夕食後、片付けをするもの面倒だし、カフェに行っても混雑してる時間帯だしとグーたらしていると玄関のチャイムが鳴りました。誰だよこんな時間に、と戸を明けるとK君が立ってました。「電話してからと思ったんだけど料金払ってなくて携帯が使えなかったから。近くに来ていたんだけど、ちょっと遣る瀬無くてサー」。早々とデートを切り上げて来たようなのですが、遣る瀬無いのは彼女とのことではなく、「N.T君が日仏病院で亡くなった」という知らせを受けてのことでした。
N.T君とは5年前は一緒に仕事もしてましたし、10月には彼が現地法人の社長を勤めるビンユンの工場を見学させてもらったばかりです。信じられない思いは一緒でした。まだ30前後の若さです。そのなぜ彼が死ななければならなかったのか。しかも、ここではありふれたマラリアなどという病気で。健康な青年男子が十分な治療を受けられて死亡する確率は0.1%以下の病気のはずではないでしょうか。受け入れがたい思いは誰も同じで、医療ミスの噂も広がっているようです。遺された幼い子供とベトナム人の奥さんの今後のことや、ご両親の心痛を思うと居た堪れない思いです。
ベトナムで生活するということのリスクを軽視していたつもりはなかったのですが、こうも短期間に不幸が相次ぐと、何処かに納得できる理由を探したくなってしまいます。今年の異常気象がハマダラ蚊を大量に発生させたのでしょうか。
Dさんが倒れた週の週末にグエンオアィン通りのカフェに寄るとThaoがけだるそうに椅子に座っていました。顔には吹き出物が隠しようもなく広がり、薬物中毒とわかる口調で「薬代頂戴」と声を掛けられました。その1・2週間前はまだ元気で、「将来は、何をしたいの」?などと聞いてもみたのですが、「将来はない」との答えでした。その答え通り、グエンキム通りの175病院に運び込まれた翌日、息を引き取ったそうです。Thaoの親友だというLeの話によれば、15歳から10年間売春を重ね、HIVの末期だったとのことです。もっとも本人が口にする話とLeが言うこととは常に食い違いが多いのですが、大筋ではそんなところだろうと思ってます。たぶんその時声を掛けられた薬代とは4、50円ほどの顔に塗る薬のことだったのだと思います。「何でオレがたかられるんだよ」とムカつきながらも渡しておくべきでした。
N.T君とは5年前は一緒に仕事もしてましたし、10月には彼が現地法人の社長を勤めるビンユンの工場を見学させてもらったばかりです。信じられない思いは一緒でした。まだ30前後の若さです。そのなぜ彼が死ななければならなかったのか。しかも、ここではありふれたマラリアなどという病気で。健康な青年男子が十分な治療を受けられて死亡する確率は0.1%以下の病気のはずではないでしょうか。受け入れがたい思いは誰も同じで、医療ミスの噂も広がっているようです。遺された幼い子供とベトナム人の奥さんの今後のことや、ご両親の心痛を思うと居た堪れない思いです。
ベトナムで生活するということのリスクを軽視していたつもりはなかったのですが、こうも短期間に不幸が相次ぐと、何処かに納得できる理由を探したくなってしまいます。今年の異常気象がハマダラ蚊を大量に発生させたのでしょうか。
Dさんが倒れた週の週末にグエンオアィン通りのカフェに寄るとThaoがけだるそうに椅子に座っていました。顔には吹き出物が隠しようもなく広がり、薬物中毒とわかる口調で「薬代頂戴」と声を掛けられました。その1・2週間前はまだ元気で、「将来は、何をしたいの」?などと聞いてもみたのですが、「将来はない」との答えでした。その答え通り、グエンキム通りの175病院に運び込まれた翌日、息を引き取ったそうです。Thaoの親友だというLeの話によれば、15歳から10年間売春を重ね、HIVの末期だったとのことです。もっとも本人が口にする話とLeが言うこととは常に食い違いが多いのですが、大筋ではそんなところだろうと思ってます。たぶんその時声を掛けられた薬代とは4、50円ほどの顔に塗る薬のことだったのだと思います。「何でオレがたかられるんだよ」とムカつきながらも渡しておくべきでした。