まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

コンセプトは安否確認

2021年12月21日 | 日記
私のような最果ての泡沫ブログにも
100人や200人のありがたい読者はいて
ブログのコンセプトは何ですか?などと聞かれることがある。
コンセプト?うーん、コンセプトかあ・・・
昔は企画会議などで腐るほど聞かされた言葉ではあるが。


そう大上段にあらためて聞かれても返事に窮する。
一応タイトルは「陽だまりブログ」だが
曖昧模糊としてよくわからないし
最近はタイトルと内容が伴なっていないことも多い。
要するに一日一枚だけ心に残った写真を載せ
愚にもつかない駄文を添えているのだが
近頃は写真を撮るヒマもなくて過去の写真の使い回しも老い。
実は私の田舎(島根県)にいる弟も熱心な読者で
先日「安否確認もあって毎日ちゃんと読んでるよ」などと言う。
そうか、なるほど安否確認か、それだな。
この歳になるといつ何があっても不思議ではないから
安否確認は重要だし何より実用的である。
という訳で今日からコンセプトは「安否確認」にしたい。
肉親に見守り役をしてもらいながら
本日もどうでもいいような写真と拙文でブログを更新する。

最近はどうも葉っぱの写真が多いねえ・・・
などと読者に言われながら。(笑)


タイザンボクの味わい

2021年12月19日 | 日記
12月もすでに半ばを過ぎて
吹く風も一段と冷たさを増して来ました。
公園の紅葉もいつの間にか色褪せて
寒さとともに再び色のない世界がやって来ました。
そんな中、タイザンボクの落ち葉を拾いました。


うーん、いい色してますねえ。
茶褐色と言うのか、錆び色と言うのか
勝手に「いぶし銀」の魅力なんて呼んでいるのですが
独特の光沢があって味わい深い色ですねえ。
泰山木と書いてタイザンボク。
モクレンの仲間で初夏には純白の大きな花を咲かせます。
うっとりするようないい香りで大好きな花です。
普段は青々とした葉っぱが艶やかで
ずっと常緑樹とばかり思っていたのですが
真冬にはこんな枯れた味わいの色になるんですねえ。
タイザンボクのような年寄りになりたい・・・
なんて言うと笑われるでしょうか。


年末の悲劇

2021年12月18日 | 日記
帰り道に新宿のネオン街を通過。
今年一番の寒波襲来とあって冷え込みますねえ。
厚めのダウンを着こんで来てよかった!
うーん、ビルの灯りが人待ち顔にまたたく光景を見ると
ついつい一杯やりたくなる年の瀬ですが・・・


そうそう、ビルと言えば・・・
大阪の雑居ビルで痛ましい火災が発生しました。
職場のラジオで一報を聴いたのですが
曽根崎新地は毎晩のように飲み歩いた馴染みの街ですから
とても他人事とは思えず驚きました。
火元となった心療内科には大勢の患者さんがいて
突然の火災は放火の疑いが濃いらしくて
狭いビルでの突然の異変にほとんどの人が逃げ遅れたようです。
こころやからだに不調を覚える現代人が
いかに多いかも驚きでしたが
その人たちが一人の悪意によって犠牲になるとは
なんと理不尽なことかと怒りを覚えます。
心療内科の患者さんたちは職場復帰をめざし訓練中だったとか。
やりきれない思いでご冥福を祈るばかりです。


ふざけるな!

2021年12月17日 | 日記
世の中は「非道」や「理不尽」に溢れかえっていますが
このニュースを知って怒りに震えました。
注目だった財務省による公文書改ざん問題で急転直下
政府は判決を受け入れて国家賠償を決定しました。
森友問題の真相解明は叶いませんでした。


この決定を聞いた奥様は
思わず「ふざけるな!」叫んだそうです。
裁判に負けたような気持ちだとも語ったそうです。
夫の死の真相を知りたい、自死の経緯を明らかにしたい。
その一心で裁判を戦ってこられただけに
国に裏切られたような思いだったに違いありません。
不意打ちと言うか、敵前逃亡と言うか・・・
真相が明らかになるとよほど困る事情があったに違いありません。
あらためて「ふざけるな!」叫びたい思いです。
国家賠償ですから賠償金は税金で払われます。
冗談ではありません。
この決定にほくそ笑みながらぬくぬくと暮らしている
あの人に払わせて欲しいと思います。


闇がなくなった

2021年12月15日 | 日記
一日働いて疲労困憊。
地下鉄のホームからエスカレーターにすがって
やっと地上に出ると満艦飾のネオンだった。
わが団地の師走恒例のイルミネーション点灯である。
都心に比べるとかなりショボいけれど・・・

4

LED電球をまとって輝いているのはケヤキだろうか。
樹木がこん夜中にも煌々と照らされて
果たして生態は大丈夫だろうかと心配になって来る。
この季節はイルミネーションにクリスマスツリーの灯りも加わり
どこもかしこも昼間のように明るく輝いている。
夜の深い闇はトンとご無沙汰である。
都会では「漆黒の闇」というものを久しく見なくなった。

あれはもう何十年も前のことだが・・・
紀州は熊野古道の山深い民宿に泊まったことがある。
ロケハンを兼ねての取材旅行だったが
その夜は女将手づくりの山菜料理で夜遅くまで飲んだ。
途中、煙草を買い忘れたことを思い出して
ディレクター氏とすぐ近くの自販機まで歩いたことがある。
距離にすれば民宿と棟続きの10メートルほどだが
みごとに灯り一つない真っ暗闇で
自分の足元さえ覚束ない手探り状態で難渋した記憶がある。
初めて体験する「闇の深さ」「闇の恐怖」だった。
もうタバコはやめようかと諦めかけた瞬間
突然、バタバタと何かが羽ばたくような物音がして
恐怖にひきつった私たちは脱兎のごとく民宿に逃げ帰った。
囲炉裏端で赤々と燃える焚火の火が
あの時ほどありがたく救いに見えたことはなかった。
そんな深々とした闇が
絶えて久しくなったとあらためて思う。