鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

簡易水道の統合

2019年03月24日 | 議会活動

平成31年3月24日(日)

 

 私たちのライフラインのうち、上水道の安全で安心・安定的な運営は欠かせません。国は公営水道の民営化などを制度化する方向にありますが、先日のブログでも紹介したとおり、多くの自治体がこの方向に疑問を持っています。その理由は、上水道の使命は自治体が責任を持つべきだとのことでした。

 

 富士市の東部地域にはまだ多くの簡易水道組合が残っており、私が平成11年頃から市議会議員として関わったのが、この簡易水道組合の市水道への統合でした。私の住む地域も簡易水道組合が上水道を供給する地域であり、その立ち上げについては私の祖父も関わっていました。

 当地区の簡易水道組合が立ち上がったのは、昭和の高度成長期、市内の製紙工場などの過剰な地下水の揚水により、生活用水と使用していた湧水や浅井戸などが枯れてしまい、全市的に市民生活に影響が出始めた頃です。

 市街地は市の上水道であったため、深井戸などで水の確保は用意でしたが、郊外は先ほどのような上水道環境であったことから、しかも広範囲にその事態がほぼ同時に発生したため、行政の対応を待つことなく自衛手段として簡易水道組合を立ち上げ、井戸を掘り、揚水や配水施設を設け、各家庭の生活を守ってきました。

 その負担は各家庭が担うことになり、住民が協力し合ってできるだけコストのかからない運営方法を選びました。例えば、配水管網は短い距離を確保するため、民地の中を通り、運営も地域住民で行うことから、人件費もほとんどかけず済みました。その結果、安価な水道料金でまかなうことができ、市営水道料との格差が生じています。

 しかし、人の健康を害する水質では認められないことから、法律により公営も民営も同じ水質検査が求められ、受給する住民は公営水道と同じ安心した水を得ることができます。

 しばらくはこの状態で運営することは可能でしたが、平成7年の阪神淡路大震災などの大災害時におけるライフラインの復旧や復興に大きな不安が募り、簡易水道事業者の高齢化などもあって、市水道への統合が始まりました。

 

 市水道への統合条件は、かなり厳しくまた負担を伴います。例えば、配水管網は規格以上の口径に換え、民地の外に出さねばなりません。これらの手続きに要する負担金については、これまでも保守費用として積み立てていたものを流用するほか、各家庭の負担が求められ、各簡易水道組合の事情も異なることから、様々な課題があります。

 

 簡易水道組合側は、負担軽減を市側に求めていますが、上水道事業が一般会計と分けた企業会計であることもあり、期待に添えるところまでは行っていないことが現実です。先ほども触れましたが、簡易水道組合設立の背景には、市の窮状を市民自ら自発的に解決に向け取り組んできたことであり、その認識は市の経済発展の過程の歴史として位置づけるべきで、一般会計からの支援があってしかるべきと考えます。

 また、県や国の支援も求められていますが、市の財政状況との兼ね合いから、支援できる地域とできない地域もあり、その課題も壁になっています。

 

 昨夜の住民集会では、地域発展の要望が意見として出される中、20年も未解決の問題が根底にあることを改めて認識し、解決に向けた強い思いを受け止めました。

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コミュニティの総会から

2019年03月23日 | 議会活動

平成31年3月23日(土)

 

 この時期、市内各地で各種団体の総会が開催されています。その多くからお声がけをいただき、連日ハシゴをさせていただいています。

 

 一番多いのはコミュニティの総会で、1年間の事業報告や決算、役員更新などを経て、次年度事業計画と予算審議などが行われていました。コミュニティと一言で言っても地域に存在する各種団体の総会を兼ねるために、町内会を始め自主防災やその他関連する団体事業についてもこの総会の一部として開催されるため、資料としては相当の量になり、いかに地域活動が多いかを実感させられます。

 

 際立っているのは町内会事業であり、そのトップを務める町内会長の域内外の会合数に驚かされるものであり、その多忙さゆえになり手が見つからないという現象が理解できます。各地のコミュニティの最大の共通課題は、後継者対策と聞きました。

 

 防災に関する取り組みでは、防災設備や訓練に関するものが多く、総会会場となる公会堂などには避難路や地域の危険箇所を記したマップ等が掲げられ、防災意識の高さがうかがえます。総会資料には自主防災活動の充実を図る積極的な取り組みが記されており、これも巨大地震発生予想地域であることや東日本大震災などを経験した関心の高さといえます。

 

 各地の取り組みは積極的でありますが、課題と感じるものも少なくありません。これまで地域を支える活動であった、老人会や婦人会組織が解散してしまうことです。今後は、資料上は町内会の一組織のようにはなっていますが、従前と比べ、そこに属する人数は、連絡員程度に減ってしまい、これまでの活動の先は見えてきません。また、それぞれの団体を市全体で横断的に取りまとめる組織から脱退するなどで、同種の外部の活動などが見えてこなくなる懸念があるなど、形骸化することにならないか気になるところです。

 

 市は、新たなまちづくり組織を目指し、地域もそれに応じた組織改編を行っていますが、財政的な理由なども理解できる一方で、これまでに取り組んできたコミュニティ活動が後退しないか、見守っていく必要があると感じました。

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しらす漁解禁

2019年03月22日 | 議会活動

平成31年3月22日(金)

 

 昨日、しらす漁が解禁となり、地元にある田子の浦漁港は初日から大漁で活気づいていたようです。

 

 近年は不漁が続き、地元はもちろんのこと、県内外から多くの観光客で賑わう「田子の浦漁港しらす祭り」の中止が続き、農林水産省から認定された地理的表示保護制度(GI)であるにもかかわらず、漁業だけでなく観光にもダメージを与えていただけに、今回の朗報は「春から縁起がいい」ということになればと期待しています。

 

 昨夜は各地の挨拶回りをしている最中、田子の浦漁協関係者と話をする機会がありました。当初お会いした時は気付かなかったのですが、始終笑顔が絶えず、途中からしらす漁についての話題の中で、先ほどのような状況を知ることができました。

 

 田子の浦漁港のしらす漁の特徴は、しらす(イワシの稚魚)を捕獲する漁法に特徴があり、通常は二隻で網を引くところがここでは一隻で網を引く「一艘曳き」という方法で、これにより小さなしらすに負担がかからず、さらに、網をあげたらすぐに大量の氷で締めることにより、新鮮さを保つといわれています。また、最新の冷凍技術によりその新鮮さが保持できることから、陸揚げ後もしばらくの間はこの食感を楽しむことができるということでした。

 

 私が子どもの頃は、親戚が海岸近くにあり、漁を行っていたので、漁期には早朝、獲れたてのしらすをバケツ一杯入れて自宅まで持参していただき、朝食やその日の夕食まで「しらすづくし」という経験もありました。家族の食べ方は酢味噌でいただいた記憶がありますが、最近は生姜醤油でおいしくいただいています。

 

 先ほどの漁協関係者との話の中で、この幼い頃の話題を取り上げたところ、「昔は氷が手に入りにくかったので、大漁に獲れたしらすのうち、鮮度の高そうなものだけを市場や親戚などに配ったものであるが、今の鮮度とは比べものにならない。酢味噌で食べるというのは、鮮度が多少落ちても安心して食べることができるからで、漁師達は鮮度の高いものしか食べず、酢味噌で食べることは少ない。」と話していました。

 しらすを食べて半世紀になりますが、はじめって知った事実と、今では家庭でも新鮮なしらすが食べられるようになったことに、感謝しなければなりません。

 

 ことしの「田子の浦漁港しらす祭り」が盛大に開催されることを祈ります。

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小学校の卒業式

2019年03月21日 | 議会活動

平成31年3月21日(木)

 

 地元の145回目となる小学校の卒業式に招かれ、出席をさせていただきました。毎年同じ光景に見えるこの式典ですが、卒業式独特の感動があります。

 

 私の母校でもあるこの小学校は、創設以来13,000人を超える卒業生を輩出してきました。初等教育機関としての145年という歴史は、改めて地域が誇るものであり、ここで育った子どもたちの6年間はその後の人生の基礎となったことを考えると、極めて重要な役割を果たしていると感じました。

 

 私が在籍していた頃は、全校生徒が900人ほどいましたが、今では300人台ということでその減少傾向に驚くとともに、改めて少子高齢化の波が地元にも訪れていることを感じさせます。しかし、この卒業式の持つ意味を受け止める保護者や家族の思いは、いつの時代でも変わらないように思えます。それは、保護者席に集まった人の数や式典進行中の眼差しから感じ取ることができます。

 卒業式は、単に子どもだけでなく親子で大きな節目を迎える大切なものと受け止めました。

 

 校長の挨拶では、絵本の読み聞かせる場面がありました。「自分らしく生きよ」というメッセージを送るものでした。PTA会長の挨拶では、高校時代の恩師からいただいたエピソードで、「あきらめない」姿勢の大切さを訴えたものです。大人はややもすると上から目線の話になってしまいますが、そんな雰囲気はなく、一緒に聞いている大人の心にも響くものであり、卒業生とその保護者、および来賓を含めた全体の一体感が漂っていました。

 

 6年間を振り返った一人ひとりからの思い出には、学校生活だけでなく故郷の素晴らしさを伝えるものも多くありました。しかし、この子どもたちは、今後、この故郷との関係をどのように持ち続けていただけるのだろうか。現在の社会現象として、人口流出が課題となっており、進学や就職で地元を離れることが増えています。

 子どもの頃の故郷の思いでは、生涯忘れることはないでしょうが、人口流出により、故郷の元気が失われると、いつか戻ってきた時にどのように感じるのか。地元にいる私たちがしっかりと守らなければなりません。

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街の中心とは

2019年03月20日 | 議会活動

平成31年3月20日(水)

 

 一つの行政区の中心がどこかと聞けば、中心市街地と呼ぶ場所だと答える人がほとんどだと思います。多くの人が住み、商店街もあって賑やかな場所であることから、誰も否定はしないでしょう。しかし、バブルがはじけた以降は、中心市街地の商店街はシャッター街などと揶揄され、その表現が外れていないような商店街も少なくありません。

 郊外に進出した大型店舗は多くの客を奪い、賑わっています。その周辺には新たな住宅街が建設され、全体が一つのまとまった街として成立しています。これでは、益々、中心市街地が寂れてしまう傾向に拍車がかかります。

 

 昨日、国土交通省は1月1日現在の公示地価を発表しました。バブルがはじけた以後は土地の評価は下がる一方で、先が全然見えない時期が長期にわたり継続しましたが、この数年は底が見えているようで、上昇と下落の二極化が進んでいるといいます。

 中心市街地に多い商業地は、都市部における地価の上昇が目立ち、そのほかは横ばいです。工業地は景気の改善による企業進出などで、人気の高い新東名高速道路のインターチェンジ周辺では地価の上昇が見られます。住宅地については、利便性の高い地域は上昇し、中山間地や交通の便が悪い地域では、下落が続いています。

 

 工業地は、交通インフラの整備などにより、それまで見向きもされなかった地域が、工業団地のように一段で整備されると、利便性の向上から一機にその価値が高まります。県内では、新東名高速道路や中部横断道などの高規格道路整備が進み、特に物流関係者にとっては関心が高い地域だといわれ、インター周辺の工業団地などは、造成中から引き合いがあり、完成後には売却済みとなるケースもあるようです。

 

 このところ、各地で集会が開催され、地域課題について質問や要望が寄せられています。その中には、郊外の活性化に関する話題が多く、少子高齢化や人口減少による将来不安もあって、活性化が大きな課題となっています。

 街の中心から離れた地域という認識が、コンパクトシティなどという流れの中でより一層の不安を感じていることは明白です。

 しかし、先ほどから触れているように、中心市街地であっても空洞化が進むことで活性化が求められ、郊外には新たな街が形成されているという現実もあります。今後は、近隣自治体との広域的なまちづくりが進むことが予想されるので、自治体間の境界付近には、新たな息吹が吹き込まれるチャンスが巡ってくるかもしれません。

 私たちはアンテナを高くし、地域住民の皆さんと情報交換を密にして、そのチャンスをものにできるよう努めていきたいと思います。

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