常識について思うこと

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基地撤廃に向けたビジョン

2010年05月06日 | 政治

鳩山さんが明言してきた普天間基地移設の問題が、ずいぶんと世間の耳目を集めています。いろいろな意見がありますし、「所詮、実力のない人が出しゃばっただけ」という見方もできますが、もう少し建設的な考え方も必要だろうと思います。

特に現在、政界にいらっしゃる方々は、この問題について、ずいぶん威勢よく現政権に噛み付いているように見えます。しかし、それだけでは何も生まれません。もう少し言えば、現政権批判等、少々知恵がついた小学生にだってできることです。それにも関らず、そうした批判を繰り広げることが、政治家(野党?)の役割であると考えているとしたら、それは大きな間違いであると言わざるを得ません。

鳩山さんも、野党時代にはずいぶんと威勢よく与党批判を展開していました。しかし結果として、それらは見事に自らの首を絞めています。「ブーメラン効果」等という言葉を使う人もいるようですが、このことは鳩山さんに限らず、あらゆる人々に対して、共通して言えることであると考えるべきでしょう。それを読み切れず、相変わらず現政権批判を繰り返す人々は、鳩山さんの二の舞を演じることになるだけのような気がしてなりません。

重要なことは、解決策を示すことです。社会を導く役割を担っている人々が成すべきは、基地撤廃に向けた明確なビジョンを示すことであると言えるでしょう。

私自身、現時点において、政治家になるつもり等サラサラありませんし、また、なろうと思ってもできるような状況にはありませんが、それでも一応、一人の国民として思うことはあるので、ここにその要点をかいつまんで整理しておきたいと思います。

1.最高の抑止力は文民統制

基地撤廃の議論を始めると、まず最初に挙げられるのが、戦争抑止力や平和構築のための代案です。基地撤廃は、実現しなければいけない課題でありつつも、米軍基地を抜きにどのようにして国土を防衛するのかという視点が抜けてしまっては、単なる「間抜けな理想論者」になってしまいます。

ここには、戦争の本質まで掘り下げた考え方が必要でしょう。つまり、戦争の抑止力として、「武力には武力」といった従来のパワーバランスではなく、最も有効な戦争抑止力は、隈なく広がる強大な情報ネットワークに裏付けられた文民統制であろうということです。(詳細は「ウイグル暴動に思うこと」、「四次元戦争の時代」等参照)。

基地撤廃を論じるのは、平和を実現するための議論として、大いに結構だとは思います。しかし、それに代わる抑止力、私なりには、その力としての文民統制をいかに機能させるかという準備を進めておくことも、極めて重要であると考えます。

2.一般市民が発信者となるメディア構築

強力な文民統制を実現するためには、強大な情報ネットワーク、メディアシステムが存在しなければいけません。そして、その可能性は、インターネットに見出せるだろうと思います。近年、インターネットの発展によって、これまで特定の人々からしか発信できなかったニュースの類が、一般の人々からも発信できるようになりました。このことによって、戦争を誘発するようなメディアのミスリーディングを避けられる可能性が出てきたと考えます。そして、この点、従来のメディアからすると、大きな革命であったと言えるでしょう。

しかし、まだまだです。

第一に、現在のインターネットは、まだまだ匿名性が高く、非常にいい加減な情報が紛れ込んでしまっています。これを排除する仕組みがない以上、これを信頼に足るツール、戦争を抑制させるだけの文民統制を実現させるツールとして使うには、難しいと言わざるを得ません(解決策については、「責任を伴う「場」の提供」等参照)。

第二に、現在のインターネットは、テレビに代わるほどのメディアにはなりえていません。このことは、インターネットが、いい加減な情報が紛れ込む「信頼度の低いメディア」であるという点もさることながら、ハードウェアとしての利便性や、その普及度合い、つまり電源スイッチさえ押せば起動するテレビのような手軽さがなく、故にテレビほど大多数の人々から見られることもないという側面もあろうかと思います(解決策については、「シン・クライアントの潜在力」等参照)。

第三に、現在のインターネットは、大量の情報から、欲する情報をえぐり出してくるという機能が貧弱です。同じメディアシステムであるテレビが、適当にチャンネルを変えさえすれば、(不要、あるいは不適切な情報をフィルターしたうえで)それなりの情報を届けてくれるのに対して、今のインターネットは、そこまで便利ではありません。こうした問題を克服しない以上、インターネットが戦争抑止力までをも担える、テレビに代わるようなメディアになることはないでしょう(解決策については、「共有という楽しみ方」、「個別最適化する倫理規定」等参照)。

こうした問題は、政治家の口先だけでどうにかなるような問題ではなく、もっと国全体を挙げて、取り組まなければいけない課題になるだろうと思います。

3.日本とアメリカという国を知る

「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」と言います。米軍基地の問題は、言うまでもなく、アメリカという国との交渉事になるわけです。「勝ち負け」という言い方は好きではないので、「交渉事に勝つため」とは言いませんが、「百戦して殆うからず」という言葉通り、「交渉事に負けない」ためには、日本という国、アメリカという国を、それぞれ熟知しなければなりません。

まず、日本とはどういう国かを知る必要があります。それには、建国史にまで遡った歴史を見つめ直すという作業も含まれます。私なりには、そうしたものを踏まえたうえで、ようやく日本という国に宿る精神が見えるのであり、そこで初めて、世界における日本の役割というものがはっきりするのではないかと考えます。こうした作業は、同じくアメリカについても言えることです(「脱亜入欧の終焉」等参照)。

交渉をする上で、そうした作業がきちんとできていれば、基地の扱いに関する話し合いも、十分に可能になるでしょう。これは、アメリカという国や米軍自体を否定するような類のものではなく、日米両国が、互いに気持ちよく手を結んでいける道筋の延長線上に、基地撤廃の姿を見出すということでもあります。

以上、本当にポイントを示しただけなので、これらが基地撤廃に向けた方策にどのように繋がっているのか、見えにくい部分があるかもしれません。ただ少なくとも、こうしたポイントを挙げる等して、ビジョンを示していくということが、社会の指導者の成すべき仕事であろうことは間違いないと思います。

ひとまず、私は私なりに、一国民として、できることから上記を実現するためのアクションを起こしています。それらが実を結ぶまでの間、私はあくまでも一人の国民として、社会の指導者とされる方々がどのように動いていくのか、その一挙手一投足を注意深く見守っていきたいと考えます。

コメント (4)
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