平成28年12月23日(金)
富士市名誉市民である、物理学者の故戸塚洋二氏顕彰施設の「戸塚洋二 ニュートリノ館」のオープニングセレモニーが、開設場所である富士川楽座(東名高速道路富士川サービスエリアに隣接)で行われました。
戸塚洋二氏は富士市出身で、素粒子ニュートリノが質量を持つことを明らかにするなど、物理学と天文学の分野に多くの業績を上げ、何度もノーベル賞候補に挙がるものの、平成20年に病気により亡くなりました。
受賞歴は、文化勲章、アメリカ物理学会のパノフスキー賞、トムソン・ロイター引用栄誉賞、ベンジャミン・フランクリン・メダルなど多くの賞を受賞しています。
私の地元が出身地ということもあり、セレモニーには顔見知りの多くの同級生や親戚の方々が駆けつけていました。
平成12~3年頃であったと記憶していますが、彼の研究がノーベル賞受賞の可能性があるという報道がなされ、当時地元選出の衆議院議員で防衛庁長官を務めた齊藤斗志二氏の計らいにより、富士市議会議員の一人として岐阜県にあるニュートリノの研究施設「カミオカンデ」を視察させていただきました。
研究機器が点検中ということで、純水を抜いたタンクの壁面にびっしり組み込まれたニュートリノを検出するセンサー(光電子倍増管)を、戸塚先生の案内で上下するゴンドラに乗りながら見せていただいたことや、全くの素人である私達に研究内容を判りやすく解説していただいたことを、昨日のように思い出しました。
(ニュートリノについて説明する在りし日の戸塚先生)
(ゴンドラに乗りながら、実験施設の巨大なタンクと光電子倍増管について解説いただいた)
(戸塚先生とカミオカンデで)
彼は自らを「実験屋」と呼び、研究者の理論を実証することにすべてをかけていました。「理論は実証してものになる。」というこだわりから、多くの実験装置を自ら作ったといいます。ニュートリノを検出する千トンを超えるタンクには、純水が満たされていますが、その純水を作る装置も自ら製作したと語っていたときの彼の目は、とても輝いていました。
私も技術屋出身のために、大変興味深くお話を聞き、また質問する時間がとても楽しく感激をしました。
夜の懇親会では、昼間と異なる側面も見せていただき、大変身近に感じた思い出があります。
また、平成16年頃だと思いますが、研究が大きな節目を迎え、世界各国で誰が一番先に研究成果を発表できるかという時期に、センサーである光電子倍増管が衝撃波により、そのほとんどが破壊されてしまう重大な事故が発生しました。
その直後、ご本人から「早急の復旧を目指し、1年以内にそれをやり遂げたい。」とのコメントを発した新聞記事が載っていたのを思い出しました。
先ほど触れたように、実験装置を自ら作っていると、修復に向けた最善の対処方法も頭の中に思い浮かんでいたのかもしれません。彼なら実現できると確信しました。
復旧作業には多くの手伝いが必要であり、全国の工学・理学系の大学・大学院生に協力を呼びかけました。それに応えた学生達が全国から集まり、泊まり込みで手伝ったといいます。たまたま、当時工学系の大学院生だった私の長男も、自分の母校の先輩という思いもあってか、1週間ほど現地入りし貴重な体験をしたことを聞かされました。
(富士市名誉市民となり地元に戻ったときのスナップ。光電子倍増管取り替えを手伝った長男と)
その後の研究成果は世界をリードしていると実感させるもので、間違いなくノーベル賞に手が届くと信じていましたが、病に倒れ、闘病中は自らの身体を治療の実験台に、その時々の状況を克明に記録に残していたという話を聞いたことがあります。
最後まで、「実験屋」の魂は貫き通した方でした。
セレモニーでは主催者である市長、市議会議長、国会議員に続き、令夫人からご挨拶をいただきました。
研究者としてドイツで始まり、カミオカンデ、スーパーカミオカンデでの研究生活のエピソードや、「実験屋」としてのこだわりなどをお話しいただきました。発病後、2年は大変な時期でしたが、「老後は、本を書いて若い人のためになりたい。科学へのアプローチになれば。」が夢だったといいます。亡くなったことは無念ですが、最大限の努力により素晴らしい成果を残したことは、研究者として幸せだったと結んでいます。
(あいさつする令夫人)
(感謝状を授与された2団体)
施設開設にあたり、光電子倍増管を寄付していただいた浜松ホトニクスと、展示施設の体験型シミュレーターのソフトウェアを提供いただいた、日本科学未来館にたいし感謝状の贈呈、その後、テープカットが行われ、施設見学となりました。
(オープニングのテープカット)
この施設は、東名高速道路富士川サービスエリアに隣接し出入りが自由なので、年間300万人以上が立ち寄ることから、新しい名所として発展することを切に願うものです。
(令夫人と。真ん中の白衣は戸塚先生と同じサイズの人形)
(懐かしい写真も展示)
(戸塚氏のニュートリノ研究に対する思い)
(テレビ取材を受ける令夫人)
(光電子倍増管)
(霧箱を使った体験コーナー)
(素粒子体験のシミュレーター)
(以下展示パネル)