常識について思うこと

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酔わない方法

2008年08月08日 | 人生

乗り物酔いは、予測不能な刺激によって引き起こされるという話を聞いたことがあります。私の経験上、これはかなり当たっていると思います。

例えば、自動車の場合、運転をしている人は酔いませんが、運転をせずに本を読んでいたりするとすぐに酔ってしまいます。これは、道路のカーブや路面のデコボコなどから、自動車がどのように揺れるかを予測しているか、していないか。あるいはアクセルやブレーキの踏み具合などで、自動車の加速や減速を予測できるか、できないかの差から生まれるものではないかということです。

幼い頃、車酔いをしそうなときに、外を見るように促されたことがありますが、もっと効果を求めるならば、(外の)前を見るようにするべきなのではないかと思います。そうすれば、自動車の運転をしていなくても、視覚情報を通じて「右に曲がる」、「カーブする」、「ちょっとデコボコがある」、「スピードが落ちる」などの揺れについて、ある程度、予測することができ、車酔いをかなり軽減できるのではないかと考えるからです。

これが本当だとすれば、自動車で酔わない方法は以下のとおりです。

1.自ら運転せよ
2.(運転できなければ)前を見て、揺れを予測せよ

これが全てではないでしょうし、そもそも「運転できない」という方には、意味のない部分もありますが、酔わない方法としては、かなり当たっているのではないかと思います。

ところで、このことは自動車の運転だけでなく、人生にも当てはまるような気がしてなりません。ここで言う「自動車を運転する」ということは、「人生を生きる」ということと重ねて見ることができるように思うのです。

人生について、「自ら運転せよ」ということは、自分が生きたいように自由に生きろということになるでしょう。もちろん、自らが運転するからには、事故などに対する責任も生じます。責任を放棄して、自由に生きるなどということはあり得ません。自らの人生に責任を持って、自由に生きるということこそが、人生において「自ら運転せよ」ということなのではないかと考えます。

ただし、諸事情から自分が運転できないこともあります。そんなときは、「前を見て、揺れを予測」すれば良いということです。組織、業界、国家・・・。社会における、さまざまな仕組みやルールのなかで、自ら運転席に座れる場面が、極めて限られていることは事実です。自分が運転できない以上、運転の結果、生じる事故などについて責任をとる必要もありません。しかし、だからと言って、自分には関係ないと諦めて、下を向いて好き勝手なことをやっているだけでは、「人生酔い」を起こしてしまいます。

これからの時代、まだまだ大きな揺れが起こるように思います。運転席に座っている人も、必死になって、それらを回避しようとするでしょうが、それで解決しきれるものでもありません。これからの時代においては、そうした運転席に座っている他人の振る舞いを含め、きちんと前を向いて、見定めておくことが大切だということです。

ところで、これらとは別に、自動車と人生では決定的な違いがあるとも思います。それは、「自動車を運転できない」ということが、大いにあり得ることであり、それはそれとして受け入れるしかない一方、人生において「何も運転できない」ということはあり得ないということです。社会の仕組みやルールのなかで、自らが運転できる場所や場面が限られていることは確かでしょう。しかし、だからと言って、運転できるものが全くないというのも嘘だと思います。事の大小こそあれ、人には必ず自由になるものがあると思いますし、その自由を活かすということが、生きるということだと思うのです。

そういう意味で、「人生酔い」を防ぐ方法は、以下のとおりかもしれません。

1.運転できるものを見つけて、自ら運転せよ
2.運転できないものでは、前を見て、揺れを予測せよ

「人生酔い」には、くれぐれも気をつけましょう。

コメント
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