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迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

楽天・三木谷社長、個人として10億円寄付へ

2011年04月01日 | 社会
我が家も身の丈の義捐金と救援物資の提供をしました。
これからは景気が冷え込むことがないように、これまで通りの支出をするように努めたいと思っています。

4月になりました。
気分を替えて頑張っていきましょう。
楽天・三木谷社長、個人として10億円寄付へ
 楽天の三木谷浩史会長兼社長は1日の入社式で、東日本大震災の義援金として個人で10億円以上を寄付することを明らかにした。
 三木谷社長は神戸市出身で、阪神大震災で親類を亡くした。震災の10カ月後に大手銀行を退職し、その後に楽天を立ち上げた。入社式では「阪神大震災から神戸が復興するのに10~15年かかったが、今回も日本は必ずこの危機を克服し、力強く復興すると信じている」と話した。
 楽天は会社としても3億円の寄付を決めている。
2011年4月1日21時59分

駐在所のお巡りさん、最後まで住民守った…

2011年03月26日 | 社会
駐在所のお巡りさん、最後まで住民守った…
 宮城県警は25日、東日本巨大地震で県警の警察官10人が死亡し、4人が行方不明になっていると発表した。
 その多くは交番や駐在所など最前線での任務に就いており、住民に避難を呼びかけている最中などに津波に襲われた。住民たちは「最後まで私たちを守ってくれた」と悼んだ。
 「逃げて下さい」。気仙沼署大谷駐在所の巡査部長、千田(ちだ)浩二さん(30)は地震直後にパトカーで出動した。大声を張り上げて避難誘導する姿が、住民たちに目撃されている。
 千田さんは昨年4月、駐在所に配属。気さくな性格で、すぐに地元に溶け込んだ。近くの岩下勝重さん(66)は「誰とでも仲良くなり、長年住んでいるようだった」と振り返る。昨年7月の地区の沖釣り大会で、カレイなどの釣り方を教えた岩下さんに「釣り道具一式を買いました」と報告し、一緒に釣りに行く約束をしていた。
 昨秋の祭りでは、交通整理をしていた千田さんは、みこしを担いで海に入る男たちと一緒に海に飛び込んだ。前夜祭では青年部の演劇に出演し、酒を酌み交わした。
 千田さんは地震があった11日、妻(30)、長女(4)、長男(3)を安全な場所に避難させるとすぐに任務に戻った。消防団員の中沢誠太郎さん(40)は「無理はせず、すぐに逃げた方がいい」と声をかけ、千田さんはうなずいた。
 千田さんは同日夕、小川近くの土手で遺体で見つかった。顔に付いていた泥を、中沢さんはぬぐった。「あの時、無理にでも引き留めておけばよかった。彼は最後まで自分たちを守ってくれた」と話した。
(2011年3月25日21時30分 読売新聞)

「おまわりさん、ありがとう」としか言うことが出来ません。
おまわりさんにも家族がいたんですね。
本当にありがとうございました。

「言葉にできない。ありがとう」石原都知事、感極まり言葉詰まらせる 放水活動の消防隊員に謝辞

2011年03月22日 | 社会
「言葉にできない。ありがとう」石原都知事、感極まり言葉詰まらせる 放水活動の消防隊員に謝辞
 福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が21日、東京都渋谷区の消防学校で行われた。石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。

 「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。

 石原知事は、被曝(ひばく)覚悟の活動を「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と称賛。さらに、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた。これをふまえて、これにすがって、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせた。

 活動報告会に参加した隊員の一人は「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。
MSN産経ニュース2011.3.21 21:35

最前線で放水活動、復旧対策にあたっておられる皆さん、本当にありがとうございます。

中国人研修生を避難させた日本人社員が津波の犠牲に、研修生らは全員無事―中国紙

2011年03月18日 | 社会
中国人研修生を避難させた日本人社員が津波の犠牲に、研修生らは全員無事―中国紙
2011年3月16日、新華網によると、津波に襲われた宮城県女川町で、約20人の中国人研修生を避難させた日本人の社員が、津波の犠牲となっていたことが分かった。

「もしあの人たちが助けてくれなかったら、私たちは今ここにいない」。遼寧省大連市から来た研修生の衣亜男(イー・ヤーナン)さんと同僚たちは、目に涙をためながら女川町で話した。女川町の人口1万人の半数が、今なお行方不明となっている。記事によると、同町で研修を受けていた中国人研修生約100人から、犠牲者は一人も出なかった。身近に助けてくれた現地住民や同僚がいたからだという。

激しい揺れに襲われた当時、佐藤水産株式会社の20人の中国人研修生は、宿舎付近の小高い地形となっている場所に避難した。その後すぐに、専務の佐藤充さんが彼らに駆け寄ってきて、「津波が来た!」と叫びながら研修生たちをさらに高い神社へと退避させたという。その後で佐藤さんは妻子を探しに宿舎に戻ったが、宿舎は津波にのみ込まれてしまったという。再び避難してくる佐藤さんを見た人は誰もいなかった。

震災が発生した夜、大雪が降り厳寒だったが、研修生たちはどこにも行く場所がない。佐藤さんの兄で、佐藤水産の社長・佐藤仁さんは自宅が流された悲嘆にくれる間もなく山上に住む友人に助けを請い、研修生たちの宿泊場所を確保したという。研修生たちの世話係・杜華(ドゥー・ホア)さんは、「被災した翌日、私たちを見た佐藤社長が言った最初の言葉が、『杜華、20人だれも欠けていないな!』だった」と話した。

岡青株式会社の社長と部長らも、まず5人の中国人研修生を安全な付近の山に避難させた。大連市出身の曹晶(ツァオ・ジン)さんは、「あの晩、社長は自分の子供の安否も分からないなかでまず私たちを山頂の温泉旅館に避難させてくれた」と振り返った。その後しばらくして付近で最も大きな避難所に移されたが、そこには数十人の中国人が集まっており、毎日2~3食が提供されていたという。曹さんは、一刻を争う非常時に、現地の人たちがすべての命を等しく尊重してくれたことを、助かった研修生たちは生涯忘れない、と語った。(翻訳・編集/津野尾)
Record China 3月17日(木)14時24分配信

日中関係改善のためにも、犠牲になられた方の意志を一人でも多くの中国人に伝えていただきたいです。