常識について思うこと

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ラムダ・ドライバの発動

2008年11月24日 | ヒーロー&アニメ

連休中、アニメ「フルメタル・パニック」を観賞していました。いい作品です。

ロボットモノながら、主人公・宗介のキャラクターによって、学園モノとしての出来も映えているように思いました。シリアスな感じもいいのですが、「フルメタル・パニック?ふもっふ」やOVA「わりとヒマな戦隊長の一日」などに含まれているギャグの仕上がりも最高です。

ところで、この「フルメタル・パニック」には、最強兵器ラムダ・ドライバなるものが出てきます。この兵器は敵の銃弾を撥ね返したり、敵機を一気に殲滅したりする圧倒的な威力を持っています。個人的に、これの存在には、かなり興味深いものを感じます。

このラムダ・ドライバは、主人公の宗介が操縦するロボット、アーバレストに搭載されていますが、なかなか簡単には動きません。なぜなら、それの作動は、操縦者である宗介の精神と深く関係しており、安定的にコントロールすることができないからです。したかって、ラムダ・ドライバは、味方からあまり頼りにされることがありません。しかし、それは最後に味方を救う切り札です。宗介の精神状態が極限状態に達したときに作動し、その最強無比の圧倒的な力で、敵を瞬時に殲滅するのです。

私は、ラムダ・ドライバのこうした不思議で圧倒的な力が、人間なら誰にでも宿るものだと考えます。

史実かどうかは別として、ナポレオンは「我輩の辞書に不可能の文字はない」と言ったといいます。ナポレオンが、実際にこの言葉を発したかどうかは問題ではありません。ただ私自身、この言葉の意味が、非常によく分かる気がするのです。人間に不可能はありません。

こんなことを言うと、「それなら羽を生やして飛んでみろ」などと意地悪な言葉を浴びせる人がいるかもしれません。そういう意地悪な言葉に対して、私は敢えて「Yes」と答えることもできます。ただし、前提条件があります。それは「本当にその必要があるのなら」です。

「不可能はない」などと言うと、軽はずみに「何でもできる」という意味として捉える人がいるかもしれませんが、けっしてそうではありません。真に必要とされていることは、必ずできるという意味です。真に必要とすることのみを行う者にとって、あらゆる行動は必然であり、その「必ずできる」ということが、「不可能はない」という言葉の意味なのです。そういう意味で、「羽を生やして飛ぶ」ことが、真に必要ならば、それは「必ずできる」ということです。

話をラムダ・ドライバに戻します。

ラムダ・ドライバが発動するときというのは、操縦者・宗介にとって、後がない状況です。絶対に負けてはならないという思いが極限に達したとき、真に負けないことが求められていると感じたとき、はじめて発動するのがラムダ・ドライバなのです。このことは、「力」の本質を突いています。つまり、真の「力」とは、ただ「力」を求める者に宿るものではなく、極限状態において真に「力」を必要とする者にのみ宿るということです(「女神さまたちのお話」参照)。

これは、私が実感として、持っている「力」のイメージとも合致します。真の「力」とは、むやみに与えられるものではなく、本当に必要とされる時に、必要とする者だけに与えられるものです。

今、この世界は、大変な状況に陥りつつあります。いろいろな人々が、それぞれの立場から解決策について考え、それらを実践しているようですが、問題の根は極めて深く、とてもそれら全てを解決できるような状況にはないと思われます。

しかし、そんな中で今、私は意識的に遊んでいます。それは、まだ時が満ちていないからです。別の言い方をすれば、遊びが許される状況にあるからです。「風林火山」で言えば、「林」といったところでしょうか。「林」のように事を静かに進めてはいるものの、「如火」には至らないのです。事を進めるのにはメリハリが大切なのであり、まだ遊びが許される状況においては、目一杯遊んでおくことが重要です(「風林火山と「武」のあり方」参照)。

しかし、時は流れています。いつまでも、同じ状態が続くわけではありません。遊びの時間が、際限なくあるわけではなく、あるタイミングを持って、遊びが許されなくなる状態になるのです。それは、「如火」のフェーズと言えるかもしれません。私のビジョンにおいて、その時は刻々と近づいてきています。そして、その時が満ちたとき、遊びが許されない極限状態になるわけです。

その時、私は真に「力」を必要とするのであり、その瞬間を迎えることで、はじめて私は私のラムダ・ドライバを発動させることができます。その瞬間から物事は大きく変わり始めるのです(ちなみに、私のラムダ・ドライバはアニメに出てくるような「兵器」とは程遠く、その対極にあって最強のものです。分かりにくいでしょうから、それは追々お見せすることにしたいと思います)。

人間はそれぞれが、そうしたラムダ・ドライバを持ち合わせているのだと思います。それがひとつずつ発動していったとき、それらは大きなうねりとなって、この世界を大きく変えていくことになるでしょう。今、この時代に生きるということは、各人がそうした各自のラムダ・ドライバを探すことではないかと思います。

《おまけ》
「フルメタル・パニック」に出てくるテレサ・テスタロッサ大佐役のゆかなさんは、相変わらず素晴らしい演技をしてくれます。ゆかなさんの演技によって、私は完全に「テッサ萌え」してしまいました。感情が露になったときのテッサは、本当にいい感じです。あらためて、アニメにおける声優さんの演技の重要性を感じます。

少々、別の話ですが、昔のアニメで「ウィングマン」という作品がありました。私は、このアニメに出てくるアオイさんが大好きでした。「ウィングマン」は、コミックから始まっているもので、それも読んでいたのですが、コミックのアオイさんはそれほど好きではありませんでした。ところが、アニメのアオイさんは、とにかく声がいいのです。アオイさんの声優は、川浪葉子さんという方ですが、私のアオイさん好きは、ほとんどその川浪さんの力によるものです。

こんなことを含めて、アニメにおける声優さんの重要性をあらためて思うのでした。

それとせっかくの「おまけ」なので、ついでに言っておくと、今週の「かんなぎ」は、かなり面白かったです。エンディングまで含めて、大爆笑してしまいました。あのアニメは、本当に面白いです。上記の絡みで、戸松遥さんの演技が素晴らしいのはもちろんですが、スタッフの方々は、相当遊びながら作っているのでしょう。皆さんが、とても楽しくアニメ制作をされているように感じます。

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