常識について思うこと

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「中東の笛」に思うこと

2008年01月25日 | 社会

アジアハンドボール連盟が運営しているハンドボールの大会において、中東に有利な判定ばかりだったことが問題になっています。今になって、マスコミにも大きく取り上げられる大問題になっていますが、実は1990年代半ば頃から、審判のおかしな判定が目立っていたようです。ご存じない方は、「韓国対クウェート戦」の様子等、インターネットで確認することもできると思います。私自身、よく知らなかったのですが、先日インターネットで見ました。そして、相当ヒドイと思いました。程度の問題があるにせよ、10年近くも、このような問題が放置されていたと思うと少々驚きです。

そもそもスポーツが楽しいためには、決められたルールを守り、そのなかでプレイすることが大前提になります。これは観るにしても、プレイするにしても共通して言えることでしょう(不正な判定で勝ったとしても、けっして後味が良いものではありません)。そして、その大前提を司る審判は、大変重大な責務を負います。しかし、今回の一連の判定を見る限り、審判が到底そのような重大な責務を果たしているとは言えませんし、仮にそれを「ミス」と呼ぶようであるならば、大会運営者があまりにもレベルの低い審判をアレンジしてしまったと言わざるを得ないと思います。

ただし今回、中東の責任者の方々は、一連の審判の判定について大きな問題がなかった(単なるミスだった)という点を強調されております。責任者の方がそのようにおっしゃる以上、それはそれとして尊重しなければならないと思います(ただし一方で、そうした責任者の方々に、今回問題になっている一連の「ミス」の責任も帰結するわけで、その責任についての言及や謝罪は、本来あって然るべきですが、それはひとまず置いておきましょう)。再試合等も話題となっており、最終的にこの問題がどのように落ち着くか分かりませんが、どのようになるにせよ、国際的に組織化された連盟において運営されている大会ですし、いかなる決定・結論になろうとも、それに従わざるを得ないと思います。

そしてもし、どうしても納得ができなければ、連盟から脱退すればいいだけのことだと思います。レベルが著しく低い審判(あるいは故意に判定を歪めている審判)が起用されても、それがまかり通るようなスポーツは、必ず観客離れを引き起こしますし、注目もされなくなります。次第にメディアにも取り上げられることがなくなり、いずれ消滅していくはずです。中東の方々(アジアハンドボール連盟の理事が過半数)が責任ある地位にあって、どのような試合を運営していくかは、彼らの責任ですし、その結果として「消滅していく」であろうスポーツになることが自明であるならば、日本の関係者の方々は、それに無理にお付き合いすることはないと思います。特に現代のように、高度なデジタル&ネットワーク化社会において、公正な判定ができないというのは、スポーツを楽しむ上での致命傷になりかねません。

場合によっては、むしろ志通じる国々だけで独立した国際組織を立ち上げる方が、ずっと実りある結果になるかもしれません。新しく国際組織を立ち上げる等、非常に大変なことかもしれませんが、勝っても負けても清々しい気分になれるのがスポーツですし、そういう精神を共有した人々が集まって運営される大会の方が、ずっと盛り上がりますし、将来的に伸びていくはずです。

どちらにしても、スポーツを楽しみたいという気持ちがあれば、この問題は必ず落ち着くべきところに落ち着くと思います。ただできれば、中東の方々には責任ある判断を望みます。現在の連盟の誤った判断から生ずるハンドボール離れや不人気を、誰も願っているわけではありませんし、中東の選手にしても、一所懸命に頑張っているわけですから、コート外での余計な問題で、自らの選手生活に支障がきたすようなことを望んでいないはずです。

ただ万が一、中東の責任者の方々が、その判断を誤るようなことがあったとしても、その結果何が起ころうとも、それはその方々の責任だと言わざるを得ませんし、お任せいたしましょう。

そしてとにかく、日本の関係者の方々には、今回の一連の問題において、妥協することなくひたすら自分たちが正しいと思われる道を進まれることを望みます。

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