まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

わたしの師匠

2017年06月20日 | 日記

文藝春秋の7月号を読んでいたら
特集企画の「わたしの師匠」が目にとまった。
各界の著名人が尊敬する師匠との心の交流を語る企画で
興味深いエピソードが満載で面白かった。

糸井重里が語る思想家・吉本隆明の気遣い。
綿矢りさが語る田辺聖子の観察眼。
女優・鈴木杏が語る演出家・蜷川幸雄の素顔。
市毛良枝が語る登山家・田部井淳子のおばさん的人間力。
政治家も何人か登場するが
安倍首相に聞かせてやりたいようなエピソードばかりだった。〈笑〉

この世界に入って以来、ずっと「師匠」に憧れて来た。
落語の世界の師匠と弟子の関係を心底羨ましいと思ったこともある。
そんな機会はついぞなかったものの
あえて言えば私の「心の師匠」はやはりあの人だったと思う。



エッセイストでイラストレーターでもあった和多田勝さん。
最近はその名を聞くことも少なくなったが
かつては大阪を中心に大活躍されたタレントさんただった。
六代目・笑福亭松鶴師匠の甥っ子さんで
若い頃は「小つる」の名前で高座にも上がっておられたと聞く。
それだけに軽妙なお喋りが持ち味で
ご覧の通りの人懐こい笑顔で誰からも愛された才人だった。

その和多田さんと
縁あってラジオの「旅番組」をご一緒することになった。
私自身の企画で大いに張り切っていたが
とにかく忙しい人でスケジュール調整だけが心配だった。
それでも気持ちよく引き受けて下さり
和多田さんとの楽しい「旅」が始まったのである。



番組は予想外の評判で本にもなった。
私鉄沿線の名所や旧跡、ゆかりの人などを訪ね歩いては
音とインタビューで旅を再現する番組で
取材のアポイントから現場での演出、台本作成にスタジオ収録と
一人で大変だったが和多田さんとの「道行き」は本当に楽しいものだった。
ヘタなスケッチが趣味となったのもこの番組がきっかけだった。
スポンサーの広報誌にエッセイを連載中の和多田さんが
行く先々の風景をスケッチされている間
「どうせなら一緒に描きはったらよろしいやん」と声をかけて下さり
見よう見まねでスケッチブックに向かうようになった。
調子にのってエッセイの習作を見てくれませんかとお願いすると
「やりましょう!どうせなら一週間に一本書きましょう」と
これまた笑顔で引き受けて下さった。
今から思えばこれがずいぶん文章の力になったような気がする。
取材が終わった後、ミナミの居酒屋で冷たいビールを飲むのが恒例だったが
下手なイラストもエッセイも徹底的して誉めて下さった。
もう少しスケッチがたまったら
二人で個展をしましょう!などとも言って下さった。
たとえお世辞でもその言葉にどれほど励まされたか知れない。
子弟の盃を交わしたわけではないが
まさしく和多田さんは私にとって「心の師匠」だった。

その師匠が亡くなってもう20年以上が経つ。
一緒に仕事を楽しんだプロデューサーもディレクターも
すでに鬼籍の人になってしまわれた。
和多田さんは私よりちょうど10歳以上年かさで
本当に頼りになる兄貴のような人だった。