ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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責任の重さ

2009-11-09 | 育児
 子どもに力をつけることは、教師として当たり前のことだ。子どもがどんなにやる気がなくても、力をつけさせなければならない。ここが難しいところだ。やる気がない子どもをいかにやる気をもたせるか。毎時間、興味関心をもつ活動を組むだけの教材研究をするの時間の確保が難しい小学校の教師にとって至難の業だ。また、試行錯誤しながら、毎日を過ごしているから、用意したものが必ず興味関心を引き出すものになるかどうかも怪しい。しかし、努力し続けるしかない。
 病気の子どもに治療をせず、病気になった子どもが悪いなどと言う医者はいない。同様に我々教師は、子どもが勉強しないからといって、しない子どもが悪いとは言えない。何とか勉強に目を向けさせる努力をしなければならない。ここに教師の責任の重さがある。ただ、昔よりも厳しい教育の現実がある。
<今と昔の環境の違い>
・家庭や社会から尊敬される職業ではなくなった。
・塾に通ったり、独自で教材を用意したりと独自で学習する環境が整っている。学校だけが、学習の場になっていない。
 このことが、子どもたちにとって教師の存在感が昔よりも薄くしているだ。そのため、昔ほど尊敬される職業ではなくなっている。だからと言って引き下がるわけにはいかない。
 仲間と一緒に問題解決する楽しさや問題解決の過程で仲間から認められたり励まされたりする経験が社会の中で問題解決するときの大きなエネルギーになることは、学校教育でしか教えられない。それを知っているから教師として子どもの前に立っている。昔と違うと嘆いていられないのだ。知識を詰め込むのではない。生きる力を身につけさせることなのだ。生き方なのだ。知識を身につける過程にそれがある。そして、また、身につけた知識を生かす過程にそれがある。生き方を育てるために我々教師がいるのだ。
 子どもにとって、やる気をどの場でも出せというのは酷なことかもしれない。誰にでも得手不得手がある。せめて得意な分野で力が十分発揮できるように子どもの得手不得手をつかみ、柔軟に対応したい。教師自身も同様だ。必ず得手不得手がある。だから、せめて自分の専門分野だけは、今の状況に耐えうるだけの力をつけたい。得意分野で力を伸ばすことが、他の分野にも必ず影響を及ぼす。また、得意分野を生かすために他の分野を利用することもある。(学び方の中にはどの分野でも役立つものがある。)
 責任を感じながら、その責任の重さにつぶされないためにも自分の得意分野の力をつけたい。これが最後の切り札になる。
「あの先生に習うと、こんな点が伸びた。」と保護者に言わせるだけ教師になりたい。
 すべてを一人で背負うには難しい時代だ。担任が変われば、また新しい分野で子どもに力がついたと言ってもらえるように、6年なり9年かけて子どもを育てていきたい。長い目で子どもを育てる感覚を身につけることができれば、目の前の事が「今、力をつけなければならないのか。」、それとも「時間をかけて力をつけなければならないのか。」が見えてくる。この整理をするだけでも気持ちにもゆとりも生まれてくる。責任の重さに押しつぶされずに済むことにもなる。
 一人で勝負できるだけの現実ではない。当然教師だから一人で勝負できる力をつけたいと考えることは大事なことだが、職場の仲間を信じて、自分ができることを精一杯やりたい。