常識について思うこと

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複雑化する税制の限界

2010年06月23日 | 政治

内閣が変わって、政治にも新しい論点が生まれてきたように思います。

そのうちのひとつが、税制です。去年まで、財源があると主張していた民主党でしたが、さすがにここにきて、新たな財源確保が必要であるとの認識が生まれてきたのでしょう。ここのところ、消費税10%という話が、頻繁にメディアに登場するようになってきました。最近の不況下では、低所得者層には厳しいということで、消費税率を引き上げた場合の低所得者の負担軽減策について、「いまのところ一番良さそうなのは、5%分を返す」という発言が、与党幹部から出てくるようにもなりました。

私としては、税制の話になると、何かとこのように特例措置等が議論の対象となり、その度に税制が複雑化していくような気がしています。

もちろん、社会全体が新しい有効な「財」を生み出せなくなり、それに伴い税収が減っているのですから、増税の議論が避けて通れないのは理解します。そして、そうなると、ますます生活が苦しくなる人々が出るのだから、それに応じた特別措置を講じなければいけないという点も分かります。そういう意味で、こうして税制が複雑化していくような議論には、必然性すら感じます。

ところで、増税をしておきながら、一方でその一部を還付するというのは、社会全体でみると、大変な無駄であることも間違いありません。上記の消費税の一部還付で言えば、その低所得者をどのように定義し、それをどのように知らしめ、その額をどのように算出し、どのような手続きをもって還付するかということを考えると、それらがすべて社会全体で負担しなければならないコストになるわけです。これを個別にやらないといけないとなると、それなりのコストになるであろうことは間違いありません。

ただでさえ、社会全体の生産性が落ち、新しい有効な「財」を生み出せなくなりつつあるなかで、社会にとっての新しいコスト要因を生むというのは、あまり好ましいものではありません。もちろん、その善し悪しは増税分との比較になるため、単純に論じられるものではないでしょう。しかし、少なくともその増税分をもってして、新しい有効な「財」を生み出せるような体制作り、生産性の高い社会構造に繋げていくような方策を打たない限りは、根本的な解決にはならないことは間違いないと思います。

私なりには、新しい財源確保に向けた根本的解決のためには、きちんと経済を立て直すことが必須であり、これには従来のような金融手法や税制改革ばかりに頼らず、しっかりとした産業育成のための政策に依らなければならないと考えています。それが即ち、新しい産業インフラとしてのコンピューター(インターネット)システムやメディアシステムの構築であろうと考えるわけです(「産業界の舵取り」、「インターネットのリアル化」等参照)。

ただし、こうした産業育成プランを策定するためには、産業に対する深い理解、新しい時代を見据えた明確なビジョンが必要であり、これを持ち合わせない既出の政治家の方々に、これを期待するのはいささか酷なのかもしれません。

そういう意味で、何らかの経済活動に携わっている国民は、その一人一人が、そうした政治家の方々に代わって、日本経済を活性化するつもりで行動していかなければならないのだろうと考えます。

政治家の方々が議論されている税制改革を全否定するつもりはありません。しかし、社会全体が活力を失い収縮傾向にあるなかで、次第に複雑化していき、逆に社会コストを押し上げるようなそれに過度な期待をしてはいけないとも思います。私個人は、国民の一人として、複雑化していく税制の限界を見据えたうえで、次の時代において経済を支えるだけのしっかりとした産業基盤を構築するつもりで、自らの本分を果たしていきたいと思うのでした(「産業から始める理由」参照)。

《おまけ》
複雑系の果てには、「シンプルな一手」しかないと思うのです。複雑化していく解決策で問題解決を図るのも結構ですが、その延長線上には答えはないような気がします(「「最高の一手」の妙」、「カオス世界の読み取り方」参照)。

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