常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

総裁ばかりを責めないで!

2008年01月25日 | 政治

衆議院の予算委員会で、低迷する日本経済を巡って、日銀総裁が責任の追及をされていました。経済の問題において、日銀総裁の責任は重大だと思います。質問していたのは、ある自民党の議員でした。国会議員は、国民に選ばれて議員活動をしているわけですから、国会議員の質問は国民の質問でもあります。日銀総裁は、この質問に誠実に答えなければいけない義務があると思いました。

ただ実際、日本経済の責任を日銀総裁に追及したところで、何もならないとも思いました。当然、日銀総裁の責任というのがないわけではないでしょうが、正直、私は日本経済低迷の責任を、日銀総裁だけに押し付けるのはアンフェアだし、少々酷だと思うのです。経済というのは、金融政策だけではどうにもなりません。経済活動は、金融政策だけで決まるわけではなく、政界や財界の方々の活動や意思決定のなかで展開されていくし、もっと細かくブレイクダウンしていけば、今日お勤めから戻られた一般の会社員の方々の経済活動も、すべて低迷している日本経済の結果に関わっているはずなのです(ただし「日銀総裁」という立場にある以上、言い訳は許されないし、それに見合った責任を負っていくことは必要だと思います)。

つまり日本経済において、日銀の金融政策は重要な意味を持ち得ますが、そもそもそれらの金融政策を背景に、どのような経済活動をしていくかは、国民に委ねられているわけで、低迷している日本経済の責任は、国民一人一人にもあると考えなければならないと思うのです。そこで考えなければなりません。

経済活動をしている私たちは、本当に日本経済のために働こうとしているでしょうか。会社の都合を優先して、本来ユーザーが必要としているサービスを提供できていなかったりしないでしょうか。業界の利益構造を理由に、消費者を無視した事業展開をしたりしていないでしょうか。

自分たちの都合(しがらみ)で、消費者が真に必要としているサービスを提供できていないとしたら、日銀総裁を責められるほど「日本経済のため」の仕事はできていないと考えるべきだと思います。

国家は国民生活の向上のために努力しなければいけません。国民の税金で運営されている国家の活動は、国民のためのものでなければならないのは、当然のことだと思います。しかし、それは一方通行ではないはずです。国民一人一人も全国民及び国家の繁栄のために努力していなければなりません。仮に国民が、適当に働いて税金を納めていればよく、国民は国家に守られて当たり前であるなどと考えているとしたら、日本経済に成長は望めず、いずれ外国勢に呑まれてしまうでしょう。そして、もしそうだとしたら、それは仕方がないことです。言い方を換えれば、なすべきこともせず、自分の権利ばかりを主張するような国民は、日本経済の成長など望んではいけないし、その結果日本がどうなろうが、その責任を問うような資格はないということです。

しかし、実際にはそうではないと思います。国民の代表たる国会議員が、日銀総裁に質問をぶつけていたように、国民は日本経済の低迷を憂い、経済成長を願っていると思うのです。そしてそうであるならば、国民は現状に甘えず、真に日本経済のためになる仕事をしようという志や思いを抱きながら、常に難しい仕事に挑戦していかなければならないはずです。

日銀総裁の責任追及は大いに結構だと思います。けれども、責任追及をするからには、国民一人一人が、自分たちもきちんと「国家の繁栄のために仕事をしている」と言えるような心構えでいることが必要です。そうでなければ、日銀総裁を責めることは許されません。日銀総裁よりも、自分の方が日本の経済を思って働いていると言えて、はじめて日銀総裁の責任追及ができるのだと思います。

いずれにせよ事実として、国民の代表たる国会議員は、日銀総裁の責任追及をしていました。そういうシーンを目にした私たち国民は、あらためて自らの姿勢を見直し、正さなければいけないと思うのでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「中東の笛」に思うこと | トップ | 責める前に学ぶこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事