日本には、本当に数多くのアニメコンテンツがあります。80~90年代に生み出された日本を代表するようなアニメタイトルはもちろんのこと、近年において制作されるものは、あまりにも数が多く、とても一般の人が24時間という限られた時間のなかで、キャッチアップするには無理があるほどです。
ところで、もちろんアニメは日本だけでなく、世界中で制作されています。そのうちの代表的なもののひとつが、アメリカのディズニーアニメでしょう。ディズニーアニメといえば、ミッキーマウスやドナルドダック等、世界的な超有名キャラクターを抱えており、世界一のアニメであると言うこともできると思います。私としては、それをまったく否定するつもりもなく、またディズニーランドのような展開をすることで、より多くの人々が、そうしたコンテンツを楽しめるように努力している点、素晴らしいものがあると思います。
しかし一方で、日本のアニメには、ディズニーアニメにない素晴らしい良さがあることも確かだろうと思います。それは、人間の内面性表現という点においてです。
お気づきの方も多いかと思いますが、ディズニーアニメのキャラクターは、実に表情が豊かです。喜怒哀楽を表すとき、彼らは文字通り顔をクシャクシャにします。「俺は怒っている!」、「私は悲しい」、「サイコーに楽しいっ!」・・・。これらのキャラクターの表情は、見ていて爽快ですし、また実によく描かれていると感心してしまいます。
一方で、日本のアニメでは、時に背景等において、非常に写実的な表現があるにせよ、こうしたキャラクターの表情における「豊かさ」は、ほとんどありません。もちろん、喜怒哀楽の表情はありますが、ディズニーアニメで描かれるそれとは明らかに異なります。どちらかというと平面的で、表情の起伏が少ないといった印象は拭えないと思うのです。
私は、ここに日本アニメの「視覚に囚われない良さ」があるように思います。キャラクターの「表情の起伏」が少ないというのは、「感情の起伏」が少ないこととは明確に違います。キャラクターの感情は、ストーリーのなかで、大きく動いていくのであり、「感情の起伏」は厳然と存在するのです。そのなかで、「表情の起伏」が少ないという、キャラクターの視覚的要素に囚われず、視聴者が自由にその裏に潜むキャラクター内面を読み取る幅が残されているということでもあります。これは、奥深さという言葉で表現できるかもしれません。
こうした内面の奥深い表現は、キャラクターの感情を表情に出し切ってしまっているディズニーアニメでは難しいことです。そして、それはある意味で、日本らしい文化の表れであり、日本アニメの特徴であると言うことができるのだろうと思います(「日本人の大切な「ゼロ」」、「「No」と言えないことへの誇り」参照)。
若干、話は逸れますが、私はそういう事情があるが故に、そうした平面的なキャラクターに魂を吹き込む声優さんの役割というのは、極めて重いものであるとも思います。つまり、視覚では表現しきれない微妙なキャラクターの感情の動きや溢れ出る思いは、声優さんの演技に託されているといっても過言ではないからです。
いずれにせよ、こうしたことからも、日本はとてももったいないことをしているように思います。そしてまた、こうした文化をきちんと世界に対して発信していくことが、日本の世界における貢献に繋がっていくのではないかと思えてなりません。