り、多くの被災者のケアをしていくと話している。
2011年3月31日(木)20時4分配信 アメーバニュース
ONAGAWA, Japan (March 23, 2011) - An SH-60B Sea Hawk helicopter attached to the Battle Cats of Helicopter Anti-Submarine Squadron Light (HSL) 43, Det. 3, embarked aboard the guided-missile destroyer USS Preble (DDG 88), flies pass a message saying “Thank You USA,” while en route to deliver humanitarian aid supplies. Preble is currently conducting humanitarian assistance and disaster relief operations in support of Operation Tomodachi. (U.S. Navy photo by Naval Air Crewman 3rd Class Kevin MacDonald)
日本人のひとりとして心から感謝します。
本当にありがとうございます。
本当にありがとうございます。
ソフトバンクの孫正義氏が100億円寄付 震災孤児ら支援
ソフトバンクの孫正義社長は3日、東日本大震災での被災者支援のため、個人資産から100億円を寄付すると発表した。また、平成23年度から引退までの孫社長の報酬全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付する。
寄付金は日本赤十字社のほか、ボランティア団体などへの支援や震災孤児の勉学支援などに充てる。
孫社長は3月22日に福島県の避難所を訪れ、被災者者数万人への携帯電話の無償貸与に加え、震災孤児を対象に、18歳までの通信料を完全無料化といった支援も表明していた。
孫社長の平成21年度の報酬は1億800万円。米経済誌フォーブスの今年の長者番付によると、孫氏の個人資産額は約6800億円。
ソフトバンクも企業として10億円を寄付したほか、ヤフーも3億円の支援金を決めている。
MSN産経ニュース2011.4.3 22:47
この東松島以外にも、学校の裏山と校舎を接続する避難路を作るように要請し続けた方がいて、それが完成していたために生徒が津波から逃れることが出来たという話をラジオで伝えていました。
義弟の実家が松島で、このあたりでは震度4は地震ではないと笑っているという話を聞いていましたが、地震に伴う津波がここまで大きなものが来るとは思ってもみなかったことでしょう。
でも東北には「これより下に家を建てるな」と刻まれた石碑が各所にあるといわれています。
なんとかこの津波の教訓を後世まで伝えて欲しいと願っています。
義弟の実家が松島で、このあたりでは震度4は地震ではないと笑っているという話を聞いていましたが、地震に伴う津波がここまで大きなものが来るとは思ってもみなかったことでしょう。
でも東北には「これより下に家を建てるな」と刻まれた石碑が各所にあるといわれています。
なんとかこの津波の教訓を後世まで伝えて欲しいと願っています。
手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島
「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。
東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。
近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。「避難場所は家からすぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。
地震があった11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると、すでに40人ほどがここに避難していた。津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋がなぎ倒される音がバリバリと響いた。
いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた。「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性など4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずま屋でたき火をして夜を明かした。
夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋やがれきで埋め尽くされていた。避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見の明があった」と感謝する。
一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれまで「大きな津波は、建物ではダメ。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えたこともあったが、「佐藤山」は指定されなかった。
佐藤さんは「老後の道楽も兼ねて造った避難所で一人でも多く助かってよかった」と喜ぶ一方、「もっと多くの人に『ここに逃げて』と伝えられていれば」と悔しさもにじませる。
「佐藤山」には、もともとあった山桜のほか、しだれ桜や数々の山野草が植えられている。津波に襲われた登り口付近の梅の木は、地震後に白い花を満開にさせた。「早く平和な日常が戻るように」。佐藤さんは、様変わりした野蒜地区を見てそう祈っている。(木下こゆる)
海上のガレキの上に犬が…海上保安庁が救出
東日本大震災の発生から3週間がたった1日、宮城県で行われた行方不明者の集中捜索中に、海上のガレキの上で犬が発見され、救助された。
1日午後2時過ぎ、宮城・気仙沼市の沖合で、津波に流された民家の屋根の上に中型犬1匹がいるのが発見された。人もいる可能性があるということで、海上保安庁の特殊救難隊員が民家を捜索したが、海に沈んだ家の中での捜索は難航。海上保安庁によると、1日午後5時過ぎ、巡視船で犬を保護したという。
安否不明者の集中捜索はあと2日、続けられる。
日本テレビ系(NNN) 4月1日(金)23時11分配信