GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

愚痴

2006-12-16 02:56:07 | 仕事
多少プログラムを書けるという新卒の女の子を一人雇ったところ、1ヶ月ほどして営業をしたい、と言い出したのでご希望通りの仕事をしてもらい始めました。が、またもやどうにもなりません。勿論、今日のベトナムでも他所を見れば優秀な営業マンも数多くなりましたが、そこそこの給与を払わねばならず、わが零細事務所では負担が大き過ぎますし、何度か覚悟してそれに見合う賃金の人を雇ったりもしてみましたが、賃金が高ければ質も保証されるとは限らないところが問題です。高賃金を要求する人の半分は、仕事ができないのにプライドだけは人一倍高い、というタイプで、しかも他所で仕事か見つからないからわが事務所で渋々働くということでしかなく、初めから期待のしようもないのかも知れません。

とにかく、普通のコミニュケーション能力があればそれで十分、と思っているわけですが、この「普通」というのが難しいというか、希少だと感じてしまいます。当たり障りのない関係なら別に問題となることもないわけですが、仕事の中だと摩擦は避けられません。ある程度の経験があればともかく、研修期間などなしに仕事をしてもらうわけで、当然ながら初めはミスの連発。ところが誰でも自分のミスを認めるのは辛いもの。謝る代りにとんでもない言い訳で逃れようとする風潮が根深く、まるで一つのミスを認めることが全人格を否定されるかのような反撃体制に入ってしまいます。余裕がないから仕方のないことと諦め、謝らすような状況を作らないようにすれば良いわけですが、僕にもそんな余裕はないわけで怒りまくりの怒鳴りまくりです。

結局のところ、双方共コミュニケーション能力に致命的欠陥があるように思えて来ました。他人の欠点はあげつらえば限がなく、ベトナムの歴史と社会と教育の中に問題を指摘することは誰でもできそうです。日本と同じ東アジア的縦社会の中でポジショニングに血道をあげてしまう体質は日本人以上でありながら、王権の及ばない村落の自治、自由は何にも屈しない頑固さ育んできたようです。この相反する要素の調和の仕方が日本人的体質と大きく異なるみたいです。
日本で問題となっているイジメやパワーハラスメントは、つまるところ異質なものに対してコミュニケーションできない日本的なるものの限界性でもあるように思えます。

と、いうことでわが能力の不足を自らでは克服しがたい日本人のせいにしているわけですが、きょうも台所に出没し、洗った食器の中に糞を垂れていった鼠同様、何時の日かは必ず叩き出し、優秀で美人のスタッフと取り替えてやるぞとの決意は変りません。